【第10話】
長き戦争に終止符が打たれた。
「…………」
リーヴェ帝国の中心地から脱出したエルドは、沈んだ面持ちでとあるテントの前に佇んでいた。
敵対国が白旗を上げたおかげで、アルヴェル王国や王国に加担していた傭兵団は大忙しである。機能停止したレガリアを回収したり、レガリアの研究者を捕縛したり、今もなお戦場は勝利の気配など感じておらず騒がしい。
傭兵団『黎明の咆哮』も戦闘要員が慌ただしく駆け回っていた。機能停止した量産型レガリアに爆弾が詰め込まれていたりすれば問題なので、解析をしつつ解体作業に従事している。バタバタと忙しく同胞が駆け回る中で、エルドだけがテントの前で棒立ちしていた。
テントの中に足を踏み入れず、幕すら持ち上げて内部の様子を窺うこともしないエルドに誰かがポンと肩を叩く。
「エルド、お前は休め」
「姉御……」
振り返った先にいたのは、団長のレジーナだった。緑色の瞳には、エルドを心の底から心配するような光を湛えている。
「ユーバ・アインスのことなら大丈夫だ、ドクターが直してくれるさ」
「ドクターの腕前を疑ってる訳じゃねえよ」
エルドはレジーナから視線を外し、
「ただ、本当に目覚めなかったらどうしようかと思ってるだけだ」
「お前の嫁はなかなか頑丈だ。修理が完了すれば、ドクターがお前を呼んでくれる手筈になっている。それまでは休め」
「休みたくても休めねえよ」
この向こうでドクター・メルトの修理を受けるユーバ・アインスが心配で、エルドはテントの前から離れることが出来なかった。
彼女の腕前は信頼している。たとえ頭の螺子が何個か吹っ飛んだ存在でユーバ・アインスを預ける人間としては若干の不安を覚える人物であっても、傭兵団『黎明の咆哮』の魔導調律師として従事していた実績はエルドも理解している。彼女以上の腕前を持っている魔導調律師は早々いないだろう。
すると、
「エルドちゃん、いますか?」
「ドクター、アインスはどうだ!?」
テントの幕を跳ね上げて、エルドはドクター・メルトのテント内に足を踏み入れる。
様々な部品が詰め込まれた箱が並ぶ金属製の棚、改造人間の兵装を修理する為に使われる機材がそこかしこに設置されている。簡易的な机の上にはエルドが見てもよく分からない設計図のような図面が広げられており、鉛筆などで細かく何かの数値が書き込まれていた。
広々としたテント内の中央には手術台が置かれ、そこに真っ白いレガリアが照明の光を受けて眠っている。長い睫毛が縁取る瞼は閉ざされ、形のいい唇は引き結ばれたままだ。今にも起きそうな気配はあるものの、呼吸はしておらず不気味な雰囲気が漂っている。
ドクター・メルトは展開中だった自分自身の兵装を収納しつつ、
「魔力切れを起こしているみたいだったので、魔力補給をしてあげたんですよぅ。限界まで戦闘するのはいいですが、魔力切れを起こすと機体にも負荷がかかるからあまりやらない方がいいですよぅ」
「本当にそれだけでよかったのか? 他には?」
「他の外傷はないですよぅ。あったら回復していますよぅ」
ドクター・メルトはエルドの背中を押すと、
「エルドちゃんが起こしてあげてくださいな」
「…………」
「アインスちゃんは、エルドちゃんの
エルドは手術台の上に寝かされたユーバ・アインスに視線を落とす。
見たところ、どこにも傷や汚れらしいものはない。そんなものがあれば魔力を外部から注入した端から直っていくのだから、魔力が完全に注入された今はもう綺麗さっぱり傷などなくなっている状態だ。
あとは起こすだけだ。エルドが声をかけただけで起きるのか不明だが、ユーバ・アインスが休眠状態に移行した時はいつもエルドが起こしていたから問題はない。
ユーバ・アインスの頬を左手で撫でたエルドは、
「アインス、起きろ」
その言葉へ応じるように、様々な情報が飛び交う。
――
――起動シークエンスに移行します。
――擬似魔力回路の修復を確認。
――起動に問題なし、通常兵装及び非戦闘用兵装並びに特殊戦闘用兵装の起動にも問題なし。
――安全回路の修復を確認、防壁突破の確認は出来ず。
――了解、安全回路の起動を実行。
――動作回路の修復を確認、身体機能及び擬似内臓機能に問題なし。
――非戦闘モードに移行。
――非戦闘モードに移行完了。
――位置情報の取得を完了、現在地を入力。
――起動準備完了。
――Regalia『ユーバシリーズ』初号機・アインス、起動します。
そして、ついに純白のレガリアが再覚醒する。
「――――」
瞼が持ち上がり、その向こうに秘められていた銀灰色の双眸がエルドを真っ直ぐに見据える。2度、3度と瞬きを繰り返してから頬に触れるエルドの左手に、彼の冷たい手が重ねられた。
その感覚を確かめるようにエルドの手の甲を指先で撫で、それからエルドの頬も同じように撫でてくる。冷たい指先が頬に触れ、本物であるかを確かめるようだ。
再起動を果たした純白のレガリア――ユーバ・アインスは、いつもの淡々とした調子で挨拶をした。
「【挨拶】おはよう、エルド。【報告】周辺に敵性レガリアは存在しない」
「分かってるよ、アインス」
エルドはユーバ・アインスの眉間を指先で弾くと、
「もう戦争は終わったんだ」
☆
「【疑問】お兄様、もう調子はいいんですか?」
「【歓喜】兄貴、ようやく目覚めたか」
「【心配】活動限界が訪れた時はどうなるかと思ったんですよ」
ユーバ・アインスが再起動を果たすと、いつのまにか味方として復活を遂げていた弟妹機たちが駆け寄ってきた。
再起動を待つ間、弟妹機である彼らが率先してリーヴェ帝国の量産型レガリアの解析作業に従事していたのだ。特に4号機のユーバ・フィーアは酷使されすぎて悲鳴を上げていたことは微かに覚えている。
足にしがみつく7号機のユーバ・ズィーベンの頭を撫でるユーバ・アインスは、
「【謝罪】心配をかけた。【疑問】当機が休眠状態中、エルドには何もなかったか?」
「【回答】なかったよ、それどころか兄貴がいるテント前から動かねえんだもんよ」
3号機のユーバ・ドライは意地の悪そうな笑みを見せ、
「【予想】兄貴が目覚めねえかもしれないってんで心配してたんだろうよぷぷぷ泣きそうになってやんの」
「え、何? 右手の餌食にされたいって?」
「【拒否】ちょっと揶揄っただけじゃんかあ!!」
右腕の戦闘用外装を見せつけるように鳴らせば、ユーバ・ドライは2号機のユーバ・ツヴァイを盾にして引っ込んだ。盾にされたユーバ・ツヴァイは妹のやんちゃな行動にやれやれと肩を竦める。
「【警告】全く、エルドが心配するんだから自分の限界ぐらいは覚えておきなさいよね。改造人間は当機たちと違って弱いんだから」
「【心配】にーさん……起きてよかった、よ。不安だったもん……」
「【疑問】ユーバ・フュンフ、いつからエルドを呼び捨てにするようになった?」
5号機のユーバ・フュンフと6号機のユーバ・ゼクスが、起きたばかりのユーバ・アインスを小突く。ユーバ・ゼクスはともかく、ユーバ・フュンフは本当に素直ではない。
妹の言葉に反応を示すユーバ・アインスだが、彼が機能停止してから色々とあるのは当然のことだと思う。エルドも散々詰問されたが、彼女なりに認めたから呼び捨てになったのだろう。
弟妹機に囲まれるユーバ・アインスを眺めるエルドは、
「アインス」
「【疑問】何だ、エルド」
「弟と妹と一緒にいたいならそうしろよ」
ユーバ・アインスには、一緒に開発された弟妹機の存在がある。何もエルドと一緒にいる理由はないのだ。
以前、世界中を旅行するなどという夢物語を披露してユーバ・アインスもついてくるという口約束を結んだが、未練がましく覚えていても仕方がない。彼にはまだ活躍できる場がある。
ユーバ・アインスは首を傾げ、
「【疑問】何故?」
「何故って」
「【回答】当機はエルドといると決めた。父が『自分で行動しろ』と最期に命じたから、当機は自分の意思でエルドと行動を共にする」
大股でエルドとの距離を詰めてきたユーバ・アインスは、
「【疑問】それとも、エルドは心変わりしたのか?」
「いいや、そうでもない」
エルドはユーバ・アインスを抱き寄せると、
「なあ、アインス」
「【疑問】何だ、エルド?」
「テメェ、俺のことを『愛してる』って言ったよな?」
「【回答】黙秘権を行使する」
ふいとそっぽを向き、ジタバタと暴れ出すユーバ・アインス。
ユーバ・アハトの自爆特攻から守る為に兵装を展開し、そのままエルドにキスまでして「愛している」などと流暢な言葉で告白したのは記憶に刻み込まれている。あの時以上の刺激的な告白はない。
ユーバ・アインスはエルドの腕から脱出しようともがき、
「【要求】今すぐ忘れろ、忘れてくれ。【警告】そうでなければ忘却系の兵装を使用して貴殿の記憶を諸共吹き飛ばす」
「アインス、アインスってば」
「【混乱】何だエルド揶揄うつもりならいいだろう当機にも考えが」
いつもとは違って早口で捲し立てるユーバ・アインスの唇を、エルドは自らのそれで塞ぐ。少し硬くて、冷たい唇の感触が一瞬だけ触れた。
銀灰色の双眸を見開いて固まるユーバ・アインス。長兄のキスシーンを目の当たりにしてしまった弟妹機は驚愕の表情で注目していた。たまたま通りかかった戦闘要員や団長のレジーナも驚いて行動を止めている。
覚悟を決めたエルドは、
「俺も好きだ、アインス。だから本当の嫁さんになってくれ」
「…………」
「アインス?」
決死の告白をしたエルドだが、腕の中にいるユーバ・アインスの反応はない。
もしかして、そんな雰囲気ではなかっただろうか。あの時の告白はエルドの脳味噌が見せた幻覚か?
すると、ユーバ・アインスの頭頂部から白煙が立ち上る。
「【報告】重大なエラーを確認。機能低下」
「おおおおいアインス!?」
膝から崩れ落ちるユーバ・アインスを支えて、エルドは混乱する。重大なエラーとはそれほど嫌だったのか。
「【嘆息】あーあ、エルド義兄さんが兄貴をぶっ壊した」
「【要求】兄さんは真面目なんですから、丁重に扱ってください」
「何でそう言われなきゃいけねえんだよ!?」
ユーバシリーズの弟妹機に茶化され、エルドは行動不能になってしまったユーバ・アインスを抱えて再びドクター・メルトのテントに駆け込むのだった。
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