第52話 揺れる心とふたりきりの海
その夜、風花はなかなか寝付けなかった。
ベッドからもっそりと起き上がり、カーテンを少しだけ開いて外を覗いた。そしてその隙間から僅かに部屋に差し込む月明かりに、さっきまで孝太とつないでいた右手をかざしてみる。
あれほど孝太と付き合うことはないとミオに言っていたのに、孝太への自分の気持ちを抑えられなかった。
〈私はもう、こんなに孝太が好きなんだ〉
自分の気持ちをはっきりと自覚した夜だった。
⌘
「来ないね」
風花が何度もスマホで時間を確認する。
「すぐ追いつくっていってたけどなあ。もう少し待ってみようよ」
孝太もチラリと腕時計を見てつぶやいた。
花火大会の翌々日、
前日はミオと2人で水着を買いに三原まで遠征した。考えてみれば、風花がいつも買っていた水着はスポーツ用品専門店の特注品だったので、普通の商業施設で吊るしの水着を買うのは初めてだ。
ワンピースにするか、ビキニにするか。ミオと2人で散々悩んだ。
実は学校指定の水着は一応持っているが、体調などを理由に風花は一度もプール授業に参加していなかった。学校の授業は受けてないのに、因島には遊びに行くのは少々気が引けたが、「別に泳がなくてもいいじゃん。水着で男子を悩殺して歩くんよね」というミオに言われて妙に納得する。
——孝太はどれが気にいるだろ
売り場を歩きながら、ずっとそんなことを考えていた。
結局、おとなしめではあるがセパレートの水着を試着する。タンクトップ型でお腹あたりまで隠れ、下はショートパンツタイプ。ちょっとおしゃれなオープンシャツのようなラッシュガードとセットになっている。真夏なら、街中で着ていても水着だとは気がつかないかもしれない。
「どう?」
試着室で着替え、カーテンを少し開けてミオに聞く。
「スタイルええんだから、もっと大胆なビキニにすればええのに。風花、絶対モテると思うよ」
どうやらミオはビキニを買う気満々で、いくつか手に持っている。
「恥ずかしいじゃん。泳ぐわけじゃないから、これくらいでいいのよ」
自分が知っている競泳用の水着は全くと言っていいほど隙間がない。着用も2人がかりでピタリと肌に密着させる。だが、試着している水着はあちこちに隙間があってなんとなく落ち着かないが、遊びで着る水着とはきっとそういうものなんだろう。
ミラーで何度も確認して、これに決めた。
孝太が気に入ってくれたらいいけど。
また、そんなことを思った。
⌘
もうバスの出発時間が迫っていた。
尾道駅発因島行き。真夏でもあり、人が多いことを想定して早く行こうと9時に待ち合わせたのだが。
「やっぱり電話してみよっか」
風花がスマホの電話帳を探ったところへ、見計らったようにトークアプリの通知が入った。
〈ごめん、どうしても抜けられない急用なの。後で追いかけるから、2人で先に行ってて〉
ミオからだった。
〈何かあったの? きょうは行くのやめようか?〉
〈大丈夫よ。因島で待ってて。時間がないからまた連絡する〉
〈わかった。待ってる〉
よっぽど忙しかったのか、最後のメッセージには「既読」がつかなかった。
ふう、とため息をつきながら、スマホの画面を孝太に見せる。
「まあ、先に行って待っとけばいいって言ってるんだからさ。とりあえず時間だよ。乗ろうよ」
孝太はそう言って、出発時間を待って待機しているバスに乗り込んでいく。
風花は何度もミオの家のある方を確認したが、結局諦めて孝太に続いてバスに乗り込んだ。
気がつくと因島行きのバスは、ほぼ満席状態となっていて、もう少しためらっていたら座れなかったかもしれない。ふたり掛けのシートに孝太と座り、小さなクーラーボックスを足元に置いて、水着などが入ったバッグは膝に抱える。
クーラーボックスには、3人で食べる弁当が入っていた。朝早く起きて祖母と一緒に作ったものだ。泳ぐ予定のない風花を誘ってもらったので、せめて昼食は用意させて欲しいと言って持ってきたのだ。
「風花ちゃん、新しい水着買ったんだって?」
孝太が興味津々で風花が抱えたバッグを除きこもうとする。
「だーめ。楽しみは後ですよー」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
「ダメだってば」
ギュッとバッグの口を押さえた。
「それよかさ」風花は前から気になっていたことがある。「孝太君ってどこで水泳を覚えたの?」
「あっ、俺? 見よう見まねってやつ。親父が昔、水泳選手でさ。少しだけ教えてもらったけど、あとは自己流。でも、友達からメンバーが足らんからって陸上を始めちゃったら、陸上部より速くってな。それからずっと陸上一筋さ」
「へえ。きっと運動神経がいいんだね」
——そっか。だからちょっと癖がある泳ぎだったんだ。
「まあ、陸上の方が俺にむいてたんだよな」
窓の外を眺めると、尾道から四国の今治へ続く「しまなみ海道」を、バスが走ってゆく。そのうちのひとつ、「因島大橋」を渡ると目的地だった。
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