第26話 北の砦に花は咲かない

 北部に来てから二年の月日が過ぎた。二度目の冬も長く厳しい。

 食堂で夕食を摂るセスに、そういえば、とマイクが口にした。

「セス、最近手紙来ねぇな。あの女の子からの」

 その言葉にセスは身を固くする。ロザリー・ダグラスから届いていた保護を求める手紙は、二度目の冬を前にぱったりと途絶えていた。その意味を考えると、セスは暗澹たる心持ちになる。

 一族から迫害を受けて命の危険を感じていた少女が、連絡できない状況。それがどういうことなのか。恐らく、彼女の命はもう──……。

 セスは拳を固く握りしめた。彼女も魔法使いの勢力争いの被害者だ。だが、ふとセスは立ち返る。

 自分は彼女を真剣に助けようとしていたのだろうか。本当に彼女を案じていたら、最初に手紙を受け取った時点で北部を出て彼女の元へ向かっていたのではないか? 口先では親切に振る舞いながら、切実ではなかったのでは? 彼女が、母の仇の血を引いているから。

 彼は自分の利己的な醜さにぞっとした。

「セス」

 向かいに座っていたスカーレットが、セスの白くなった拳に手を伸ばす。スカーレットだけはセスの事情を知っている。彼の表情を見て、ロザリーを救えなかったことを後悔していると思ったのだろう。

「きみはずっと戦っているじゃないか」

 労わるような調子だった。彼女も慰めにしかならないと気付いたのだろう。自嘲するように視線を落とす。

「きみの問題が拳で解決することなら、私が片端からぶん殴って倒してやるのにな」

 その言葉を聞いた時、セスは清々しい、風穴が開いたような感じを受けた。

 気付くとセスはその言葉を口にしていた。

「僕たち結婚しませんか?」

 隣に座っていたアーノルドが噴き出した。マイクがスープをこぼす。食堂のあちこちから何かが割れる音がする。

 そんな惨事をよそに、顔を真っ赤にしたスカーレットが立ち上がった。

「私たち付き合ってないよな?!」

「うん」

 セスは頷いた。お互いの認識が一致していることにスカーレットはホッとした。

「僕たちが一緒になれば、スカーレットは好きに騎士として働くことができる。ワイアット家は勢力さえ安定していれば当主の妻が騎士をしていても問題ないから」

 セスはひとまずスカーレットの利点を述べた。

「それに、僕はきみと居ると、何でもできるような……どこにでも行けるような気がしてくる」

 セスは自身の利点を口にしながら顔が熱くなっていくのを感じた。言いながら気付いた自身の感情を、信じられない気持ちで見つめる。思わず口元を覆った。

「僕はきみが好きみたいだ」

 食堂のあちこちで悲鳴が聞こえた。悲鳴を聞きながら、スカーレットは拳を固めた。

「……こんな場所で、指輪も花束も無いなんて! わ、私にだって理想はあるのだ!」

 スカーレットの口の端が震える。

「は、花束でも持ってきたら考えてあげよう!」

 彼女はそう言うと、食器もそのままに走り去った。

(花束……)

 一瞬浮ついたセスだったが、ふと気付く。北の砦に花は咲かない。この季節、麓の街にも花はない。

(もしかして、遠回しに断られた……?)

 顔を上げると、走って行ったはずのスカーレットが息を切らして戻ってきていた。

「……造花でも構わない」

「え、でもこういうのって普通生花」

「押し花でも可!」

 それだけ言い捨てて彼女は今度こそ走り去っていった。

 一拍の静寂の後、食堂中で歓声が起こった。

「ひゅーひゅー!」「恋愛小説みたい!」「うおおおお!」

「マジかよ! マジかよセス!」

 マイクが叫ぶ。彼の服はこぼしたスープで塗れていた。

 それまで黙っていたアーノルドがセスの肩を掴む。真剣な顔つきでセスの顔を覗き込む。

「セス、お前明日、城下町に行け」

「えっ。でも見回りの当番が」

「俺の非番と替わってやる。街中探せば花くらいあるかも知れない」

 アーノルドは大真面目だった。全く茶化していなかった。

「っていうかお前、どんな顔で明日スカーレットに会うつもりだよ」

 確かに。告白も返事も宙に浮いたままでは任務に差し障る。マイクも頷いた。

「そうだぜ! こういうのは早い方が良いからな! 結婚は勢いってお袋も言ってたし」

「……ありがとう」

 歓声が再び上がる。セスはやっと、自分の言動が見守られていたことに気が付いた。

「もしかして、すごく恥ずかしいやつじゃない? 僕……」

 アーノルドとマイクは爆笑した。





 ◆

 翌日。朝一番、セスは馬で山を下りた。城下町に花屋はあるものの、冬季は花を扱っていない。花を探しながら、セスは考えていた。

 今、自分は自分の幸せの為だけに行動している。皆から優しさを受け取るばかりで返しきれない。きっと魔法使いとして正しくない。

 でも自分は、正しくない人間だったのだ。母に守られ、キャシーを傷つけたのに、他人に優しさを与えることができない人間なのだ。

 自分はロザリー・ダグラスを救わなかった。傲慢で冷酷で、口先だけは良い人のように振る舞う保身的な男。結局セスにとって重要なことは魔法使いとしての役割ではなく、大切な人たちのことだけだった。

 ──愛する人たちに幸せになってもらいたい。返しきれなくても、返したい。

 今朝送り出してくれた皆の顔が浮かぶ。

 その時だった。

 冬の灰色の空に、緊急事態を報せる硝煙信号が打ち上げられた。




 ◆

「何が……」

 駆けつけた雪原は血と硝煙の臭いでむせ返りそうだった。横殴りの吹雪で前も見えない。

 遠くで何かの呻くような声が聞こえる。

 鼓動が速くなる。

 腕で風を避けながら足を前に進めていく。

 べしゃっ、とセスは転んだ。何かに躓いたのだ。顔を上げ、セスは動けなくなった。

「は……?」

 うまく息が吸えない。歯がかちかちと鳴って、意味のない音が喉から漏れる。

「あ、ああ……嘘、うそ、いやだ……!」

 彼はそれに縋りついた。

「アーノルド……!」

 事切れた親友の姿だった。腹部を食い破られたように失っていた。目を見開いたまま凍り付いている。

(こんなの嘘だ)

 だって、今朝だってセスを送り出してくれた。上手くやれよ、と言葉をくれた。いつだって彼が声を掛けてくれた。

 セスは彼の、何か大きなものに蹂躙された身体を抱きしめた。既に冷え切っていて、褐色の肌には薄い氷が張っていた。

 投げ出された身体を横たえると、硬直した瞼を閉じさせる。

 遠くで何かの呻く声が聞こえる。

 セスは顔を上げ、声の方へ進んだ。




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