第18話 波打ち際の怨念

 全身の痛みを堪え荒々しく呼吸をしながら、やっとの思いで樹海の縁にある浜辺へ上がる。海水に濡れた着物が重い。

 このまま浜に倒れ込みたかったが、最後の力を振り絞って身に纏っていたものを全て脱ぎ捨て、それからゆっくりと身を横たえる。

 ゴーレムの拳を受けた箇所、腕や胴体の正面は痛々しく変色していた。

 この状態で海の底を延々泳いできたのだから、我ながら大したものである。ここまで息が続いたのも驚異的だ。

 幾つかの奇跡が重なったお陰で、あの絶望的な状況を生き延びられた。


 しかしながら、ここからが面倒なようである。たった今までは命の危機ということもあり、神の加護も重なってどうにか動けていたものの、一度こうして気を落ち着けてしまうと当分、活動出来そうな気はしなかった。

 骨が折れていたりしないだろうか。

 治癒の魔術を行う元気もない。

 瞳を閉じてじっとしていると、何かの気配がした。人が歩み寄ってきた感覚が頭上に迫る。


 シャルルではないだろう。彼は沖合に俺の怨念が広まらなかったことから、こちらが何らかの方法によって生存しているとは気付いているはずだが、この場へ物静かに接近するのは有り得ない。

 あの場では事前にゴーレムの核を砂地に埋め込んで準備をしていたからこそ有利に立ち回れていたが、そうした策もなく至近距離で一から術を発動させるとなれば俺の金毛の方が早い。直接姿を見せて接近しては来ないだろう。

 また、先程のゴーレムをそのまま連れていれば相応の足音が響いているはず。

 横になったばかりなので俺が寝ていると勘違いした可能性もないし、そもそも気配の正体に対して何故か、確信があった。


「そのまま、目を閉じていなさい」


 男の低く落ち着いた声。俺が瞼を開いたら消えてしまうのかもしれない。


「予が分かるか」


「魔王様?」


「お前はいつも予をそう呼ぶが、それは生前の称号だ」


「では、エイカ様ですか」


「うむ」


「お世話になっております。お陰で先程も、命拾いしました」


「あれは単にお前の成長だ。あの土壇場でよくぞ上位の式神を成功させた。死の際で急激な成長を遂げてみせるなど、格好良いではないか」


 初めて言葉を交わすその人物は愉快そうに笑った。

 ゴーレムに殴られる寸前、死ぬ気で行使した上位の式神が成功し、それを拳との間に据えて盾としたことにより幾らか威力の軽減に成功し、即死を免れたのだった。


「海の中でも力をお貸し頂いたかと」


「あれは予ではない。セイガの力だ」


「あの、鬼の」


 いつまでも息を止め、負傷した身体で海底を泳ぎ切る力を与えてくれたのは昨日初めて拝んだばかりの神だった。


「途中から角まで生えておったぞ。気付かなかったか?」


「全く、分かりませんでした」


「この先を歩み切りたければ、その力も修めておくのだな」


 本題に入るぞと前置きして、エイカは続ける。


「これからこの地で反乱が始まる。お前の相棒は無事逃げ切り、都まで辿り着くだろう。だが、お前は逃げてはならない」


「反乱と戦え、と」


「この北西で全てを制するのだ。それこそが、王侯貴族の沙汰に己の命を任せる惰弱な運命を打破し、自らの道を行くための活路である。鬼と式神の力を極め、立ちはだかった強者は全て這い蹲らせて女王の前へ凱旋せよ」


「御神託、有り難く頂戴致します」


 返答と共に、気配は消失した。

 そのまま引き続き横たわって痛みに耐えていると、重々しい足音が聞こえてきて目を開く。


「其方、敗れたか。とはいえ何がどうしてこの場で倒れているのだ? それも、人が衣服も纏わずに」


「派手にぶん殴られて海へ叩き込まれたのさ」


「あの土人形には敵わぬのう」


 先程打倒し、森へ追い返した熊がそこにいた。


「貴方があの場に出てきていたのは、シャルルというあの魔術師の差し金か」


「左様。あやつ、巨大な土人形を連れて我の縄張りに押し入った挙げ句、我を叩きのめしてあの土地を占領するよう命じたのよ。強い魔術師が訪れて敗れるまでという条件を付けてな」


「全く、とんでもないクソ野郎だ」


 思い出すと殺されかけた恨みが沸々と煮え滾ってくる。

 神に命じられるまでもなく、あの男は生かしておくものか。どうせ反乱を首謀した謀反人、どれだけ無残に殺したところで問題はない。


「それで其方、見たところ致命傷ではないようだが、動けそうでもあるまい?」


「暫くは碌に身動き取れなさそうだ。人里に戻るわけにも行かないし」


「人間同士の事情は分からぬが、我にとって重要なのは其方にここで死なれ土地が穢れはしないかということだ」


「そこまでの迷惑は、掛けなくて済むと思うが」


「時折様子を見に来よう。餓死しそうなら言うが良い。果実くらいは運んでこよう」


「恩に着る」


 そうして熊もまた去っていった。

 これで当面の安全は確保されただろう。まさかシャルルも反乱で忙しい中、こんなところまで俺に対する捜索網を及ぼしたりはしまい。


「鬼と式神の力を極め、か」


 傷を治しながら、ここで修行だ。恐らくどちらのコツも掴めたので、そこまで遠大な話ではないはず。


「祟ってやるからな」


 シャルルに向け、そう呟いた。

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