1−9 アリアドネの旅立ち
アリアドネの為に用意された輿入れの準備はとても粗末な物だった。
「新しいドレスは夫となる辺境伯に買ってもらえば良いだろう」
伯爵はそう言い、アリアドネに何着ものドレスを渡した。それらは全てミレーユが着古したドレスばかりだった。それでもアリアドネにとってはどのドレスも素晴らしい物に見えた。
「ありがとうございます。お父様」
ミレーユの古びたドレスを嬉しそうに畳んで衣装ケースにしまっていくアリアドネ。
その様子を見ながらステニウス伯爵はほくそ笑んでいた。
(全く物の価値が分からぬ愚かな娘で助かった。それよりも一刻も早く周囲に気付かれる前にアリアドネを辺境伯の元へ嫁がせねば、私の地位が脅かされるかもしれない…)
ミレーユと偽って、辺境伯に嫁がせた後のアリアドネの行く末などは全く省みること無く、ステニウス伯爵は自分の身の保身しか考えていなかった。
そこでステニウス伯爵は言った。
「アリアドネ。辺境伯は一刻も早く妻を所望されておられる。少しでも遅れれば彼の怒りを買ってしまうかもしれない。彼の領地はここより馬車で向かっても一ヶ月はかかる場所にある。あの土地は北にあり、背後を山脈で覆われた寒い土地なのだ。本格的な雪の季節になるまでには辿り着いておかねばならない。明日には出発するのだ。馬車1台に御者は用意してやる。感謝しろよ」
「はい、ありがとうございます」
アリアドネは深々と頭を下げた。しかし、本来であれば貴族の輿入れの際は嫁ぎ先の相手から迎えが用意されるのが礼儀となっているのだ。だが伯爵は自分の人生の汚点とも言えるアリアドネを差し出そうとしている為に、迎えをよこされては不都合なのであった。
(辺境伯の迎えなど待っていられるか…一刻も早くこの厄介者の娘を送りつけてやらなければ、気が休まらないからな…)
そんな身勝手な父の思惑など知る良しもなく、アリアドネは生まれて初めてメイド服以外のドレスを貰えた事に喜びを感じていた。
(お父様は冷たいふりをしながらも私の事を思っていて下さったのね…こんなに沢山のドレスを下さったばかりか、辺境伯の元へ嫁ぐ私の為に馬車と御者まで用意して下さるなんて…)
そこでアリアドネは改めて礼を述べた。
「お父様、こんなに良くして頂いて、本当にありがとうございます。辺境伯様の元へ嫁いだ後は精一杯夫の為に尽くし…ステニウス家の恥にならぬように努めます」
「ああ、そうだ。私はお前を信頼して辺境伯に嫁がせるのだから…期待に答えるのだぞ?」
そして作り笑いを浮かべた。
「はい、頑張ります」
アリアドネは無邪気な笑みを浮かべた。父親の思惑に気付くこともなく―。
****
翌朝5時―
夜明け前にアリアドネは1台の粗末な馬車に3つの衣装ケースを積み込んだ馬車の前に立っていた。アリアドネを連れて行くのはこの屋敷で一番高齢の御者のヨゼフであった。御者達は誰もが辺境伯の領地まで馬車を走らせるのを拒絶していた。そこで昔からアリアドネの事をよく知っているヨゼフが可愛そうな娘を哀れみ、名乗でたのである。しかし、その事実をアリアドネは知らない。
「それではヨゼフさん。辺境伯の領地までどうぞよろしくお願いします」
アリアドネは丁寧にヨゼフに頭を下げた。
「いや、いいんだよ。アリアドネ。それでは早速出発しようか」
ヨゼフは笑顔でアリアドネに声を掛けた。
「はい」
笑顔で馬車に乗り込むアリアドネを見つめながらヨゼフは胸を痛めていた。
(旦那様…本当に見送りにもでてこられないのですね…)
ヨゼフは城を見上げながら思った。
(絶対に無事にアリアドネを辺境伯の元まで送り届けるのだ)
そして御者台に乗り込むと、ヨゼフは手綱を握りしめてアイゼンシュタット城へ向けて出発した。
それはまだ10月に入ったばかりの出来事であった―。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます