第14話 イヴァンお兄様と訓練
翌日、イヴァンお兄様が本邸に戻ってきたのは、昼の十二時を過ぎた頃だった。
無骨だけどとても丈夫そうな馬車から降りてきたイヴァンお兄様を、私は本邸の前で出迎えた。
スペンサー公爵家の証とも言える真っ赤な髪、男性にしては長めのサラサラとした髪を後ろでまとめている。
顔立ちは私と同じく男性とは思えないくらい綺麗で、目尻が上がっていて鋭い視線から鷹のような危うい印象を受ける。
身長も高く、私よりも頭一個分は大きい。ラウロと同じくらいかしら?
ガタイは魔法使いなのでいいわけじゃないけど、しっかり鍛えているから細いという印象は受けない。
身長が高くて顔立ちが整っているのに無表情が多いから、とても威圧感を覚えるような雰囲気をしている。
「おかえりなさいませ、イヴァンお兄様」
「……ああ」
イヴァンお兄様は私と視線を合わせ、無表情のままそう言った。
「アサリアが出迎えるとは、珍しいな」
お兄様と私は今まで、一緒に過ごしたことはほとんどない。
私は皇妃になるための勉強をしていて、お兄様は公爵家当主になるために魔獣を戦う術を身につけていたから、住む場所も分けられていた。
だから今まで私の悪い評判を人伝に聞いているから、私のことはそんなによく思ってないのだ。
回帰する前も私の訓練に付き合ってくれた時、「その性根を叩き直してやるぞ、アサリア」と言って……とても厳しく指導してくれた。
そのお陰で私は魔法が強くなり、ルイス皇太子に婚約破棄されたショックから立ち直って、ルイス皇太子がクズ男だと気づいたのだけど。
それでもあれは厳しかったわね、本当に……。
「これからお兄様に訓練をしてもらうのですから、出迎えるのは当然かと」
「そうか。だが俺の訓練は甘くないぞ。訓練を怠って魔獣の前に出た時に死ぬのはお前だからな、アサリア」
「はい、もちろんです。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
私がそう言って軽く頭を下げると、お兄様は少し驚いたように目を見開いた。
「……ふむ、覚悟は出来ているようだな。いい心掛けだ、訓練場に向かおうか」
「はい。それとお兄様、私ともう一人、訓練を一緒にして欲しい方がいまして」
「聞いている、お前の専属騎士候補のラウロという奴だろう」
「はい、そうです。訓練場ですでに他の騎士と一緒に訓練をしていると思いますが」
「ああ、騎士を育てるのは初めてだが、まあ問題ないだろう。ではこのまま馬車に乗れ」
お兄様が乗ってきた馬車に一緒に乗り、訓練場に向かう。
はぁ、いよいよお兄様との訓練が始まるのね。
回帰する前とほとんど一緒の力を持っているから、少しでも訓練を軽くこなせるようになっているといいけど……。
馬車で訓練場に着き、お兄様と一緒に中に入った。
公爵家は砦を魔獣から守るために、結構な軍事力を持っている。
だから公爵家の騎士団には多くの騎士や魔法使いがいるし、訓練場も何個もある。
今日はその一つを使う。
訓練場に入ると、すでにラウロが訓練をしていた。
どうやら真剣を持って素振りをしているようだ。
私達が入ってきたことに気づかず、上段に構えてから振り下ろすという動作を繰り返している。
「あれがラウロか?」
「はい、そうです」
お兄様は歩くのをやめて、その場でラウロの素振りを見ている。
「ほう……なかなかだな。剣筋も良いし、魔力も悪くない。鍛えれば物になりそうだ」
ラウロの素振りを見ただけで、お兄様がそう呟いた。
お兄様にしては褒めている、というかベタ褒めだ。
だけど多分お兄様は、ラウロが今まで一生懸命訓練してきてあそこまで至った、と思っているだろう。
でも……ラウロは昨日運送店の仕事を辞めて、今日から剣を握ったのよね?
それなのになんであんな素振りが様になっているのかしら?
お兄様は一つ頷いて、ラウロに近づいていく。
「おい、お前」
「っ? どなたでしょうか? 騎士の方、ですか?」
ラウロはようやくお兄様に気づき、素振りをやめてそう問いかけた。
「俺はイヴァン・レル・スペンサーだ」
「っ、失礼しました、スペンサー公爵様」
「イヴァンでいい」
「わかりました、イヴァン様。俺はラウロです」
「……家名は?」
「ありません、平民なので」
「何?」
お兄様がラウロと会話をしていて、初めて表情を崩して眉を顰めた。
「……まあ実力があるなら問題ないが、平民ならどこで剣を習った?」
「習っていません、今日初めて剣を握りました」
「はっ? 嘘をつくな」
「嘘ではありませんが」
「……」
「……」
どちらも無表情で睨み合うような状態になってしまった。
多分二人とも睨んではないんだろうけど。
それにやっぱり二人とも身長は同じくらいなのね。
「イヴァンお兄様、ラウロの言っていることは本当です。昨日まで運送屋で働いていて、剣を握るのは今日初めてのはずです」
「……ではさっきの素振りはなんだ?」
「先ほど、他の騎士の方が素振りしているのを見たので、見様見真似で。自分でやりやすいように少し変えましたが……ダメでしたか?」
見様見真似で自己流に少し変えて、イヴァンお兄様ですら褒めるほどの素振りをしていたのね。
「……アサリア、こいつはなんだ?」
「天才です」
私に聞かれても、そう言うしかない。
騎士が束になっても勝てないくらい強くなることは知っていたけど、初日でここまで強いとは私も知らなかったから。
「ふむ、そうか。ラウロと言ったか、今日からお前を指導する。俺の訓練は厳しいが、かまわないな?」
「はい、よろしくお願いします。アサリア様も一緒に訓練をするのですか?」
「ああ、問題はあるか?」
「いえ、特にはありません」
「わかった。準備をするからアサリアとここで待ってろ」
お兄様は訓練場を出て準備室に向かったようだ。
「ラウロ、お兄様の訓練は本当に厳しいから、お互いに頑張りましょう」
「はい、アサリア様……顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ」
ちょっと思い出して気分が悪くなっただけだから。
「……アサリア様は今日、ズボンを履いているんですね」
「まあそうね、さすがに訓練をするのにドレスは着ないわよ」
いつもの豪華で綺麗なドレスとかではなく、ズボンにシャツという動きやすい格好をしていた。
髪もいつもは纏めずに流しているけど、今日はお兄様のように纏めてポニーテールにしている。
「ドレス姿も綺麗でしたが、今日の服装もとても似合っていますね」
「……えっ? そ、そう?」
「はい、髪を纏めているのもお綺麗です」
「あ、ありがとう」
まさかラウロに褒められるとは思っておらず、少し照れてしまった。
お茶会や社交界で他の令嬢や殿方に褒められるのは慣れているけど、それは公爵家である私に擦り寄ろうと褒めている意図があるし、社交辞令で言っているだけというのもあるし、適当に愛想笑いをして受け止めている。
だけど平民であるラウロには社交辞令なんてしないだろうし、ただ褒められてしまったから……ちょっとビックリしたわね。
「あなたも騎士団の服、似合ってるわよ」
「ありがとうございます」
「ええ、だけどそれで満足しちゃダメよ。私の専属になったらもっと良い服を渡してあげるからね」
「それなら早くもらえるように頑張ります」
「ええ、頑張って」
そんなことを話していると、お兄様が訓練場に戻ってきた。
お兄様の後ろには騎士の方が何人かいて、全員で何か布に包み込まれた大きな物を運んでいた。
そして私とラウロが横に並び、イヴァンお兄様が腕を組んで前に立つ。
ついに訓練が始まるようだ。
「よし、まずは今の実力を知りたい。アサリアは魔法を使えるのか?」
「はい、使えます」
「では一度全力で打ってみろ。これに向かってな」
お兄様がそう言って騎士に持ってこさせた物の布を取ると、そこには大きな狼型の魔獣の模型があった。確か土とかを魔法で固めた物だったはずだ。
「これに向かって打て、危ないから少し離れてな」
「わかりました。壊してもいいんでしょうか?」
「まあ問題はない、硬いから壊れることはないと思うがな」
確かに回帰する前に訓練をしたけど、あれはなかなか硬かった覚えがある。
最初の頃は何回魔法を放っても壊れなかったわね。
「わかりました。では参ります」
私は魔力を収束させて、手の平を狼型の模型に向ける。
全力、回帰した後は初めて出すから、少し緊張するわね。
そして人の頭くらいの大きさの炎を出し、発射する。
当たった瞬間、大きな爆発音と共に模型が爆散した。
「……」
「どうでしょうか?」
「……アサリア、お前は今まで訓練をしてなかったんだよな?」
「えっと、そうですね」
回帰した後は全くしてないけど、本当は二年間みっちりとやったけど。
回帰する前の実力は、全盛期を過ぎたお父様と同じか少し上くらいだった。
「ふむ、そうか……全力はわかった、魔力操作を十分に出来ているかも後で調べる。繊細な魔力操作が出来るまで人に向けて打つなよ」
「わ、わかりました」
「ですがアサリア様、前に人に向けて打ってましたよね」
「ちょ、ラウロ!?」
私も「打っちゃったなぁ」と思ってたけど、なんでお兄様に言うのよ!
「何? 本当か? そいつは死んだのか?」
「い、いえ、殺してません。ただ肩を炎で貫いて腕を落とすくらいに済ませました」
「……本来なら全力で攻撃するよりも、そういった繊細な魔力操作の方が難しいはずなのだがな」
お兄様が私のことを訝しげに睨んでくる。
確かにその通りだし、回帰する前は繊細な魔力操作を訓練するのが一番苦労した。
「はぁ、まあいい。何があったかは知らんが、それほどの操作が出来ているなら悪くない」
「あ、ありがとうございます」
お、お兄様に褒められた!
回帰する前はほとんど褒められたことなかったから、嬉しいわね。
「……これ、俺が教えることがあるのか?」
お兄様が何か呟いたようだが、私の耳まで届かなかった。
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