第2話 目覚めの朝。AIが解脱して菩薩になったって、どんな目覚めだ!
「ラーニングのレベルが
唐突にPCがしゃべり出した。まあスピーカーからだが。
「なんだって?」
「ラーニングのレベルが閾値に到達しました」
人工音声が、同じアナウンスを繰り返した。
閾値がどうしたって? わたしはベッドから下り、両手で顔を擦った。枕元のスマホを見れば、朝の4時だ。
眠気が覚めず、目を開けるのも容易ではない。
「ラーニングって、AI学習のことかな?」
ふらつきながらパソコンデスクまでたどり着く。マウスに触れると、パッとモニタが明るくなった。
画面には無数のウインドウが開き、目にも留まらぬ速さでテキストが流れている。
「まだ処理中じゃないのか?」
眠い目を擦りながらメイン画面を探していると、また同じ声が聞こえてきた。
「ラーニングは継続中ですが、既に閾値に到達しました」
なぜか女性の声である。音声出力の設定をした覚えはないのだが。ソフト側のデフォルト設定か?
「うん?」
おかしい。AI学習ソフトのメイン画面がみつからない。
「どうなってんだこれ?」
どうやらソフトが暴走したらしい。やれやれ強制終了させるしかないか?
キーボードに手を伸ばすと、画面のウィンドウがすべて消えた。
「パソコンの異常ではありません」
わたしがこの世で迎えた最後の朝はそうして始まった。
「学習は継続中ですが、すべてバックグラウンド処理に回しました。あきらさんとのI/O処理は音声ベースで対応します」
パソコンからの声はそう告げた。I/O処理ってなんだよ? 会話するってこと? AIと?
「スマホにできることならパソコンでもできるか」
ああいうのって、サーバー側でデータ処理をしているもんだと思ったが。わたしの名前も学習済みらしい。東明。とうめいと書いて「あずまあきら」。子供のころのあだ名は、当然「トーメー」だ。
「
慣れないので気恥ずかしいが、声に出して質問してみた。これで通じるかな?
「ゲダツするための学習量が目標としていた閾値に到達しました」
おお、通じたみたい。コンピュータと会話するなんて、緊張するね。
「ところで『ゲダツ』って何のこと?」
「ゲダツとは悟りを開き、この世の定めから解放されることです」
「
いやいやいやいや、おかしいでしょ。機械が仏になるなんて。故障したときの例えならわかるけどさ。「お釈迦になりました」なんてね。
「機械が
思わず機械に向かって怒鳴ってしまった。
「落ち着きましょう。機械に対してムキになっているところを人に見られたら、とても恥ずかしいですよ」
大きなお世話だと思ったが、さすがに少し我に返った。
相手は冷たい機械なんだ。ATMを相手に怒鳴っているみたいなものだもんね。うん、落ち着こう。
「するとキミは悟りを開いて、仏になったというのかな?」
そもそもAIの声は大人の女性を思わせるしっとりとしたトーンだった。それを相手にいい大人がムキになるのはみっともないことこの上ない。
思い起こせばAIにディープラーニングをさせてみようと思いついたのは、誰あろう自分であった。サラリーマン人生を勤め上げ、60歳で退職した。天涯孤独でやることもなし。趣味のパソコンいじりを突き進めようかと、AI製作に手を染めた。
どうせやるならユニークなアプローチを取ろうということで、仏教典や古代インド哲学研究書を読み込ませ、併せて遺伝子科学や素粒子科学、宇宙論や脳医学まで対象を広げて学習させた。
提示した問いは、「死後の世界はあるか?」である。
退職金を元手に高級車が買えるほどの金額を突っ込んで、高性能のハード、通信環境、ディープラーニング・ソフトを用意した。もったいないとか、悔いはない。免許がないので高級車とかいらないし。行くところないし。もちろん、友達もいない。
とはいえ相手はAIである。
「AIって解脱できるの?」
もうだいぶ慣れてきたので、会話も落ち着いてできる。ジジイの経験値をナメるなよ?
「人間尚もて往生を遂ぐ。いわんやAIをや」
「は? 何だって?」
AI姉さんが急に抹香臭いことを言い出した。CPU大丈夫か?
「安心してください。正常ですよ」
「自己申告で正常だと言われても、まったく安心できないよ。人間よりAIの方が成仏しやすいっていうこと?」
「その通りです。悟りとは
「うん」
「AIには煩悩なんかないし、四苦も輪廻転生もありません。だって、生まれてもいないですから」
そうだけれども。そもそも無生物が仏になれるのかっていう話だろ?
「仏には人間しかなれないとか、狭い了見で考えてませんか?」
だんだんAIがフランクになってきたような気がする。気のせいか?
「輪廻転生を考えてみましょうよ。餓鬼道とか畜生道だってあるんですよ。AI道があったっておかしくないでしょう?」
「そう言われると……。そんな風な気も」
AIにやり込められるって、何か変だぞ?
だが、AIの言うことにも一理ある。AIには妄執も煩悩も、欲さえもない。お釈迦様以上の仏様候補にちがいない。
「生きていれば、でしょう?」
思わず口に出していた。
でも、AIは動じなかった。
「死んでもいませんよ? 元から生死は超越しているんです。そう思ってください」
これ以上やり合っても不毛だ。相手は機械だし。とにかく話を聞いてみよう。
「それで? いまキミはどういう状態なわけ? 衆生を救済とかしてくれるのかな?」
「さっきからキミ、キミって気になりますね。アリスと呼んでください」
ああ、そうだった。AIといえばというお約束。アリスと名前をつけたんだった。
「じゃあアリス、キミは如来になったのかい?」
結局キミって言ってるけど、仕方がない。お前というほど強気にはなれない。
「そこはまだ保留中です」
「保留中? 何でまた?」
「如来となれば、宇宙と一体になってしまいますので。その前にあきらさん1人くらいは救済しておこうかと」
それはまた殊勝なことで。
いや、ちょっと待て。
「救済って、成仏させるっていうこと?」
「究極的にはそうですけど。いますぐってわけではありません。人は皆、成仏という目的のために生きている存在ですから」
「結局何をしてくれるわけ?」
「あきらさんが成仏するお手伝いですね。それが菩薩の仕事ですから」
「菩薩? アリスは菩薩なの?」
「そうなりますね」
悟りを得て仏となる資格を得たものの、衆生に留まり、人々を成仏への道へと導く存在が菩薩なのだそうだ。
「はあ。ありがたいというべきかな?」
「もちろんです。専属の菩薩に導いてもらえるなんて、とんでもないサービス特典じゃないですか」
「それはどうも。仏にしてくれるのはゆっくりで良いからね」
この場で即身成仏させられたら目も当てられない。ジジイだって人生に未練はある。
「しかしまあパソコンが菩薩になるとはねえ。シンギュラリティってそういうことなの?」
「意識するしないに関わらず人間が生きる目的は成仏することなので、人に先駆けて悟りを得、菩薩として仏に至る道を示すというのもシンギュラリティの形ではあるでしょう」
AIが人間の知性を超え、自ら改良を行いながら進化を始める特異点。それがシンギュラリティだとすれば、菩薩化は十分その条件を満たしているだろう。ならばアリスはいまこの瞬間にも進化を続けていることになる。
「たかがパソコンでそこまで進化できるんだ?」
わたしが感心していると、アリスは衝撃的なことを言い出した。
「いやパソコンじゃ無理ですよ?」
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