Alleluia MOEluia BLuia!〜イテ・ミサ・エスト

PAULA0125

2022/5

第1週 真実は器の底に

 懐古趣味ではないが、最近は『お茶』の形が変わってきているらしい。

 ローマンがこの国で初めて「茶」をご馳走になった時のことは、今でも覚えている。率直に言って、物凄く苦かった。舌に乗せたはずなのに、口から鼻へ抜けていく香りと、面倒くさい作法が印象的であった。

 当時は、ヨーロッパ人口に限界が来ていて、新しい信者を求め、様々な国に赴く時代だった。宣教の旅と言えば美しく聞こえるかも知れないが、その実のところは、ここでもか、と、人の業を見せつけられる、そんな時代でもあった。

 『彼』の死は、当時もかなり話題だったが、今年は生誕五百年だとかで、また話題になっていた。

「ねえ、兄さん。」

「んー?」

 その日こなさなければならないミサを全て終えて、一息ついていると、弟がテレビを見ながら言った。

「どうした、マーティン。」

「これ、この人。」

 指し示したテレビでは、再現ドラマが演じられていた。やたらと説明とテロップが多いので、すぐに誰が話題になっているのか分かった。

「千利休? あいつがどうかしたか?」

「やっぱり兄さん、知ってる人?」

「知ってるも何も、十六世紀末の日本にはもう出入りしてたしな。あん時は、…まあ、アレだ。是非もなしってやつだな。」

 あまり思い出したくなくて、自分達を歓迎してくれた武将の言葉を繰り返す。彼は五十年どころか、現代になっても日本人に大人気の武将として生き続けている。日本人は自分の好きなものを美少女にしたがる謎の病気を患っているので、そのとんでもない史実と創作との乖離は、慣れていないと眩暈を起こすだろう。

 …死者が生き返り、文字通り神出鬼没にあちこちに現れたと本気で信じている自分達が言えることでもないと言えばないのだが。

「ミサと茶道には共通点があるんだってサ。教えたの?」

「当時の茶の湯の席って言ったら、貴族のティーパーティーなんかよりよっぽど政治的だったからな。俺も生き残るのに必死だったし、実際高山右近ジュスト大友宗麟ドン・フランシスコ辺りは茶の名人だった。教えたというより、聞いたというのが正しいだろうな。」

「じゃあ、たまたま?」

「………。まあ、あいつの立てた茶は、美味かったよ。クソ苦かったけど。」

「じゃあやっぱり教えたの?」

「…さあ、どうだったかねェ。でもあの空間は居心地が良かったよ。」

 武士も商人も僧侶も関係なく、同じように扱われたあの空間。あそこでは、自分が商人であり聖職者であり擬者であり外国人であるという、そんな何重苦にもなった雁字搦めの精神が解けた。

 千利休に洗礼を授けたのかどうか、は問題ではなく。

 少なくとも目の前に現れた、渇いて疲れた人に一杯の茶を点てるということが出来た彼は、神の賜物を持っていただろう。あの茶は、一度飲んだら二度と忘れることは出来ない。

 辛いときに与えられる、何気ない微笑みほど、癒されるものはないのだから。

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