閑話 悪役令嬢奇譚2
「ヒュー。あの娘をこのまま家に帰したら、大変なことになるわ」
ざめざめと涙を流しながら、ヒューバート王にしな垂れかかるヒラリーの姿はさながら、演劇の舞台女優そのものだったと後の世に語られるほどの名艶技だったと言われている。
唆されるがままにヒューバート王はアグネスの貴族籍を剥奪すると同時に彼女を遠方の地ニブルヘイムへと追放することを宣言した。
ここで勘違いされないようにここに記しておこう。
この時、まだ王太子の身分であるヒューバート王に貴族令嬢の権利を奪ったり、貴族籍を剥奪するような裁量は許されていない。
そうである以上、勝手に追放の処分を決めることもありえないことなのだが、それが罷り通ってしまった。
それはまだ、健在だった前王と王妃前が外遊中だったことが大きく影響している。
王太子の婚約者を選定したのは他ならぬ王その人である。
アグネスの父マーカス・トレミー・ジョーレー侯爵は有能な外交官だった。
マーカスはバランス感覚に優れた政治能力を有している。
温厚篤実な人柄で政敵もいないのと貴族には珍しい愛妻家でもあったからだ。
いい加減なところがある王太子が少しでも見習ってくれるのではないかと期待を込めて、結ばれた婚約。
実際、ヒューバート王とアグネスの仲は悪かった訳ではないというのが通説である。
婚約者というよりは幼馴染の同志として、意気投合していたという話さえあるのだ。
そんな二人の迎えた結末がこのざまである。
憐れなことにアグネスは腰まであったと言われる見事な黒髪をバッサリと落とされてしまった。
貴族令嬢にとって、髪は命とまでは言わずともかなり、大事なものだ。
夫を失い未亡人となった女性が世を儚み、修道院に入る際、俗世との断絶を宣言する為に髪を落とす。
これは頭を丸めるのではなく、肩の辺りのショートボブにする程度なのである。
実際にはずっと髪を伸ばし続けてきた令嬢にとって、これでも相当にショックな出来事なのでこの時のアグネスが受けた心の傷は深かったと思われる。
アグネスは着の身着のままで着替えることすら、許されずにニブルヘイム行き片道切符の馬車に乗せられた。
ゲメトー王国から、ニブルヘイムまでは早馬を使ってもゆうに数ヶ月はかかる長距離である。
この死出の旅路に等しい馬車の旅でアグネスは肉体的にも精神的にも追い詰められ、ニブルヘイムへと放り出された時にはかつて薔薇と謳われた美貌も損なわれていたと伝えられている。
だが、この話はこれだけでは終わらない。
まずは卒業パーティーで不条理すぎる断罪劇に物申した人々から、どうなったのかをここに記しておこう。
アグネスは性別を問わず同級生だけではなく、下級生からも慕われていたらしく、一方的な王太子の言い分に眉を顰めるだけではなく、異議を申し立てた者達がいた。
その中で際立って、大きな動きを見せた者が二人。
ドローレス・ツイタルネン辺境伯令嬢とフェリックス・ザーケンナ伯爵令息である。
この二人はあまりにも正義感が強すぎ、周囲との軋轢を生んでいたところに助け船を出したのがアグネスだったのだ。
恩義に報いるという意味合いもあったのかもしれない。
だが、何よりも目の前で行われた所業が許せなかったのだろう。
「殿下。このような行い、陛下が許されるでしょうか!」
俯き、何も言わないままに連行されたアグネスの気持ちと言葉を代弁したドローレスだったが、ヒューバート王は反感を隠そうともしないドローレスに送る視線はどこまでも冷たかった。
それだけではない。
「辺境伯などという田舎者風情は引っ込んでおけ」
ヒューバート王が優秀という触れ込みはどうやら、忖度によるものが大きかったのだろう。
実際に彼が王位に就いてから、施行された数々の愚かな政策はお世辞にも彼が優秀とは思えないようなものばかりである。
辺境伯の重要性すら、認識していなかったとんだ愚か者だったのだ。
「田舎者には田舎がお似合いよ。お友達同士仲良くしたらいいわ」というヒラリーの鶴の一声により、ドローレスもまた、ニブルヘイムへと送られてしまう。
しかし、アグネスとドローレスは女性だったのが幸いしたのかもしれない。
フェリックスを待ち受けていた未来はもっと悲惨なものだった。
「殿下! どうか、御再考を! このようなことが許されるはずがありません」
「ええい! 黙れ、下郎め」
やわら抜き放ったヒューバート王の剣が一閃し、フェリックスは大きく、袈裟懸けに斬られた。
致命傷となる傷を受けたものの彼はその場では死んでいなかったことから、剣術の腕も優れていたとされるのもどうやら、大きく脚色されていたとしか、思えない。
この後、フェリックスは斬首され、反逆者として晒し首に処される。
なお、卒業パーティーに帯剣が許されていなかったことも併せて、記しておこうと思う。
アグネスとドローレスがヒューバート王により、害されなかったのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。
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