僕とメグの恋愛事情
エルサリ
第1話 相談
くだらない話といえば、その通りだ。
この話はしょうもない結末しか迎えない。
だが、語りたい気持ちを抑えられないのは、僕が彼女に対して、あるいは僕らの複雑な恋愛事情を誰かに知ってもらいたいからだろうか。
ーーー
「明日は雲1つない快晴となります」
夕方のニュースを見ながら、ちゃぶ台の上のカセットコンロに日をつけ鍋を沸かす。
鍋をつまみながら、窓の外を見上げる。
黄昏ーー雲一つないきれいな夕暮れが見え、穏やかな一日の終りを感じる。
今日はゆっくりしよう。腰を上げてお風呂を沸かしに行こうとしたときーー
ーーガチャ。
「ねえねえねえ、聞いて!私の彼氏、浮気しているの!」
突如、玄関が開け放たれて、叫び込んでくる一人の女性。
彼女の名は、明野恵。
これは、僕とメグの恋愛事情を巡るお話である。
ーーー
メグは僕が所属する気象予報研究会の1つ下の後輩だ。好きな雲は積乱雲。
普段、サークルにいるときは菊池真以著の「ときめく雲図鑑」をモクモクと読んでいるだけではあるが、僕とは気が合うのか、気さくに話しかけてくれる。
なによりーー
「先輩、家上がりますよー!話聞いてくださいー!」
酒を飲んでいるときは、誰よりも気さくだ。
ーーー
「この写真、見てください!」
ちゃぶ台に置かれた写真には、2人の男女が手をつないで歩いている様子が写っている。
女性は見たこともないが、男性はみたことがある。
高良翼ーー気象予報研究会の僕の同期だ。好きな天気は雷で、いつも稲妻模様の服を着ているファッションセンスの欠片もない男だ。だが、雷とはつまるところ、積乱雲から生じる自然現象であり、メグと気が合うということも頷ける。
メグと翼が付き合っていることは知っていた。僕からしたら複雑な気持ちではあるが、口出す筋も立たない。ただただ、雲々の流れ行くさまをぼんやりと見ていた。
写真を見る限り、浮気と言われれば浮気だ。だがーー。
「これだけじゃなんとも。手をつなぐぐらいあるでしょ?」
確証がないことを言うべきではないと思った。なによりメグが目の前で悲しむ姿も見たくない。
すると、メグは顔を膨らませて、僕を問い詰めてくる。
「え?先輩は付き合ってない女性と手をつないだりするんですか?」
よく考えれば、そんな経験はしたことがない。
「いや、僕がじゃなくて。一般論!一般論として、異性で手を繋ぐのは不思議なことでもなんでもないってこと」
ーーー
「ふーん……。でも待ってください。こっちも見てください!」
まだあるのか。
メグは写真をもう1枚出して目の前に置く。写真は夜、男女2人が一軒家に入っていく様子が見える。後ろから撮られているため、顔まではわからない。家の表札なども見えない。だが服は1枚目と同じで、同一人物であることがわかる。
これは……。
もはや決定的な浮気現場ではないか。
いやまてしかし。浮気という確証が得られない以上はメグを不安にさせることを言うべきではないだろう。
「いや、これも、まだ、ほらホテルでもないし……」
「じゃあ夜に、男女が、ひとつ屋根の下で、何もなかったと言うんですか!?それを信じろって言うんですか!?」
メグがモクモクと顔を膨らませる。まるで積乱雲だ。
ーーー
だが、ここで一つの重大な事実に思い当たる。
「それを言うなら、メグだって、今僕の家にいるわけじゃん。つまりメグは僕と浮気していることになるんじゃない?」
「な、な、なんでそんなことを!?先輩は私のことをーー」
「ち、違うって!客観的!客観的に見てよ!僕らの状況とこの写真の状況は同じってこと。男女が1つ屋根の下にいるからって、浮気を疑うべきじゃないと言いたいだけ!」
僕は努めて冷静に言ったが、心の中は動揺していた。確かに浮気の相談に来た人に「君も浮気しているのでは」というのは失礼な話だった。だが、まるで眼中にないと言わんばかりのメグの言動に、僕は少しの不満と大きな落ち込みを感じていた。
言葉に出来ないような感情が上昇気流のようにモクモクと込上がってくる。
心に雨を降らす必要がありそうだ。
ーーー
「だったら、これも見て!これでも何もなかったっていうの!?」
彼女がバンと写真を机に置く。
まだあるのか。
写真には家から出てくる男女。今度は顔がはっきりと写っており1枚目と同じ女性と翼だとわかる。周りは明るくなっていて、おそらく先程の写真の後、朝の時間帯だろう。つまり彼らは一夜を家で過ごしていたのだろう。
これは……。
「これは、浮気だね。間違いないよ」
もはや確定だろう。否定する材料はない。もちろん家の中で何をしていたのかは想像する他ないが、とても健全な様子を想像することはできない。
「なんなの!?なんで、そんな事言うの!?バッサーが浮気しているっていうの!?」
浮気を言い出したのはメグのほうじゃないか。あと翼をバッサーと呼ぶのをやめろ。
「いや、だってどう見ても男女が一夜を過ごした後じゃん」
「い、一夜って言わないでよ。いかがわしいことしたみたいじゃん」
「だったらメグは浮気じゃないっていうの?」
「バッサーが浮気なんてするわけ無いじゃん」
メチャクチャだ。女心と秋の空とはいうが、本当に秋の移動性高気圧みたいだ。
ーーー
ん?
ふと、違和感に気がつく。
「メグ、この2枚の写真なんだけど」
「なに?」
メグはそっぽを向いたまま答える。
「この2枚の写真の間、2人はどうしていたのかなと思って」
「……なんなの。2人で家に入ったんだから……、エッチしてたとか言いたいの。先輩に相談したのが間違いでした」
「違う違う!僕が言ってるのは写真と写真の間。この3枚目は明らかに朝に撮っている。家から出て来るタイミングなんて一瞬だけど、まさかずっと、家の前で待ち構えていたのか」
写真は確かに浮気の証拠となる様子が写されている。だけど、あまりにもきれいすぎる。プロの探偵が撮ったみたいだ。しかし、学生同士の交際でそこまですることはないだろう。
「先輩、それなんですけど……。この写真、私が撮ったわけじゃないんですよ」
「え?そうなのか?」
「今日は3限までしかなかったので、15時くらいに家についたんですけど、郵便受けにその3枚の写真があって……私そっから……あれ、どうしたんだっけ?」
なるほど。
たぶん、やけ酒飲んで僕の家まで来たんだろうな。
ーーー
「まってください、先輩。たしかにこの写真は誰が私に渡したのかはわかりません。でも、この写真は、間違いなく、浮気の証拠じゃないですか」
そう、この写真の送り手に善意か悪意があるかはわからない。だが、この写真が浮気の証拠で有ることは間違いない。
「どうですか、浮気しているんでしょ!私よりもこの女のことが好きなんですよね!?」
まるで、僕が浮気したみたいじゃないか。
「私のことは、もう好きじゃないのかな」
弱々しい声をあげる。
メグからは酒の匂いとは別にせっけんのような香りがして、色気を感じる。ふくよかな胸が僕に触れそうな距離まで近づいて、心も身体もモクモクしてくる。
待てよ。
ふと僕の心の悪魔が目を覚ます。
翼が他の女の子のことが好きになることは、僕にとってはいいことではないか。もし、浮気が原因で別れたとして、傷ついたメグの心の中での恋愛ダービーでは、間違いなく僕が優勢だろう。それどころか、今日僕の部屋に来たのは、メグにもなにかしらいかがわしい想いがあるのかもしれない。夜中に男女がひとつ屋根の下にいて、手を出さないほうが帰って失礼なのではないか。
「メグ、僕は……」
僕はゆっくりとメグの肩に両手を置いた。
ーーー
僕は肩においた手を伸ばし、メグと距離を置く。
暗雲が立ち込めていた心を晴らし、努めて冷静に考える。確かに翼は浮気をしているかもしれない。それならば、なおさら別れた後に、付き合うようにしたほうがいいではないか。
そして万が一にも翼が浮気をしてないなら、僕がメグに手を出すのは何1つ筋が通らない。
「メグ、もう少し、考えてみない。本当に翼が浮気してると思うの?」
つまり、僕がするべきことは保留だ。真実がわかるまで、メグには手を出さず、そのうえ親身になってあげるんだ。逃げているわけではない。
「ううん、バッサーは浮気しない。私のこと大好き」
「そう、だから別の可能性を考えてみない?」
「別の可能性って言われても……」
「例えば、姉とか妹とか、家族の可能性があるだろ」
「……先輩、適当なことを言ってませんか」
「いや、根拠はある」
僕は2枚目の写真を指差す。
「この家、一人暮らしするには大きすぎる家だ。つまりはどちらかの実家だろ。でも普通に考えたら浮気相手を実家に連れ込むのも、浮気相手の実家に遊びに行くのも不自然だ。だったら、翼に姉か妹がいて、一緒にでかけた、帰宅したとは考えられないか」
メグはモクモクと聞きながら、考え込む仕草をしていたが、徐々に表情は明るくなっていった。
「なるほど、家族かわかりませんけど、浮気と断定するのは早いのかもしれないです。もう少し、調べてみます」
ありがとうございました。彼女はペコリとお辞儀をして、帰路についた。
たぶんこれでよかったんだ。僕はそう思うことにした。
ーーー
数日後。
雲1つない快晴。
大学構内でたまたまメグとあった。
何やら上機嫌だ。
「先輩、あのときはありがとうございます。私あの後、バッサーを調べてみたんですけど、やっぱり一緒に写真に写っていたあの女の子、妹だったみたいなんですよ。浮気と早とちりせずに済んだのは、先輩のおかげです」
メグは嬉々として僕に語ってきた。
いや、そんなはずはない。
だって翼には姉も妹もいないはずだ。
ーーー
つづく。
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