第28話 夏、過ぎて
——第4のコース、大道さん。品川西中学
室内プール会場に響き渡る場内アナウンスから紹介され、風花が一歩前に出て右手を挙げてペコリと頭を下げると、会場がひときわ大きな拍手と歓声に包まれた。
夏休みに入ってすぐ、全日本中学体育選手権大会が東京で開催された。この大会は各地方の予選を勝ち抜いた、中学生アスリートにとって最高の舞台だ。
だが、大道風花にとっては、その最高の大会でさえも既に通過点のひとつに過ぎなかった。中学3年になってキラ星の如く現れた彼女が見据えるのは2年後のオリンピックであり、まさしく日本競泳界の未来への期待を一身に背負った大会となっていたのだ。
既に自由型200メートルでオリンピック標準記録を余裕でクリアして日本新記録で優勝を決め、そして競泳の最終日、大道風花が一番得意とする自由型100メートルに大きな注目が集まっていた。
——位置について
一度大きく息を吸い込んだ。
——よーい
風花は左足の指をスタート台に掛け、右足を引いてクラウチングスタイルで前屈に構えた。そして身体中の全神経を耳から入る音だけに集中——
抜群の反応でスタートを切った風花は、同学年の選手をまったく寄せつけることなくぐんぐんと突き放し、観衆の期待はすでに、いったいどのくらいのタイムで日本記録を更新するかということに絞られた。
今日のプールは水の抵抗がないみたい——
泳ぎながら、風花はそんなことを思っていた。いやむしろ、抵抗がないというより水が後ろから自分を波に乗せてくれている感覚を感じていたのだ。
50を折り返す頃から、不思議なことに風花の周りからすべての音が消え去っていた。そこは自分の息遣いもない、水の音さえも聞こえない世界だった。
いつゴール板にタッチしたのかさえ覚えていない。ただ習性で電光掲示板に目をやって——
ああ、日本記録だ。それだけをボーッと眺めながら思った。
その瞬間、再び周りの音が一斉に飛び込んできた。思わず耳を塞いでしまいたいくらいだった。
すごい喧騒の中プールに浮かんでいると、一緒に泳いだ仲間たちが近寄ってきて「おめでとう」と声をかけてくれた。小さい頃から熱心に指導してくれた斉藤コーチがプールサイドで何度もガッツポーズをしているのが見えた。
観客席でお母さんが笑っていた。
そしてお父さんは、今日も仕事でいなかった。
それから一週間は競泳関係の雑誌や新聞のインタビューなどで忙しかった。
「9月の日本選手権、楽しみですね」
「大人の人と泳ぐ大会は初めてですが、どんな気持ちですか」
「世界記録を作れると思いますか」
大体聞かれることは同じだ。だから、答えることも同じだ。
「次は世界記録を狙います」
そう答えればよかった。
だが、期待された日本選手権には大道風花は出場しなかった。そして彗星の如く現れた高校生もオリンピック標準記録を突破し、大道風花の名前はいつの間にか表舞台から消え去っていった。
その理由は、誰も知らない——
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