崩れかけた箱庭のお嬢様

 もうすぐ五歳にもなると私もいろいろとやんちゃをする訳で、自分の家の探検やらかくれんぼやらで少しずつ私を取り巻く人間達というのが見えてくるようになる。

 そんな私の日常にいる人達を紹介してみよう。


「お嬢様。

 朝ご飯を食べたら遊びましょうか」


「はーい♪」


 私に声を掛けたのは桂華院家からやって来たメイドで時任亜紀さん。

 大体私の相手をしてくれるメイドである。

 両親はおらず、学生生活とメイド業を両立しているとか。


「お待たせしました。

 今日はお嬢様の大好きな鮭の切り身ですよ」


「しゃけー」


 ご飯を作ってくれたのは乳母兼メイド長の斉藤佳子さん。

 独身の筈だが、亜紀さんと並ぶとどう見ても親子にしか見えない。

 あっ……気が付かなかったことにしよう。

 貴族じゃなかった、華族社会の闇は深いのだ。

 この二人に交代要員として桂直美さんという人が居る。

 桂さんは今日はお休みで、亜紀さんが学校に行く場合は私に付いてくれる事になる。


「いただきます」


 私の声に皆が手を合わせて食べる。

 幼少の身とはいえ、私がこの屋敷の女主人なのでテーブルの中央に私が座ることに。

 女手の他に男手も当然あってこの屋敷はそんな人達によって支えられている。


「お嬢様。

 お勉強の時間が終わったら、午後にはお昼寝を……」


 執事の橘隆二さんはこの家専属の男手であり私の執事でもある。

 私に替わって色々な問題を解決してくれる初老の紳士なのだが、時折値踏みをするような目で私を見るからちょっと怖い。

 一応、まだ純真無垢なお子様を装っているつもりなのである。

 仮にも公爵家の子女にしては、お付きの人の数が少ないが、そんな生活が今の私の日常である。

 ……ゲーム内には全員出てこなかったのだが、これはどういう事なのだろう?



「お嬢様。

 どこにいらっしゃいますか?」


「おしえてあーげない♪」


 亜紀さんとかくれんぼをしながらこの屋敷を散策。

 築五十年庭付き2階建ての洋館は、ゲームにおける私の住居として使われており、絵を現実化するとこうなるのかと、なんとなく納得した覚えがある。

 東京都大田区田園調布のこの屋敷は、元々は桂華院家の別邸として使われていたもので、後に私のお父様に譲られたらしいが、今は私が住む以外には誰も訪ねて来たりはしない。

 桂華院家本家は東京都港区白金の方にある。

 草むらに隠れていたら、壁向こうから声が聞こえてくる。


「ここって桂華院家のお屋敷でしたっけ?

 いつも門が閉まっているみたいだけど」

「ええ。

 別邸ですわね。

 本家はたしか白金のはず。

 今は、小さなお嬢様が一人で住んでいらっしゃるはずですわ」

「それはお可哀そうに。

 桂華院家も、先代の頃の栄華も今は昔、色々と苦しいみたいで」

「それを言ったらどこもかしこもですわ。

 バブルの頃が懐かしいですわね」


 バブル崩壊。

 失われた10年というか20年というかとにかく長期にわたるこの国の低迷を決定付けた経済イベント。

 今はその真っ只中で、壁向こうの奥様方の声も心做しか不安の色が混じっている。

 問題なのはここから更に酷くなる事なのだが、それを知っている者は、私しかいない。


「わ!?」

「見付けました。

 お嬢様。

 木の中に隠れるのは駄目だって、私言いましたよね?」

「えへへ。

 ごめんなさい」


 木の陰から持ち上げられて、私は亜紀さんに叱られる。

 ふと気になったので、試しに聞いてみた。


「亜紀さんって学校行っているんでしたよね?

 楽しいの?」


「ええ。

 高等部に通っていますけど、奨学金申請が通ったら大学部に行こうかなと。

 もちろん、お嬢様の側を離れるつもりはありませんわ」


 その一言で十分だった。

 華族というか貴族というのは見栄の世界である。

 そこに務めるメイドが大学に行くのならば、その費用は貴族が出すぐらいのことをしなければ、内外に舐められる。


「あの家、経済的にやばくね?」


と言われる訳だ。

 にも拘わらず、亜紀さんは奨学金と言った。

 それの意味する所は、亜紀さんに桂華院家はお金を掛ける余裕がないという事。

 この生活が長くは続かないことを、私ははっきりと悟ったのだった。



「うわ。

 こんなに出ているのか……」


 執事の橘が留守なのを見計らって、こそっと帳簿をチェック。

 そこから見えてくるのは、華族の生活の支出というものだった。

 私一人という事で切り詰めたみたいだけど、人件費は四人で二百万円。

 これに光熱費と雑費で百万ほど支出されており、合計で月三百万円の支出が出ている。

 一方の収入だが、基本桂華院家からの振込に頼っているが、その額が明らかに減っていた。

 かつては五百万だった所が今は三百万円まで減っており、橘が余剰金を使って財テクをして微妙に足りない金額を穴埋めしている始末。

 これからバブル崩壊のトドメが来るのが分かっているので、更にこの費用は削られるだろう。


「うん。

 橘や佳子さんや亜紀さんや直美さん達と別れるのは嫌だな」


 例え悪役令嬢になろうとも、いや、悪役令嬢だからこそ付いて来た人たちには出来る限り手を尽くさねばならない。

 だからこそ私は、この人たちと別れたくないので、良い子の仮面を脱ぎ捨てることにした。



────────────────────────────────


住所確定。

 このお屋敷は田園調布、桂華院家本家は白金に。

 多分、先代が生きていた頃は、田園調布のご老人として権勢を誇ったと思われ。

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