砂漠のオラクル

平河廣海

第一章 オメガアルファ

第一話 己の闇を乗り越えろ!!

「……ですからお願いです。私の世界に転生して、皆を……、彼女たちを、救い出していただけませんか?」


 消え入りそうな声で、……それも、深い深い沼の底に沈んでいくような、悲痛な面持ちで懇願してくる。

 それこそ、目の前の彼女が、何もできない、か弱い少女だと勘違いしてしまいそうなほどに。

 でも、それは違う――彼女は、力ある、神様のはずなのだ。

 そんな彼女が、なぜ……。


 なぜ、オレのような、罪深い、何もかもから逃げて、捨てた人間に、……悪魔に、懇願してくるのだろうか――。



 ※



 オレは、人殺しだ。

 悪魔だ。

 「家に住んでいる連中」全員と、自分自身を殺した。

 つまり、普通の人でいう、家族を殺したということだが、オレはそいつらを「家族」というくくりに入れていない。

 オレの名前が「古賀こが広海ひろみ」なので、あえて言うなら、「古賀家」とでもいうべきか。

 ……あんな、己の非を認めず、人のことを貶め、貪り、害をまき散らし続けるような、糞ジジイと糞ババア、そして、なにもしようとしない、無責任で他人に責任を押し付ける、父親にあたる人物が穢らわしかった。

 そいつら古賀家のせいで、母親と、その子供たち、つまりオレを含む兄弟は、ずっと辟易としていた。

 なにか意に介さないことがあれば、殴られる、いちゃもんをつけられる、怒鳴られる、全部母親や、こちらのせいにされる……。

 晴れることのない黒い霧のような気分にふさがれ、いつも独りだった。それがいつの間にか、胸の奥に黒く、禍々しい感情へと姿を変えて、静かにくすぶり始める。

 そして、それはいつしか、同じように怒鳴り、怒りの沸点が低く、何をすれば認めてもらえるのかもわからない要求をし、全てをオレの責任にする、母親に対しても向いていた。

 さらには、そんな穢れた血を引く、兄弟や、オレ自身にも……。


 そんなあるとき、父親にあたる人物と口論になり、オレの身を投げられ、物が壊れた。

 その口論のきっかけは、糞ババア。

 最初にうるさく騒ぎ立てたのは、父親にあたる人物。

 挙句の果てに、そいつは物が壊れた責任をオレに押し付けた。


 なにもかも、オレの責任。


 たとえそれが自分の責だとしても、押し付ける。

 全部。


 ……穢らわしい。

 みんな。

 そんな穢れた血が、オレに流れている。


 吐き気がした。

 オレの体を恨んだ。

 どうして、あんな、自分の責任を押し付けるような、貶めるような、全てを壊すような、穢らわしい奴らの血を引いているのか、と。

 この感情をどこにぶつければいいのか、と。


 その答えは、見つからなかった。


 そして、オレの心は壊れた。


 もう、どうでもいい。

 全てを無にして、その穢れを祓おう。


 だからこそ、あいつらの血を少しでも引く、古賀家の連中と、従弟の家が一堂に会する大晦日、そいつらに恨みを、怒りを、無力さを、全て、ぶつけた。

 一人一人が寝静まった後、包丁でその首筋に浮かぶ、命という名の温かく紅いそれを運ぶ管を、切り付け、その源となる心の臓目がけて、胸にも突き刺した。


 何度も、何度も。

 一人一人に。


 その時の肉を食い破る感触や、跳ね返ってくる温かい感触を感じた瞬間、オレは心の底から歓喜し、……それを穢らわしく思った。

 その穢れた血に濡れてしまったから。


 それでも、止めるわけにはいかなかった。

 その穢れを祓うためには、まだやることがあったから。

 全員を殺した後、残る穢れた者はオレ一人。


 ……そいつも殺し、尚且つ穢れを祓わなければならない。

 だからオレは、いつか漫画で見たように、壁に包丁を突き立て、そこに背中から飛びつき、息の根を止めることを考えていた。

 業火に包まれた、家の中で。

 己の身もろとも燃やし、その穢れを祓おうとしたのだ。

 それは、どこかで火は神聖だとか、穢れを祓えるとか、それ以外に強い抗議を意味するとか、そんなことを聞いたことがあった気がするからだが、実際はわからない。それでも、やったことを正当化するためには、やらなければいけなかった。

 やり切らなかったら、巻き込んでしまった兄弟や従弟が死んだ意味がない。


 その人たちのためにも、オレが立てる物音しかない世界で、灯油を撒き、火を放つと、あっという間に青い炎に包まれ、焼け焦げる音でいっぱいになった。

 オレも火だるまになる。

 熱いのか、痛いのか、もはやわからぬほど、全身を針で貫かれたような感覚が一気に襲われた。

 その瞬間、生き物としての生存本能が働き、恐怖や逃げたいという、甘えが生じる。


 ただ……。

 ただ、確実に死ぬためにも。

 穢れたこの身を確実に滅ぼすためにも。

 そして、逃げる道を作らないためにも。


 心を凍らして、突き立てた包丁へ背を向けて、一気に地獄へと飛び出した。


 ……。

 ……。


 走馬灯だろうか。

 自分の体がゆっくりと終わりへと向かうのを感じながら、これまでの人生を見た気がする。

 でも、それは関係なかった。


 ……どうすれば、こんな最悪の結末を避けられたのだろうか。


 今更ながら、そんな後悔なのか、どうなのか、よくわからない感情が芽生え、焦燥感に襲われる。


 本当は、幸せになりたかった。

 受験勉強すっぽかしでゲームで世界を目指し、国公立と私立、両方第一志望の中で、私立の薬学部に、受験勉強なしで受かったこと。

 そのゲームで世界を目指すという自己紹介もあってか、大学で友達ができたこと。

 世界大会には行けなかったけれど、インターネットの世界ランキングで、一日世界一になれたこと。

 ……そして、好きな人ができたこと。


 将来は薬剤師になって、幸せな未来を掴むはずだった。

 それなのに、古賀家のせいで、心を壊してしまって、何もかもを壊してしまった。


 ……なにが薬剤師だ。

 こんな悪魔などに命を預けるわけにはいかないではないか。

 ……医療者、失格だ。


 なにか、方法があったのではないだろうか。


 心が壊れてしまっても、「大学」という、「ゲーム」という、「友達」という、「好きな人」という、逃げ道が、拠り所が、味方が、……心の闇を照らす光が、あったはずではなかったのか。

 もし、それに寄りかかれたら……。

 それは、どんなに幸せな世界だったのだろうか。


 それでも、そんな支えになるかもしれないものに寄りかかれないほど、心は壊れてしまったし、信頼できなかった。

 勇気を、持てなかった。

 その人を傷つけるのが、怖かったから。


 ……笑ってしまう。

 もしその人がオレの死を知った時、この惨禍を知った時、どう思うだろうか。どっちの方が傷つけられたか。

 そんな比較など意味ないのだが、つい考えてしまう。


 きっと、なにも思わなかっただろう。


 ……でも。

 もし、少しでも悲しんで、何かできることがあったのではと、後悔してくれたら……。

 そんな風に期待してしまうのは、なんて残酷な考えなのだろう。


 それは、少しでもあったはずの好意を、全て裏切るという、その人の心を完膚なきまでに痛みつける、罪深い行いだったはずだ。


 今となっては、どうだったのかわからない。


 それでも、この結果を選んだのは、他でもない、オレだ。

 ならば、この罪を、地獄で、永遠に償おう。

 こんな罪深い男には、……悪魔には、地獄がお似合いだ。


 正直、古賀家の連中を殺したのは、悪いことだとは思わない。

 だけれども、そいつらのせいで不幸な運命になった、オレたちへの償いはしてほしい。

 それがそいつらの死だというのならば、それは果たされたということ。

 ……それを信じて、果てるしかない。


 ああ。

 あと、ちょっと。

 あとちょっとで、この世界からは、おさらばだ。


 ……。

 みんな。

 生まれてきて、ごめんなさい。


 ……桜空さらさん、好きだった。


 さよなら。


 もし。

 もし、次があったならば。


 今度こそ、だれかを、大切な人を頼ろう。


 そう決めた。


 そのまま背中から刺されるような刺激を感じた途端、全てが闇に沈んだ。



 ※



 それなのに、無になり闇に包まれた体に、意識に、突然光が差し込んだ。

 そして、自分の体を感じ、周りから感覚が次々と入ってくる。

 まるで、生きているかのように。

 そんなはずはないのだが、もしかすると、地獄についたのかもしれない。あわよくば天国かと思ったが、地獄がお似合いのオレには、光が差し込んだという事実に疑問が残る。

 地獄は闇そのものだと思っていたが、もしかしたら明るいのかもしれないし、業火などの光源が目に入ったのかもしれない。

 果たしてどうなっているかを確かめるために。


 まぶたを開けると、天界とでもいうのだろうか、真っ白な雲の地平線がどこまでも広がり、真っ青な空に覆われている光景が飛び込んできた。

 天界、と表現したが、もしかしたら、天国とでもいうべきなのかもしれない。

 それくらい、厳かで、清らかで、温かで、……闇そのもののオレには、とても不釣り合いで、居心地が悪い。

 そうやって当たりの様子をうかがっていると、目の前に、人影があることに気付いた。


 なにかを知っているに違いない。


 そう思うと、動き出す足は止められないし、止めようとも思わない。

 とにかく、今の状況を知りたかった。


 雲の上にいるためか、吸い込まれるように足音がないことを感じながら目の前の人に近づくと、向こうもこちらに気付いたようで、振り返り、こちらに視線を向けてきた。

 そこで初めて気づく。


 桃色の長髪で、薄く白い衣を纏い、まるで古代ギリシアの人物のような格好をしている。

 なにより、その胸が強烈で、衣が破れるのではないかというくらい、大きい。

 ……どうやら、女性のようだ。

 衣も一枚だけのようで、薄く、太ももの半ばくらいから下だったり、二の腕だったりが露になっていて露出がすごく、また、少しでもかがまれると、その胸の谷間が目につきそうで、すごく視線のやり場に困るような状況だ。

 おまけに大きな目がくりくりとして愛らしく、正直に言ってすごくかわいい。

 もし現代日本に現れたら、トップモデルになるのではないかと思うくらい、プロポーションの取れた体つきで、数多の男の目を引き付けるに違いない。


 そんな刺激の強い恰好で、顔立ちも最高だったが、なぜか、男であるはずのオレの心は、少しもいかがわしい気持ちが芽生えない。

 それは、女性が放つ威圧感や、場の厳かな雰囲気のためだろうか。

 いずれにせよ、その視線からは逃れられず、磁石が引き合うように女性のそばへと引き寄せられる。


「……お待ちしておりました。古賀広海様」


 困惑するオレの様子など気にも留めず、細い腕を広げて聖母のような地合いの笑みをたたえて出迎える。

 しかも、まだこちらの名前はおろか、声も聞いていないのにだ。

 自然と女性への目つきが鋭くなる。


「誰ですか? なぜオレのことを知っているんですか?」


 声に出しながら、自分が何も変わっていないなと、内心苦笑する。

 オレは自分でいうのも変かもしれないが、すごくまじめで素直だ。コツコツと努力を重ねたり、やろうと決めたことはやり切ったり、そのためか学校では先生におおむね気に入られていたり。極めつけは、中高一貫校に通っていたのだが、その在学期間の六年を、無遅刻無欠課無欠席で過ごし、表彰されたくらいだ。

 そんな性格だからこそ、だれにも頼ることができず、破滅を迎えてしまったのだが。

 死んだ今でもその性格が歪んでいないのは、なかなか頑固なものだと思わざるを得なかった。


 そんな物思いを、女性へ鋭い眼差しを向けたままにすることで隠していたが、彼女は気にしていないらしく、微笑を携えて言った。


「ごめんなさい。自己紹介がまだでしたね。私の名は『ガリルト』。人々からは『ガリルトしん』と崇められている、神です。あなたが住んでいた地ともつながりがあったため、時々様子を見ていたのです」


 彼女の言葉が本当ならば、神様だということだ。神様のような力ある存在ならば、今も感じる威圧感や、厳かな雰囲気も納得で、オレの存在を知っていたとしてもおかしくはないと思った。

 神様のことを信じない人ならば、神様だということ以外は納得できるだろうが、オレの中高はキリスト教の学校で、オレ自身、主なる神のことを、クリスチャンではないけれども多少は信じていたので、割とすんなり彼女が神様だと信じることができた。


「そうなんですか。でも、ならばなぜ、オレのような存在を待っていたのですか」


 彼女がこちらを見ていたというのならば、オレのしたことを見ていたはずだ。

 人殺し。

 自殺。

 到底人間扱いできない行為を、だれもが避けたいと思うようなことをして、それでも呼び寄せられたということだ。

 そんな悪魔の所業をやらかすような穢れた存在など、穢れのない、力ある神ならば、忌み嫌うものだと思う。

 わざわざ呼び寄せる必要があったにせよ、それはオレでなくともよかったはずだ。


 そんなオレの困惑と、ようやく終わったと思っていた忌むべき苦しみが思い返されて、少しずつイライラしてくる。

 早く解放してほしい。

 早く、オレのような穢れた存在を、跡形もなく、消し去ってほしい。


 だが、彼女は苦笑しながら言った。


「……ええ。わかっています。あなたが生前、どのようなことをし、終わりを迎えたのかを。……だからこそ、私はあなたを呼んだのです」


 それから彼女は、言いたくないことなのか、目を瞑り、その表情を苦しげに歪ませ、ため息をついて言った。


「……勝手なお願いとは分かっています。ですが、あなたしかできないことだと思いました。悩み、苦しみ、冷たい判断をして実行しながらも、それを反省でき、残された者の気持ちに思いを巡らす、あなただけにしか。

 これは、人を殺せない甘い者には、人の命をなんとも思わない悪魔では、到底なしえないことですから」


 そして、彼女は瞼を開け、その大きな瞳をまっすぐにオレにぶつけた。


「私の世界では、私の民が、裏切り者を崇拝する者たちに、滅ぼされようとしています。それこそ、己の力欲しさに手段を選ばない、とても醜いもの。その手のうちに、私と言葉を交わしてきた、娘のような子たちが落ちようとしている。

 それがわかったのはだいたい百年ほど前のことです。ですが、私は直接手を下すことができません。神の私が地上で力を振るえば、跡形もなくすべてを消し去ってしまいますから。それに、裏切り者との争いに発展するのが目に見えていて、さらにひどいことになるのはわかり切っていました。

 そんなことにならないよう、娘たちが幸せになれるよう、私は神託を授けたり、力を蓄えたり、……この状況を打破できるだけの器がある魂を、探し求めていたのです。

 そして、『その人』が、……あなただった。

 ですからお願いです。私の世界に転生して、皆を……、彼女たちを、救い出していただけませんか?」


 消え入りそうな声で、……それも、深い深い沼の底に沈んでいくような、悲痛な面持ちで懇願してくる。

 それこそ、目の前の彼女が、何もできない、か弱い少女だと勘違いしてしまいそうなほどに。

 でも、それは違う――彼女は、力ある、神様のはずなのだ。

 そんな彼女が、なぜ……。


 なぜ、オレのような、罪深い、何もかもから逃げて、捨てた人間に、……悪魔に、懇願してくるのだろうか。


 それは、初めに言った通りとするならば……。


「……事情はだいたいわかりました。つまり、自分が直接手を下せないから、自分の民を救うために準備していて、その切り札として、オレを呼び寄せた、ということですね?」

「そうです」


 一旦彼女の言葉を自分なりに整理すると、彼女は先ほどまでの弱々しさとは打って変わり、凍り付くようなほどの冷たさと強さで相槌を打つ。

 神でありながらも緊張しているからこそなのかもしれないが、巻き込まれた形のオレとしては、余計イライラが募る。


「で、オレが選ばれたのは、人を殺すのに躊躇しない悪魔だけど、それでも反省したり、残された者の気持ちを考えるから、と」

「そうです」

「……ずいぶんと身勝手で、人殺しのことを信用しているんですね。買い被りですよ」


 イライラを抑えられず、ついに所々相手に怒りをぶつけるような、乱暴な言葉を吐き捨てる。


「聞いてあきれますよ。オレは人殺しなんですよ? 自分の命を捨てたんですよ? みんなを裏切ったんですよ? 誰にも相談せず! 自分だけ抱え込んで、それに耐えられずに逃げた! 『自滅』ってやつですよ! そんな弱い奴に! 『悪魔』に! これ以上何をやらかせってんですか!? 救えるわけないでしょう? あなたの大事な民を、娘たちを! またどうせやらかすに決まってる! こんな奴に頼み込むなんて、お門違いにも限度がありますよ!」


 気づけば、目の前の存在が神様であるのに、怒鳴ってしまっているが止まらない。

 ただ、それくらいオレは馬鹿で、情けなくて、弱い、「悪魔」だ。それは変えられない、事実だ。

 ……未来永劫、消えることのない、赦されることのない、罪だ。


「……あれ?」


 そう思った瞬間、視界がぶれる。

 慌てて目を擦ってみると、手が濡れていくのが分かった。


「なんで……」


 理由はわからない、……そんなわけない。

 これは、悔恨だ。

 どうしようもない、だれからも赦されることのない、罪を犯したことへの。

 このオレが、「悪魔」になり果ててしまったことへの。

 それを自覚した途端、それは次から次へとあふれ出て、嗚咽へと変わっていった。

 そのまま目の前の存在など忘れてしまう。


 ……やり直したい。

 不意に、そんな気持ちが芽生えるが、……もう、済んでしまったことだ。

 過去は変えられない。

 そのことを誰も、自分でさえも赦せないし、赦されたかどうかも知ることができない。

 だから、この感情をどこにぶつければいいのかわからず、ただ号泣することしかできなかった。


「……救われたいですか?」


 そんなオレを慈しむような声が聞こえた。

 鼻をすすりながら目の前を見ると、聖母のような包容力を携えながら、神に見つめられていた。


「……はい」


 先ほどのような勢いは影を潜め、代わりにすがるべき母親を探し求める、赤子のような弱さでオレは呟く。

 情けないことこの上ないし、最低だと思う。

 それでも、やはり幸せになりたい。


「ならば、先ほどの私のお願い、果たしてくださいますか?」


 神の世界に転生して、彼女の娘たちを救うこと。

 それが、彼女の願い。

 ……果たして、オレにできるだろうか。

 こんな、弱いオレに。


「そのために、力を授けます」


 力。

 それをもらうのは当然なのかもしれない。

 異世界転生するゲームや小説でもよくある。

 だが、オレの場合は……。


「あなたの懸念ももっともです。あなたが力に溺れて、暴走してしまうかもしれない。だから、徐々に力を授けることにします。……すべてを明るく照らす光の力――『黄魔法』を」


 魔法。

 もしかしたら、彼女の世界では当たり前の存在なのかもしれない。

 その力を、徐々にとはいえ、神様からもらえる。

 しかも、オレの中に潜む、闇を打ち晴らすような、光の力を。


「……ですが、気を付けてください。あなたが犯した罪によって、全てを闇に染める、邪悪な魔法――『黒魔法』に目覚めるかもしれません。その力は、私の手からは離れた、異端の力。別名、『悪魔魔法』ともいえる存在です。それは強力で、私の娘たちを救う大きな力になるでしょうが……、その力を振るうたび、あなたはどんどん闇に染まることとなるでしょう。あなた自身の闇に支配されるようなものです」


 ……黒魔法。

 とても強力なようだが、おそらく、使うたびにどんどん自分が自分でなくなってしまうのだろう。

 自分自身の闇に支配されるというのはそういうことだ。

 現に、オレは黒い感情に支配されていった結果、何もかもから逃げ、全てを捨ててしまったのだから。


「だから、これもお願いします」


 いつの間にか涙は止まっていて、オレは彼女の大きな瞳を見つめる。


「……己の闇を乗り越えろ!!」

「……はい!」


 つい、勢いよく返事をしてしまう。

 急に目立つような行為をしてしまったから、恥ずかしくて、頬をいじりながら目をそらす。顔が熱くなっているのがわかるので、真っ赤になっているのだろう。

 そんなオレを見つめる彼女の微笑みは、とても温かで、忘れてしまっていた温もりを感じる。


「そして、娘たちを救い出してください。……あなた自身も、彼女たちを頼り、救われてください。そうすれば、私はあなたの罪を赦しましょう。もちろん、彼女たちも赦してくれるはずです。約束です」


 そう言って彼女は左手の小指を突き付けてくる。

 思わず苦笑してしまう。

 俗にいう、指切りげんまんだ。

 失敗したら、針を千本、飲まされてしまう。

 こんな罪だらけのオレには些細なことかもしれないが、ごめんこうむりたい。

 それでも、その約束を果たせば、だれも赦してくれない罪を、赦してくれるというのだ。

 しかも、娘たちも赦すという。

 神様である彼女は確実だが、娘たちも保証するというのは、少々横暴な気がする。

 ……それでも、赦されるということが、彼女のやさしさが、ありがたい。

 その彼女のためならば。

 娘たちのためならば。

 オレが犯した罪に巻き込まれた人たちのためならば。

 オレは、オレのできることをやろう。


「……わかりました」


 オレも彼女に左手の小指を差し出す。

 それを互いの指に絡ませて。


「それでは約束ですよ」


 彼女の手のひらから光が溢れだし、オレを包み込む。

 温かい。

 最後に感じたのは、いつだったろうか。

 思い出せないが、その時は確かに幸せだった気がする。

 それは彼女のやさしさそのもので、オレに力を分け与えているらしく、自然と力が溢れてくる。

 オレは理解する。

 これが、「約束」なのだと。


「……それでは、行ってらっしゃい。あなたの健闘を祈ってますよ」


 そのまま辺りは真っ白な光に包まれる。

 それにつれて、彼女の存在も希薄になってくるが、その約束のやさしさは胸の中にある。

 もう、大丈夫だ。


 さあ、今度こそ。

 オレは、幸せにしてやる。

 幸せになってやる。


 そのために、一つ一つ、できることをやろう。

 楽しんでいこう。


「……行ってきます」


 そして、始めよう。


 ――神様にもらえた、君との異世界生活を。

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