トレーダー

 父の無念というのは、子に否でも受け継がれるものだ。

 それを晴らすという美談は私を守る盾にもなるだろう。

 多分、これはそんな話である。


「酒田市の化学コンビナート建設の話、また持ち上がっているの?」


「ええ。

 一度は頓挫した話ですが、土地はそのまま残っていますからね。

 なんとか再利用を、と考えるのは自然でしょう」


 橘の報告を聞きながら、私は酒田市で計画されている化学コンビナート建設の資料をじっと見る。

 そもそも、父が嵌められたきっかけとなったこの話だが、ロシア、あの時はソ連の石油を利用するという所から始まっていた。

 ペレストロイカの行き詰まりで経済的に苦境に立っていたソ連から、バブルの絶頂で浮かれていたこの国はその石油を買う金を十二分に持っていた。

 日本海沿岸の諸都市の中からこの地が選ばれたのは、新潟油田や秋田油田などに挟まれてまとまった加工をできるというだけでなく、石油備蓄基地も併設して万一に備えるという名目があった。

 裏話になるが、新潟にできるはずだったこの施設を強引に酒田に変更したのは、ホープとして政治の中枢に進んでいた加東幹事長だという。


「やっと、幹事長が頭を下げた理由がわかったわ」

「それでお許しになるもならないもお嬢様の一存でよろしいかと」


 東側内通の大スキャンダルを不逮捕特権で有耶無耶にしたのは加東幹事長という訳だ。

 もちろん、それで事が収まる訳にも行かず、父はその生贄となったと。

 実に生臭い。


「さすがに顔も知らない親の敵を討つほど私は浪花節で生きていないわね。

 けど、そんなバブルの亡霊の話がどうして甦ったの?」


 私の質問に橘は地図のある一点を指した。

 樺太。

 そのまま彼は口を開いた。


「経済再建途上の樺太ですが、武器輸出と資源輸出でなんとか持ちこたえている状況です。

 それでも失業率は20%を超えるでしょうな。

 その樺太の資源の最たるものは天然ガスですが、それを使った火力発電所建設の話が持ち上がり、それに合わせる形でコンビナート建設の話が進んでいます」


 樺太を併合したこの国はその失業問題を何とかするために、数少ない競争力を持つ資源である天然ガスを使って、樺太経済を回す必要があった。

 それで手っ取り早く天然ガスを使えるのが、火力発電所という訳だ。


「樺太が絡む公共事業です。

 政府直轄事業として北海道や新潟県も誘致に手を上げましたが、勝ったのが山形県酒田市と」


「加東幹事長の詫びなんでしょうね。これ」


 桂華グループ傘下の企業には、化学を扱う桂華化学工業がある。

 入札に参加すれば、便宜を図ってくれるだろう。

 もちろん、見返りは次の参議院選挙における資金提供という所か。


「先程も申しあげましたが、この話はお嬢様の一存でお決めになられてよろしいかと」


 橘は素っ気無いが、桂華院家からすれば見捨てられたという感情があるのは否定出来ない所だ。 

 それも、極東銀行救済で義理は果たしたと言っても文句は出ないだろう。


「こういう時は、その手のプロに話を聞きたいわね。

 石油化学、それと天然ガスあたりに詳しい人って居るかしら?」


 私の言葉に橘は少し考えてから答える。

 彼の人脈は、私が知らないだけでかなり広い、と佳子さんから聞いた覚えがある。

 そんな彼の口からでた名前は、如何にもという人物だった。


「桂華商会で相談役として飼っている男が居ます。

 元は岩崎商事で働いていたのですが、派閥争いに破れてというやつですが。

 彼の専門が資源トレーダーだったはずです」


「いいわね。

 時間を作って頂戴。

 会って話を聞いてから、この話を決めましょう」




「はじめまして。

 藤堂長吉と申します。

 前は岩崎商事で資源調達部長をしておりました。

 今は、橘さんの紹介で桂華商会の相談役みたいな事をしております」


 バリバリのエリートサラリーマンがなんでこんな所で燻っているのかというと、閨閥とか社内政治で負けたかららしい。

 何しろ資源調達部と言えば、世界中を飛び回って資源小国日本に資源を運び込むのがお仕事である。

 本社どころか日本本土にすら居ない事が多いのに、社内政治で勝てるわけがない。

 そこを橘に拾ってもらったらしい。


「相談役って今は何をしているの?」


「まぁ、会社の金でちょこちょこと資源絡みのトレードを少し。

 後は、こういう時に相談に乗るのが仕事ですな」


 豪快に笑ってみせるが、桂華商会が桂華グループ内部で収支トントンでやっているのも、彼のトレードのおかげというのがもっぱらの噂である。

 規模の小さな商社だからこそ、トップクラスのトレーダーが叩き出す上がりで、赤字を黒字に持って行けるのも幸いした。

 そんな彼を相談役という曖昧なポストでしか遇せない所が、桂華商会にも閨閥や学閥なんかがある事をいやでも示している訳で。

 話が逸れた。


「酒田のコンビナート建設の件ですね。

 ある程度は調べていますよ。

 余り良い話ではないですけどね」


 総合商社と言えば一時期は、公には情報機関を持たないこの国の対外情報活動に、大きく寄与していた。

 その情報収集と分析能力は未だ失われてはいないらしい。


「良い話ではないって事は、儲からないって事?」


「はい。

 東南アジア諸国を狙い撃ちにした通貨危機以来、原油を始めとした資源価格が暴落しています。

 今、樺太産の天然ガスに手を出すと、高値づかみで酷いことになりますよ」


 つまり、こういう事だ。

 元々天然ガスは原油に比べて割高なのだが、現在は原油価格の下落によって、さらに価格差が出ていた。

 国策とはいえ、高値で買わされる天然ガスを火力発電所で消費しても、不景気な現状では電力需要が増えないと元が取れない。

 おまけに親方日の丸の方式でコストとか度外視で話を進めるから、下手に民間が手を出したら、採算が合わずに撤退というのが目に見えていた。


「最近は環境云々でうるさくなって、石炭火力発電所の置き換えを始めているみたいですが、私だったらあそこに石油火力発電所と化学コンビナートを併設しますね。

 資源が安くなるならば、暴落するだろうロシアからの原油まで当てにしたほうが建設的です」


 私はジト目で藤堂長吉を見る。

 今、発生しているアジア通貨危機が最終的にロシアに飛び火するのは、かつての知識から知っていた。

 日本にとって命の一滴とまで謳われた、原油を超格安で手に入るチャンスが目前に迫っている。


「いいじゃない。

 それ、やりましょうか?」


「また気楽に言いますね。

 単独で手を出すなら数千億円規模ですよ?」


 藤堂長吉が確認するが、正気を疑っている目ではない。

 おそらくは、私が橘と一条を使っていろいろと儲けた事を彼は見抜いている。

 橘が連れてきたのならば、身辺調査も一通りしているのだろう。

 ならば、巻き込んでこき使ってやろう。


「海外のIT関連で儲けたお金が数十億ドルあってね。

 それを国内に運びたいのよ」


 それでピンとくる藤堂長吉。

 さすが有能トレーダー。


「あー。

 となると、今のままなら、一条さんの負担が大きい。

 それを私に背負えという事ですな?

 いいですが、桂華商会では、これを扱うには規模が小さすぎます」


 今までは、ムーンライトファンドが稼いだ外貨は借金という形で国内に持ち込んでいたが、それは桂華銀行という金融機関だからこそできた裏技みたいなものだ。

 色々と危ない橋を渡らせているので、万が一、一条が居なくなった時の事を考えて、別の手段を確保する事も必要だろう。

 それに都合が良いのが、今の日本には無くてはならないのに、外国から輸入するしかない石油である。

 しかも、コンビナート建設だけでなく、タンカー建造などで、莫大なお金を使えるのが実に良い。

 と、そこまで私の思惑を見抜いた上で藤堂長吉は取引を持ちかけた。


「今、苦境にある総合商社。

 下位で良いですから、お嬢様の手で買えませんか?」


 この話が、まさかああいう事になるなんてその時の私は思っても見なかった。

 ロシア産の油を巡る、国際社会のドロドロの洗礼を私は浴びることになる。




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この時点で利確したお金を日本国内に持ち込むために資源に目をつけた模様。

で、それが苦境のロシアを刺激しての誘拐未遂事件に繋がり、破綻後のロシア国債引き受けまでに話をつなげる予定。

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