【第6話】

 カーン、という鐘の音がエルドに起床を促す。



「んん゛……」



 窓の向こうから聞こえてきた鐘の音に唸り声を漏らすエルドは、そのまま寝返りを打って鐘の音を無視した。

 久しぶりのベッドなのだ。まだこの気持ちよさを堪能していたい。今まで車中泊だったから起きることが出来ていたのだが、残念ながらベッドの生活に戻ってしまえば簡単に起きることなど不可能だ。


 枕に顔面を押し付け、鍛えられた鋼の肉体を目一杯に縮こめて眠るエルドに刺客が襲撃する。



「【挨拶】エルド、おはよう。朝だ」


「んう゛……」


「【警告】エルド、そろそろ起きなければ団長に注意されてしまうぞ」


「んん゛……」


「【諦念】ダメか」



 ポンポンと肩を叩かれる感覚さえもエルドに眠りを促す要素である。そろそろ起きなければ団長のレジーナからどやされることは理解しているのだが、どうしてもベッドがエルドを離してくれないのだ。

 このまま浮上しかけた意識が、再び眠りの世界へ旅立とうとしている。起床を促す為の鐘の音も、低く聞き心地がいい涼やかな声も、何もかもが意識の彼方へ追いやられる。


 あと少しで再び眠りについてしまいそうだったのだが、



「【展開】微弱電極エレキテル


「あいたぁ!?」



 エルドの左肩に触れた冷たい手のひらから、唐突に微弱な電気が流し込まれた。バチンという音が鼓膜を揺らし、僅かな痛みがエルドを襲う。

 慌てて飛び起きれば、髪も肌も瞳も身につけた衣類も真っ白な状態の自立型魔導兵器『レガリア』が無表情で目の前に仁王立ちをしていた。寝起きで色々と無防備なエルドとは違って、相手は完全に覚醒して身支度も整えられている。胸元で揺れる青い石がついた陳腐な指輪が、窓から差し込む朝日を照らして煌めいていた。


 純白のレガリア――ユーバ・アインスは寝起きのエルドを見下ろし、



「【挨拶】おはよう、エルド。今日も素晴らしい朝だ」


「いきなり何しやがるんだ」


「【回答】エルドが起きないので実力行使に出た。【説明】当機の兵装『微弱電極エレキテル』は静電気を発生させる兵装だ」


「あれ攻撃用じゃねえのか……?」


「【肯定】確かに攻撃用兵装に該当する。【補足】自立型魔導兵器『レガリア』は電気等に弱い傾向にある。特に量産型レガリアは微弱な電気を流し込んだだけでもいくつかの兵装に不具合が発生するなど、静電気等に脆弱性がある」


「そうかい、そうかい。この野郎」



 エルドは大きな欠伸をしてから、ボサボサになった金髪を掻く。髪の長さはちょうど毛先が肩に届く程度である。着替え終わったら適当にまとめてしまった方がよさそうだ。

 まずは着替えをしたいところだが、いかんせんやる気が起きない。このままベッドに寝転がってしまえば、また眠りの世界へ旅立てる自信がある。


 うつらうつらと船を漕ぐエルドに、ユーバ・アインスは言う。



「【提案】顔を洗ってきた方がいい、エルド。少しは目が覚める」


「おー……」


「【補足】その間、当機は朝食の準備に取り掛かる」


「あー……」



 朝食という単語を聞いたエルドの胃腸が、空腹を訴えるようにきゅるるると音を立てる。何だか無性にお腹が減ってきた。

 空腹感によって意識がようやく覚醒方向に向かったエルドは、ベッドから出るとふらふらと覚束ない足取りで洗面所へ向かう。冷たい水で顔でも洗えば、少しは眠気もマシになるだろう。


 洗面所へ向かっていくエルドの背中を見送ったユーバ・アインスは、ぐちゃぐちゃの状態になったベッドを手早く直して非戦闘用兵装を展開する。



「【展開】毛髪支度ヘアセット



 その手に純白の櫛を握りしめて、ユーバ・アインスは洗面所へ特攻するのだった。



 ☆



「ふあぁ……」


「おはよう、エルド。嫁と一緒に出勤とはいい身分だな」


「うるせえな、姉御」



 欠伸をしながら根城にしている一軒家を出れば、団長である黒髪ぱっつんの美女――レジーナ・コレットがユーバ・アインスとの関係を揶揄ってきた。

 別にもうユーバ・アインスのことを「嫁だ」と言われようと、最初の頃と違って即座に否定することはなくなった。むしろ後ろからついてくるユーバ・アインスのことを「あれ? もう嫁だっけ?」と錯覚する始末である。


 料理上手で気配りも出来る、おまけに戦場でも頼りになる。ユーバ・アインス以上にズボラなエルドの面倒を甲斐甲斐しく見てくれる人物はいない。いや、ユーバ・アインスも人間ではないのだが。



「【挨拶】おはよう、団長。【報告】周辺地域に敵性レガリアの反応はない」


「おはよう、ユーバ・アインス。お前は本当に優秀なレガリアだな」


「【感謝】光栄だ」


「そろそろ私の秘書にでもなるか?」


「【否定】当機はエルドの側から離れないと決めている。【提案】申し訳ないが、その役目はどうか他の人物に譲渡してほしい」


「律儀だな、お前は」



 レジーナはニヤニヤとした笑みを浮かべて、エルドの脇腹を小突いてくる。



「エルド、本当に嫁へしてしまったらどうだ? 保証人になってやろう」


「姉御、殴られたいならそう言ってくれ?」



 エルドが右腕に嵌めた戦闘用外装をガシャンと鳴らして拳を握れば、彼女は改造された両足を引いて腰を落とす。蹴りの体勢は万全だ。



「ほう? 私に喧嘩を売るのか、エルド。言っておくが容赦はしないぞ」


「姉御はいつでも容赦をしないだろうが」



 いつだって冗談抜きに蹴飛ばしてくるレジーナから距離を取り、エルドは不満げに団長を睨みつける。部下に優しくない女だ。

 普段からよく見かけているレジーナとエルドのじゃれ合いだと判断したのか、ユーバ・アインスはついに助けてもくれなくなった。通りがかった他の戦闘要員に「【挨拶】おはよう」と挨拶をしている。自立型魔導兵器『レガリア』が人間らしく挨拶をするとは、やはり機械であっても人間らしい。


 レジーナは形のいい鼻を鳴らすと、



「それよりも、少しまずいものが発見された」


「まずいもの?」


「ハルフゥンから距離はあるが、この先に廃墟となった王国がある。すでに地図上から消えているものの、建物などの状態はそのままにされている」



 怜悧な印象を与える緑色の瞳を音もなく眇めたレジーナは、



「エルド、お前は昨日ユーバシリーズの4号機と戦ったと言っていたな?」


「ああ」



 エルドは肯定する。


 確かに昨日、ハルフゥンが量産型レガリアによって占拠されていたので奪還したところだ。その量産型レガリアはユーバシリーズの4号機、ユーバ・フィーアの侵食の影響下に置かれた機体たちである。

 戦闘の途中でユーバ・アインスも乗っ取られるかと思ったが、エルドの機転でどうにかなった。その機転の部分については思い出しただけでも顔から火が出そうになるが、言わなければいいだけだ。



「【疑問】ユーバ・フィーアが襲撃を?」


「いいや、違う」



 レジーナはユーバ・アインスの質問を否定すると、



「この先の廃墟となった王国で、大勢のレガリアが発見された。量産型レガリアの中に人の姿を保ったレガリアもいるから、おそらくシリーズ名で管理している自立型魔導兵器『レガリア』なのだろうよ」


「マジかよ……」


「しかも1万体を超える。大群だ、そんなものが押し寄せてきたら我々も対処しきれない」



 エルドは「確かに」と納得する。


 傭兵団『黎明の咆哮』に在籍する戦闘要員は限られてくる。1万を超える量産型レガリアと自立型魔導兵器『レガリア』の集団など相手に出来る訳がなかった。

 もちろん、こちらには最強のレガリアであるユーバ・アインスの存在もいる。勝てる見込みは十分にあるだろうが、彼だけでは負担が大きすぎる。



「そこで、ユーバ・アインスの秘匿任務を鑑みて『掃討戦』を仕掛ける。あの機体の数が襲い掛かられたら敵わん」



 レジーナはエルドとユーバ・アインスにそれぞれ視線を巡らせると、



「お前たちにも働いてもらう。全力で挑め」


「おう」


「【了解】その命令を受諾する」



 秘匿任務と聞いてユーバ・アインスだけではなく、エルドの思考回路も自然と切り替わるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る