桂華院仲麻呂の贖罪

 桂華院家本邸。

 瑠奈が住んでいる屋敷は別邸の一つで、本邸は迎賓館を兼ねる洋館と一族が住む本館に分かれている。

 その本館の居間で、桂華院清麻呂は本を読んでいた。


「失礼します。父上。

 少しいかがですか?」


 入ってきた息子仲麻呂の手には、ワインとグラスが二つ。

 目線を下げる事で了承した清麻呂の前に仲麻呂が座る。


「珍しいワインだな」


「十勝ワインだそうで。

 桂華ホテルが大規模に売り出していて、食事に合うとなかなか好評だそうですよ」


 仲麻呂の言葉と共にメイドがつまみとしてスモークサーモンとチーズを持ってくる。

 これも北海道製だ。

 ちょうど始まったワインブームの波に乗って、北海道の新鮮な食品と酒を中心に売り出していたのが桂華ホテルだった。

 抱え込んだ旧北海道開拓銀行からの縁もあるが、北海道に大量にある優良資産の活用に動いたのは桂華銀行の支援があったのは言うまでもない。


「美味だな。あれが好きそうだった味だ。今度行われるパーティーの席で出す事にしよう」

 無言でつまみとワインを楽しむ。

 あれとは桂華院清麻呂の妻だった瑠璃子の事で、仲麻呂の母でもある彼女は亡くなって既に長い時間が経っていた。

 仲麻呂の口が開いたのは、そこそこワインが進んだ後だった。


「賢い娘ですよ。瑠奈は。

 こっちの仕掛けはおおよそ見抜いてる」


 一族的に扱いが爆弾になっている桂華院瑠奈の処遇は、今回の一件で更に処遇が難しくなったと言っていいだろう。

 彼女が何も気づいていないのならば、傀儡として動かし最後はどこかの名家なり財閥の御曹司に嫁がせればいい。

 だが、この一件で二人は確信してしまった。

 ムーンライトファンドを実質的に握っているのは瑠奈だと。


「とはいえ、うちには人が居ない。

 大蔵省から桂華銀行を奪い返すならば、橘と一条の存在は外すことはできん。

 そして瑠奈は少なくとも独立は目指していない」


 清麻呂は少し天井を眺める。

 妻の瑠璃子の死後に後妻をという声は当然一族から出たが、その声に耳を傾けなかったのは彼女への愛なのだろう。

 その一粒種である仲麻呂は自慢の息子に育ち、近い将来桂華院家を継いでいくのだろうと清麻呂は少し誇らしく思う。

 だが、瑠奈の父親である桂華院乙麻呂は庶子という事でこの家が継げずに極東グループを興した。

 バブル絶頂時には土地の含み益もあって、桂華グループが極東グループに乗っ取られる寸前の所まで行っていたのだ。

 そこからの破滅ぶりには目を覆うばかりだが。

 とにかく、バブルに踊らなかった桂華製薬を中心とした桂華グループは今も生き残っている。

 その過程で公安に頭が上がらなくなり、今回の茶番だったものに繋がり、貸し借りは無しという事になったのだが。


「じゃあ、瑠奈の王子様はあの場に居た三人のうちの誰かでしょう。

 こちらとしては悪くない話です」


 帝亜一族御曹司との結婚が決まればこれ以上無い財閥同士の結びつきだが、他の財閥や華族も黙っていないだろう。

 また、大臣などを務めた国会議員は叙爵で一代華族に列せられるから、泉川議員も男爵位をもらって華族同士の結婚という悪くない結末が見える。

 後藤主計局主計官の場合は一番楽で、そのままくっ付けたらいい。

 そのまま大蔵省事務次官になるなら良し。

 なれなくても天下り先として桂華銀行があるから貴重な金融工学が解かる桂華グループの人材として扱える。

 

「お前はどうなんだ?

 仲麻呂。

 兄として瑠奈の事をどう思っている?」


 その一言は、瑠奈を本家の養女として扱うという宣言に他ならない。

 日本においてはこういう形で養子となって本家の子女として結婚というケースがかなり昔からあったので、それについては二人共気にしていない。

 気にしているのは、瑠奈の二人への好意だった。


「兄としては尽くしてやれると思いますよ。

 あの娘は孤独に置かれていましたからね。

 彼女の才は、自分が役に立つというアピールの一種でしょう」


「悪い人じゃ無かったんだよ。兄は」


 清麻呂はぽつりとそう漏らす。

 それは後悔の色がついていた。


「父に認められたくて、それでいて人を疑うという事を知らなかった。

 その結果桂華グループと極東グループの内部対立で、兄はそれを呆然と眺めているだけだった。

 瑠奈にはそんな目にはあってほしくはないのだが……」


 一族内部の不協和音も今回の一件で露呈し、一族間での統制も問題になっていた。

 瑠奈を守るためには彼女を本家の娘として扱うしか無かったのだ。


「あわせない。

 少なくとも私が瑠奈を守ります」


 そう言って仲麻呂は空のワイングラスをテーブルに置いた。

 そのタイミングで清麻呂が話を変える。


「お前もそろそろ身を固める頃だろう。瑠璃子の実家である岩崎財閥と縁の深い侯爵家のご令嬢から話が来ているが、どうする?」


 清麻呂の妻であり仲麻呂の母である桂華院瑠璃子の旧姓は岩崎瑠璃子。

 日本有数の巨大財閥である岩崎財閥の一企業である岩崎化学の重役を務める岩崎一族の傍流だった。

 景気は未だ良いとはいえず、桂華グループは岩崎財閥との政略結婚でこの難局を乗り切る。

 最悪桂華グループを岩崎財閥に身売りする事も考えていたのだ。

 まだ小学生でしかない瑠奈が、桂華グループ以上の巨大企業グループを形成するなんて誰が想像できただろうか?

 瑠奈を守るためにも、岩崎財閥との縁は更に強くする必要があった。

 父の目が酔っていない事を確認し、仲麻呂はさも当然のように淡々と言葉を吐き出す。

 それが貴族の務めだから。


「お受けしたいと思っています」




「守ります……か」


 居間から出て仲麻呂がぽつりとつぶやく。 

 己の言葉だが、廊下から見える庭園を眺めて、視線をそのまま東京の摩天楼に移す。


(私ね。

 この風景が好きになったのよ。

 私の住んでいた場所って、こんなに高いビルは無かったし、こんなに暖かくなかったから)


 母を覚えていない仲麻呂を前にして、そんな事が言える人だったのを覚えている。

 たとえ、伯父の嫁だったとしても、その美しい金髪と儚い姿に見とれた覚えは今も忘れられない。

 初恋だったのだろう。

 儚く実らない思い出だからこそ、今も忘れることができない。


(お願い。

 瑠奈を。

 瑠奈の事を……仲麻呂君……)


 彼女は仲麻呂が何もできずに死に、その後を追うように伯父も自殺して瑠奈だけが残った。

 そして仲麻呂の心には、未だ彼女の約束が残っている。


「私はあの時とは違う。

 せめて、瑠奈だけは幸せにしてあげないと」


 後悔なのか初恋なのか仲麻呂自身にも分からない約束を彼は守ろうとする。

 庭にはちらちらと雪が降り出してきた。


「あの人は雪が嫌いだったな。

 こっちはクリスマスが近くなって……そうか。贖罪か」


 その雪からその言葉が出てきたのは、きっと彼女の思い出のせいだろう。

 けど、その言葉がすとんと腑に落ちた仲麻呂はただその雪を眺めながら、しばらく立ち続けていた。




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十勝ワイン

 私がこのワインを知ったのは某北海道地方番組の企画『十勝二十番勝負』である。

 その前の拉致事件のインパクトが強すぎるのだが。


叙爵

 多分叙勲者でかなりの数の人が叙爵させている設定。


10/13

 書籍化の加筆に伴い、桂華院瑠璃子 (旧姓岩崎瑠璃子)の部分を加筆

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