第4話 躍動
校庭と校舎から離れた学校敷地の片隅に、今でも使用していることを疑ってしまうような古びた小さな木造の建物——いや、ほとんど小屋というべきか——があり、中堂先輩は引き戸の扉を開けて中に入っていった。
ミオと風花も後について建物に入ると、小さな
そのままよく磨かれた廊下を少し進み、たまにつるり——おっとっと——と足を滑らせながら右手にある襖で仕切られた部屋に入ると、八畳ほどの和室となっていた。
中堂先輩は壁際の棚から小さな箱を取り出して、和室の中央よりやや下がって座り、その真向かいにミオが正座で座った。先輩が箱を開けると中にかるたらしき札が二列入っている。その一列分をひっくり返して畳の上に置き、残りは箱に入れたままだ。
そして裏返したまま二人でかき混ぜると、先輩が再び裏返したまま一つに束ねてお互いの中央に置き、交互に五枚ぐらいずつ五回ほど取っていき、余った残りはさっきの箱の中に再び入れて、先輩は自分の後ろに置いた。どうやらこれは使わないらしい。
そういえば、建物に入ってからここまで二人は一言も話してない。この競技なりの決まった手順があるのだろう。だが、競技かるたを見るのが初めての風花は、自分がどこにいればいいのかわからず入り口付近に立っていると、
「その辺りで座って見てて」
と、部屋の一角をミオが指差すので、そそくさと畳の上に落ち着いた。
二人は黙ったまま、たった今お互いに配られた札を何か考えながら、畳の上に三段に並べていく。そして二十五枚ずつ真ん中に少し間を空けて向かい合うように配置すると、先輩が「今日は五分ね」とだけ言い、ミオが小さく頷いた。
それからしばらく二人は、ただ黙って今広げて置いた札を見つめている。何をするのかわからないが、なんだか焦ったい。
「ミオちゃ——」
何をしているの? と聞くつもりで風花が口を開いた瞬間、札を見つめたまま二人が同時に「シッ」と人差し指を口に当てた。
——ごめんなさい。
風花は首をすくめて声に出さずに謝った。
五分過ぎたらしい。先輩とミオがストレッチをするように肩を動かし始めた。やっと試合が始まるらしい。さっき怒られたばかりなので、風花はあれからじっと息をひそめていた。
先輩の右側には携帯が置いてある。
「よろしくお願いします」お互いに正座して礼をする。
先輩が携帯の画面をポンと指で押した。
なにわずに さくやこのはな ふゆごもり
いまをはるべと さくやこのはな
いまをはるべと さくやこのはな
携帯から、なんとも
そっか。これが百人一首なんだ。なんだか眠たくなっちゃいそう——
風花がそんなことを思っていたとき、ミオが右手を畳につけ、ひざまずいてぐっと体を乗り出していた。
一呼吸、間があいた。
しの——
携帯から確かそんな歌が聞こえ始めたのは、風花にもわかった。
その瞬間。
——バン!
それはすごい音と迫力だった。手のひらで思いっきり畳を叩いた音が部屋中に響き渡った。少し離れた場所に座っていた風花は思わず首をすくめた。
ミオが体ごと飛び込むように、先輩の左前にあった札四〜五枚を左手で一気に払ったのだ。払った札がバラバラと飛び散ってゆく。
すると、サッとミオが立ち上がり、小さくガッツポーズをしながら飛び散った札を拾いにいき、先輩はというと、携帯を再びポンと指で押し、悔しそうに天井を見上げた。
風花は何が起こったのかわからず、呆然と眺めていると、ミオがまた自分の位置に座り、かるたを並べ直して右手をついて構えた。
わかったのは、ミオが左利きだということぐらいか。
先輩が再び携帯をポンと指で突く。
せ——
ビクッとミオの肩が一瞬動いたが、今度は払いに行かず、力を抜いた。先輩も肩をぐるっと回した。
——をはやみ いわにせかるる たきがわの
われてもすえに あわんとぞおもう
確かそんな歌だったと思う。さっきもそうだったが、歌の下句は二回繰り返すみたいだ。また二人が構えた。
はなのいろは——
読み始めた途中で、今度は先輩が自分の左側の札をそっと押さえて少し笑った。ミオが下唇を噛んだ。
そうか。やっとわかった。百人一首は読まれた歌を聞いて、その札を相手より早く取るゲームなんだ。
スタート台の上で合図を待っているときと同じなんだ。きっとそうだ。
位置について 用意——
その感覚が蘇った瞬間。
——ボコッ
風花の体の中で、吐く息が泡となって音を立てた。
そして目の前が真っ暗になった。
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