一章 ルカ・ワイアットと贈り物の魔法
第4話 弟
あれから月日は流れ、セスは18歳になった。
いずれ訪れる【厄災】を倒すと決意してから、彼は全ての時間をその準備に費やした。
『【厄災】とは巨大な力を持った魔物のことである。歴史を辿ると、過去にも幾度か凶悪な魔物が出現したことがあり、それらを総じて【厄災】と呼んでいる。
魔物とは──』
コンコン、と控えめに窓が叩かれる。セスは手元の本を閉じた。窓を開くと、春の空気が、本で埋め尽くされた部屋に吹き込む。
ヒヨコのような頭が覗いている。期待に満ちた若葉色の瞳がこちらを見上げた。
セスは窓枠に手を掛けて、伸ばされた腕を取る。身を乗り出して小さな訪問者を引っ張り上げた。
「おはよう、兄ちゃん!」
「おはよう、ルカ」
ルカ・ワイアットはこの人生で初めてできたセスの弟である。
セスはこの弟を見る度不思議な気持ちになる。
普通の兄弟と言うものをセスは知らないが、そろそろ思春期であろう少年が、兄にこんな風に抱き付くものだろうか?
回帰前はセスが魔法使いの後継者として条件を満たしていたため、父が後妻を娶ることはなかった。今回の人生では、後継者としてセスが資格を失った為、新たに妻が迎えられた。
そして誕生したのが七つ下の弟、ルカである。
(僕にとってはもう、後継問題とかどうでも良いけど)
彼はルカの誕生を前向きに捉えた。
魔法使いの名家の後継者。その煩雑な問題を解決してくれる存在である。ルカのお陰で、セスは【厄災】の対策に集中することができる。
(ワイアット家の後継者が決まらなかったら内乱になりかねないし……)
彼の思考を遮るように、コンコン、と今度は出入り口の扉が叩かれた。相手は分かっているので「どうぞ」と入室を促す。
メイドのキャシーが朝食を運びに来たのだ。
ルカの姿を認めてまあ! と声を上げる。
「ルカ坊ちゃんったら、また窓からお入りになったのですね? お行儀が悪いですよ」
「だってさぁ」
ルカが言葉を濁す。継母、つまりルカの母親が、彼をセスの部屋に近付けないように言いつけてあることは知っていた。
ルカはキャシーの小言から逃れるようにセスの背中に回る。
「また授業から逃げるおつもりでしょう? 今の先生は優しい方ですのに」
「魔法の授業とかつまらないから嫌い! いや違うし、今日は兄ちゃんにお願いがあって来たの」
「お願い?」
セスもルカが避難の為に訪れたと思っていたので、首を傾げた。ルカは瞳を輝かせた。
「明日、街に買い物に行くんでしょ!? オレも連れて行って!」
「駄目」
ばっさり。セスは切り捨てた。あまりにも迷いのない声音にルカが思わず身を引く。キャシーがあら、と声を上げる。
「セス坊ちゃんたら、お遣いくらい私が行きますのに。ちっとも甘えてくださらなくて寂しいわ」
セスは視線を落とした。それからルカにはっきりと告げる。
「外出は危ない。街に連れていくことはできないよ」
「えーっ?!」
ルカが非難の声を上げる。
こればかりはセスも譲れないので、聞き入れるつもりはない。取り付く島もない様子にルカは唇を尖らせた。
翌日。空が白んだばかりの朝早くに、街へと向かう寄合馬車が出発する。
鞄などに紛れて、荷台に小さな影が乗り込んだことに、セスも、ワイアット邸の両親も、誰も気が付かなかった。
◆
馬車がゆっくりと停まる。
ワイアット邸のある地区から商業の盛んな2区へは、馬車で1時間ほどである。
セスの目的は<魔石>と呼ばれる、生物が必ず体内に持つ、魔力を宿した宝石だ。
彼はこれをピアスや指輪などの装飾具に加工し、身に付けることで、魔力不足を補っている。
寄合馬車に乗る若い夫人達がちらちらとセスに視線を送っている。セス自身は気付いていないことだが、やたら装飾具を身に付けている不健康そうな青年は、確かに危うげな雰囲気を漂わせていた。
自分に向けられる視線が好意的でないことに慣れている。そういう類だと視線を無視する。そんな折外から聞こえてきた御者の声に意識を引かれた。
「えっ!? なんだ君は!」
「えっとぉ……」
戸惑う御者と聞き覚えのある声に、セスは慌てて馬車を飛び降りる。そこにある筈のない人物の姿を認めて目を見開いた。
「ルカ……!?」
「えへへ、来ちゃった」
ルカは荷物の間から顔を覗かせると、舌を出して誤魔化した。
無賃乗車だと怒る御者に、二人分の運賃を支払って謝罪する。長くなりそうな説教は、ルカがワイアット家の名前を出した途端止まった。
「ワイアット家の坊ちゃんたちだったんですか。どうもご贔屓に」と御者に笑顔で見送られ、二人はその場を離れた。
「来ちゃ駄目って言っただろう」
セスは声が固くなるのを止められなかった。
「だってさぁ。おかしいじゃん。兄ちゃんは街に出かけていいのに、オレはずっと家から出ちゃ駄目って」
ルカが俯く。ワイアット家である魔法使いの筆頭家門である。その後継者として、ルカが行動を制限されていることは分かっている。
セスは彼のつむじを長いこと見つめて、溜息をついた。
「……僕から離れないこと。次の馬車は2時間後くらいから、それで帰るからね。それから、」
セスは懐から手帳を取り出し、頁を切り取って何事か書きつけた。
「これを肌身離さず持っていて。いざというときのお守りだから」
ルカは顔を上げて切り取られた紙片を眺める。紙片を懐に入れ、頬を染めてセスの腰に抱き着いた。
「やった! 兄ちゃんありがとう!」
セスはもう一度溜息をついた。
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