Episode 03

 私はエンジニアに駆け寄って尋ねる。


「その船はどこにいる!? 交信は可能なのか!?」


「当該艦はポイントK24付近、水深50メートルほどの深さにいます。交信は困難です」


 水深50メートル。それはつまり完全に海中に沈んでいるということだ。絶望がゆっくりと覆いかぶさるように脳裏を黒く染めていく。一縷の望みは今まさに絶たれてしまった。調査船が沈んでしまっているのでは、救助の遅れは避けられない。ましてやこの廃海で、人類から忘れ去られたこの島に救助が来るのはいったいいつのことになるのか。途方に暮れる私にエンジニアはさらに報告をする。


「現在当該艦は南西の方角に向かって30ノットほどで移動しています」


「……なに? どういうことだ?」


「おそらく潜水艦だと思われます。しかし通常のものよりかなり小型です」


「潜水艦……!? なぜそんなものが……」


 今回廃海の調査に来たのは我々の調査船だけだったはずだ。潜水艦なんかが存在するはずはない。……だが今まさに私は存在するはずがないと思っていたものに囲まれている。この艦影もそれと同じものだとしたら——


「まさか、それも戦時中の遺物なのか?」


「申し訳ありません。私では判断しかねます」


「うーん、そうね。兵器のことならガンナーが何か知ってるかも」


「ガンナー?」


「ねえ、聞こえてたでしょ。どう思う?」


 姫が呼びかけたのは窓際で海を眺め続けていたあのアンドロイドだ。するとそのアンドロイドは海を眺めたまま無機質な声で答える。


「諸条件に該当する艦船は一件。B3基地に配備されている自律型潜水艇『Killer Whale』であれば現在も航行が可能な状態にあると推測される。機動性に特化しており最高速度は50ノットを超える」


 『Killer Whale』とはシャチを意味する言葉だ。海のハンターとして知られるシャチは確かに潜水艇のイメージと合致する。自律型ということは私が使うドローンなどとは違って、人間の指示がなくとも動き回ることができるということだ。私の中である一つの推測が浮かびつつある。


「その潜水艇は攻撃能力を有しているのか?」


「誘導式対艦魚雷を六発搭載している。敵艦を検知すれば自動で攻撃する」


「やはりそうか……!」


 あの時調査船を攻撃したのはまず間違いなくこの潜水艇だろう。まさか未だにこんな物騒なものが海中を泳ぎ回っていたとは。これでは除染どころの騒ぎではない。それどころかこの潜水艇がいる限り、船舶による海上からの救助も望めないだろう。


「こっちの軍が運用していたものなんだろう? どうにかできないのか?」


「帰還信号を送ってみます。少々お待ちください」


「どう? 何かわかった?」


「……あまり喜ばしい状況じゃないのは確かだ。とにかくこの潜水艇をどうにかしないと」


「それはいいけど少し休んだら? 体温が低下してるわよ」


 言われてみればなんだか少し肌寒い気がするし、空腹やのどの渇きも感じる。いったいどれほど海を漂っていたのかはわからないが、ひとまず彼女の言う通り体を休めた方が良さそうだ。




 医務室のベッドで私が目覚めるとそこにはすでに姫とメディックがいた。一晩休んで体も少し楽になった気がする。


「おはよう、シマザキ。調子はどうかな」


「……ああ、悪くはない」


「そうかい。じゃあ食事を持ってくるよ」


 軍用のレーションは何とも言えない味だったが、それでも今は貴重な食料だ。我慢して食べるしかない。


「セクサロイドなんか作る予算があるならもう少しレーションの味を改善して欲しいものだ」


「食欲より性欲って事かしらね。人間らしいわ」


「……それで例の潜水艇はどうなったんだ?」


「まだ連絡はないわ。手こずってるみたいね」


 そうなると今の私にできることは何かあるんだろうか。通信機器は海に落としてしまったようだし、かといってここの設備を扱えるほどの知識もない。それでもここでじっとしていようという気にはなれなかった。


「……この島を案内してくれないか。何か使えるものが見つかるかもしれない」


「あら、デートのお誘い? いいわ、付き合ってあげる」


 まったくもってこのアンドロイドはどうしてこんなに人間臭いのか。こういうのがここの士官の好みだったという事だろうか。いつ死ぬかもわからない戦場で、性処理用の機械に自我を与え、それを姫と呼んで愛でる。人間というのは本当によくわからない生き物だ。




 施設内は十年も放置されていた割にはあまり荒れた様子はなかった。おそらく機甲兵たちが姫の指示によって定期的に整備していたのだろう。野生動物などが完全に死滅してしまっているというのも要因の一つとして挙げられるかもしれない。だがここに来てから私の中にある一つの疑念が浮かびつつある。


「君たちはこの施設内を除染したのか?」


「いいえ。さすがにそれは不可能よ」


 確かに生物の影は見当たらない。だが私は防護服もなしで生存できているし、何よりあの海に落ちても助かったのだ。つまりこの海域は生物が生存可能な状態にまで回復しているのではないか? ということだ。一度全てが根絶やしにされたのは事実だろうが、今まさにこの海は新たな命を育もうとしているのかもしれない。希望的観測と言ってしまえばそれまでだろうが、どうも私にはそう思えてならないのだった。


「海中探査機のようなものはあるだろうか」


「あるにはあるけど、そんなものどうするの?」


「一応生物学者なんでね。する事がないなら調査でもしようかと思って」


「ふーん。でもあれ、あなたに使えるかしら。まあいいわ、こっちよ」


 連れてこられたのは地下の格納庫のような場所だった。いくつかの機材や弾薬が並べられる中、そこには小型のボートまであった。操船などやったことはないが、これならどうにかなるのではないか。しかし私の考えを見透かしたように姫は言った。


「残念だけどその船はもう使えないわ。燃料が劣化して動かないの。まあ仮に動いたところでこの海域から脱出するのは難しいでしょうね」


「……まあ十年も経てばそうなるか」


「でもこっちのはバッテリー式だからまだ動くわよ。操作は格段に難しいでしょうけど」


 そう言って彼女が指差した先にあったのは全長3メートルほどの人型の機械だった。これと似たようなものを見たことはある。


「これは……潜水用の強化スーツか」


「島や船の補修に使われていたものね。はい、これ操作マニュアル」


「……他にはないのか? もっと小型の水中ドローンとか」


「ないわね。索敵はレーダーでできるしドローンなんて必要ないもの」


 どうも水中の様子を探りたければこれに乗るしかないらしい。性能はそこそこ高そうだが、果たして私に操縦できるかどうか。しかしこれといって他にすることもない。私は渋々手渡されたマニュアルを読むことにする。




 すでに数時間が経過しただろうか。操縦方法を覚えてどうにか陸上での歩行が可能になったころ、ずっとその様子を見ていた姫が私に声をかける。


「エンジニアが報告したいことがあるそうよ。管制室に向かいましょう」


 結局調査船はレーダーでは捕捉できなかったわけだからすでにこの海域を脱出している可能性が高い。そうであればやはり救助船の安全を確保するためにもあの潜水艇をどうにかする必要がある。だがエンジニアの報告は私の期待に背くものだった。


「帰還信号を200回、停止信号を100回送りましたが一切の反応がありません。当該艦のAIに何らかの異常が生じているものと思われます」


 AIの異常。こちらの信号を受け付けない以上、海中を移動する潜水艇をどうこうできるとは思えない。これで事態は振り出しに戻ってしまった。もうこれで打つ手はなくなってしまったのだろうか。しかしもはやそんなことを考える気力もなかった。今こうして生きていることがすでに奇跡なのだ。そう都合よく何度も奇跡は起こらない。

 私はふらつく足で医務室に向かい、ベッドに倒れこむ。このままゆっくりと眠るように死んで行けたらどれだけ幸せだろうか。飢えに苛まれながら苦しんで死んでいくなんて耐えられない。私はうずくまってただ震えることしかできなかった。


「現実逃避が必要かしら?」


 いつの間にか姫がベッドのすぐそばに立っていた。もし私もアンドロイドだったなら、こんな思いをせずに済んだだろうか。その朽ちることのない人工の体を初めて羨ましいと思った。そして同時に、それを滅茶苦茶にしてしまいたいという強い衝動が湧き上がるのを感じた。


 私は姫の体を衝動のままに押し倒した。

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