第45話 緊張の薪拾い

 おとなしく手を引かれている時羽は、草花と呼ばれていた男について先ほどまで聞いていた話以外の情報を全く知らない。だが、この男からは自分に害を与えてくるかもしれないという恐怖はまるで感じられなかった。初対面でこうも警戒心を抱かない、今までに周囲に居なかった種類の大人だ。


「挨拶が遅れましたね。はじめまして、私は草花と申します。貴方が共に行動している桜羽様の古い知り合いでございます」


 聞いたことのないような言葉遣いで名乗る男の顔を見ると、優しげに微笑んでいる。こんなときどうすればいいのか。道中桜羽と花凛から学んでいた時羽だが、いざ実践の場に立ってみるとなかなか言葉が出てこない。


 名乗られたのならば、こちらからも返す必要があることが多い。ただ例外もあって不審なものや敵意を持つものに名乗られた場合はそうとも限らないと学んだ。目の前にいる男は恐らく返事をしたほうが良い種類の相手だろう。じゃあ次はどうするべきか。分かってはいても、自分が発しようとしている言葉が正しいものなのか分からない上に、普段ならちょうどいいところで補足をしてくれる桜羽も花凛もいない。


 時羽が感じているのは不安だった。しかし、時羽はこの感情の名前も概要も知らなかった。だから、とにかく何か話そうとしているのに、言葉がのどで詰まって「あ」だとか「ええと」だとか言葉にならない音を発するしかできないという状態に陥ってしまった。


「そんなに緊張なさらずに。私は貴方の敵ではありません」


 草花は必要以上に緊張して話すこともままならなくなってしまっている時羽をみてくすくすと控えめに笑う。


「貴方がたは時羽様と花凛様とよばれていましたね、どちらが貴方のお名前か教えてもらってもよろしいですか」


「……ときは」


 草花は言葉が出ない様子の白髪の少女を見て応えやすいように話しかけた。そのかいもあって、時羽はこの質問には答えることが出来た。


「時羽様ですね。よろしくお願いします」


 「よろしくお願いします」時羽はこの言葉には聞き覚えがあった。そして対処法も覚えている。


「おねがい、します」


 時羽が緊張で話せないものだから、草花は名前を聞き出すだけでも枝がたくさん落ちていて薪拾いに丁度よさげな場所を見つけられるだけの時間を費やしてしまった。


 あたりには枯れ木から落ちた乾いて細長い枝が拾っても尽きなさそうなほどあった。きっとこの辺りに薪を拾いに来る者はいないのだろう。必要とする者からしてみれば宝庫のようなものだ。


「いったん手を放しても大丈夫ですか? 何をすればいいかは分かりますか?」


「だい、じょうぶ。いつもやっているから」


 返事を聞いてから、時羽の小さな手を包み込むほど大きい掌は離れていった。桜羽よりも大きくて、力強さを感じた掌。けれども同じように温かかった掌。時羽は手を繋ぐことに執着があるわけではないが、つないでいた手を失った右手は寂しく感じた。


 作業中はお互い特に意味のない話を重ねた。と言ってもすべての会話において、草花が質問をして時羽が短く二、三言答えるだけのものだ。会話が成り立っているかと言われれば、微妙なところだ。その応酬も時羽が手で抱えきれるぎりぎりまで枝を集めたところで終わった。

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