第14話 鳴子の覚醒
とある日、キラが店に出向いている時であった。
「これは、石川さゆりの……なんだったっけ……」
足を止めて、Aメロ、Bメロを流し聞きながら状況を確認する。
どこかから、打楽器やサックスの入り混じった、とても今時ではない昔の名曲が聞こえてくるのだ。
しかし、彼には分からない。思い出せるのは、せいぜい女性の歌手が歌っていたという事くらい。
「こっちから流れてきているな……あれ、もしかしてお店の方から?」
メロディに釣られて足を運ぶと、エルフローネに着いたのである。
カラオケだろう、誰かが一曲歌っているのだ。
萌花のいるお店は高い年齢層のお客さんが多く、誰かがリクエストをしたのだろう。
彼らは自分の知らない体験談や、知識を語ってくれる。これも、メイド喫茶の醍醐味である。客同士の関わりにより、未知を取り入れることができ、自分の糧となる。
そんな目新しさに期待を膨らませ、今日も楽しいメイド喫茶生活を送ろうと、店のドアを開けた時であった——
『あ~~~えぎぃぃ~~~~ごぇ~~~~~っ!♪』
店内の中心には、一人のメイド——鳴子が立っていた。こぶしを利かせた歌声と、歌詞に対する表現力で周囲を魅了し、見事なまでに演歌歌手になりきっている。
ここでキラは曲を思い出す。なるほどと……ポンと手を叩くなり叫んだ。
色褪せない名曲、なんて表現があるだろう。主に、融通の利かない高齢さんたちが口にする事で『古臭い音楽』と忌避されがちな音楽。だが、逆に色褪せているからこそ、意味があるっていう音楽もあると思う。
鳴子はそれを証明してくれた。
我が国のお茶の間的シーンを飾る、次世代音楽を引っ張るのは彼女しかいない……。
「いや待てえええええええぇぇ——いッッ!!!!」
うっかり名曲に涙を流してしまっていたキラは、これだけは言いたかった。
「石川さゆりに謝れええええええええええ——ッ!?!?」
その曲名は、石川さゆりの『あまぎごえ』。
誰かの悪意によって、最低極まりない歌詞に作り替えられた事実に、衝撃を受けてしまったようだ。
しかし、スピーカーから流れ出るメロディによって、彼のツッコミは虚しくも掻き消されてしまうのである。
「うおおおおおぉぉ——ッ、めいこぢゃんごっち向いてぇぇ——っ‼」
「やめろ押すな、押すなあああっ、カメラがブレるだろおぉぉっ!」
と、歌い終え簡易ステージ上で一礼した鳴子を一斉に皆が囲う。ファンたちからの熱い声やあちこちから鳴る口笛に彼女は包まれていた。
このライブ会場をプロデュースしたであろう張本人が、煩わしそうな顔でキラに文句を言ってきた。
「イチイチ人の選曲と替え歌にケチつけてんじゃねえよ」
「おまえかああああああああああああ——ッッ⁉⁉」
優の伝票には『一曲』と書かれてあり、キラは理解してしまった。
「キラくんごめんね。私止めたんだけど、コイツも一応客だから……」
がっくり肩を落とす彼に対し、萌花が学校のイジメっ子グループに属するズルい子のようにフォローをしてきた。けれど、キラは儚げに笑う。
「萌花は何一つ悪くない、悪いのは全部受け入れられない僕なんだ」
落ち込んでいても、怜悧な横顔。
たとえ世界が僕のことを受け入れなくとも、必ず同じ道を選ぶ——と、悲しき運命に立ち向かう主人公のような立ち姿に、萌花はときめいてしまう。
「き、キラくん……きゅんっ」
そんな二人のやり取りを見た優は、悪態をつく。
「なにがキラくん……きゅんっ、だよクソビッチ」
「あ? テメ喧嘩売ってんのか上等だすぐに表出ろ、女だからってナメんじゃねーぞ」
「やめて、僕の為に戦わないで!」
……などと、優、キラ、モカの三人が揃うと痴話喧嘩を繰り広げる機会が多くなった。
以前のメイド喫茶を出禁になった優は、ここを拠点として毎日メイド喫茶界隈で活動をする事となり、彼を見ない日はない。
一方、鳴子はというと——
「貴族らの支配下にある農奴たちはさ、生活に困窮していても不公平を訴えられずにいたのさ——(以下略)——けれど転生した主人公が『流行りのタピオカも飲めたしさ、これでようやく死ぬだけって感じですね!』と言うのさ——(以下略)——どう、僕の考えた最強の主人公は⁉」
一曲歌い終えたにも拘らず、面倒な客に捕まっていた。
それを見かねたキラが、助け舟を出そうと立ち上がる。
「ちょ、ちょっと助けてあげなきゃ! あの人、ここらで有名な迷惑なお客さんだ。捕まれば一度、自分の作った物語、妄想を吐き出さずにはいられない怪物なんだ」
「物語?」
優が聞き返すと、キラは大きい身振り手振りで答えた。
「そう、出したアイデアの量は数知れず……自分に言い訳や逃げ道ばかり作って、全く執筆しない『自称作家さん』なんだ、この辺じゃ誰でも知っている……っ!」
「そうか、それは大変な奴に捕まったんだな」
昂るキラだが、優は至って冷静である。
「そうか、じゃないよ! 早く助けなきゃ!」
「いや、大丈夫だ」
「何が大丈夫なんだよ、鳴子ちゃんが困っているじゃないか!」
「ふっ、お前はまだ青いな。ちょっと見てみろって」
優は口でキラの視線を誘導させると、意外な光景が広がっていた。
「すーすー……、すやぁ……( ˘ω˘ )」
「ね、寝ているうううううううう——ッ!?!?」
キラが驚くのも無理はない、鳴子は客の目の前で堂々と睡眠を取っているのだから。
まるで個別指導塾の大学生教師だ。
一対一の授業にて、生徒からの質問が飛んでくるまで、椅子に座ったまま休息を取ってしまう——給料泥棒。
話の途中だった事に気付いたのか、鳴子は眼を覚ますなり謝罪した。
「……はっ。ごっ、ごめんなさいっ! 全然聞いてなかったのでもう一度話してもらえますか……⁉」
「はいいいいいいぃぃぃぃ——ッ⁉ なにそのヨダレ、仕事中なのに寝てたっ、寝てたでしょ——っ⁉ 僕、話し疲れて喉乾いちゃったんだけど⁉」
驚愕する客に対して、鳴子はとあることに気が付いた。
「あ、ドリンク入りますぅ~」
「「「「ウェ~~~イ!!!」」」」
「なんで⁉」
鳴子は、客の言った『喉が渇いた』を『ドリンクの注文』だと受け取ったのだ。
だが、まだ彼女のバトルフェイズは続いている。
「歌い終わった後だから、私も喉乾いちゃったなぁ……」
「「「「ドリンクもう一丁~ッ!」」」」
「注文がどんどん増えていくだと……ッ⁉」
悪ノリした客たちが、勝手に伝票に書き込んでいく。
——と、これまでのドジを踏むような鳴子はもういない。
店の空気を支配し、相手を手玉に取る商売上手なメイドに様変わりしていた。
「な、なんだ。なんなんだあの凄い子は……」
「ほら見ろ。お前はまだ青いんだよ」
優は、開いて塞がらないキラの口にから揚げを詰め込み、静かに笑っている。
咀嚼もしないままゴクリと飲み込んだキラは、感想を述べた。
「鳴子ちゃん……すっかり人気になっちゃったね」
「そうだろ、やっぱり俺が見込んだ通りの女だった」
優は腕を組み、鳴子をさも自分が育てたアイドルだと主張するプロデューサーのような態度。それを無視して、萌花は感慨に耽り出す。
「トラブルの元になっていた『天然』を上手く使いこなしているなんて……あの子すごいわ」
「先輩として少し嫉妬しちゃう?」
「そんなわけないじゃない、逆よ、逆!」
キラがからかうように言うも、萌花は「嬉しいのよ」と言わんばかりに主張した。
彼女は気性が粗いが、嫉妬や妬みとは無縁で人の幸せを素直に喜べる性格だ。
そんな萌花を、キラはつい微笑ましげに言った。
「まぁ、萌花が人気になっちゃうと、僕は君と話せなくなっちゃうから困るけれどね」
「うにゃにゃにゃ⁉ へんにゃこといわにゃいでよっ‼」
萌花は、猫語の入り混じった奇妙な言語を用いて動揺している。
一方、店の顔となった鳴子は、常に愛想を振り撒き続けていた。
彼女の相手している客は新規の客ばかり。新規の客というのはメイド喫茶に関わらず、どんなお店においても、とても大事である。
お客様は常に楽しいひと時を求めている。
仕事のノルマや成績に終われる社会人には娯楽が必要である。彼らはそう……乾いた心にオアシス、潤いを求める冒険家だ。
閑話休題。
つまり、初めての対応でリピート率が変わるのだ。
簡単に数字で例えるならば、また店に来てもらう事で1が2、3へと変わり、売り上げが上がる。逆に、最初の対応でしくじれば、1が0へと変わってしまう。
酷いケースなら、マイナス1にもなりかねない。
「ぐへへへへへへ、良いではないか良いではないか~」
「あはは、そこはダメですよご主人様~♪」
最高につまらなくてやる気の起きない物事でさえ、鳴子は面白おかしくするので客達は皆、彼女と一緒に過ごすことを好むのだ。
だから、鳴子目当てで店に訪れる者は多く、カリスマは店の顔である鳴子を新規やリピート客に近付けるように仕向けたのである(萌花いわく)。
「あっ、ご注文はわたしですか~? こころピョンピョン~今行きます~♪」
同時に、優のような常連客にはあまり対応出来なくなっていった。
店の方向性としては、自然な流れだろう。
寂しい反面、鳴子の人気が上がった事を喜ぶべきなのだが……。
「ぐ……ぐににに、ぐぎぎぎぎ……ぎゅにゅにゅううううううぅぅぅぅ……ぜえっ、ぜえっ……おえ、ごほごほ、ぐほあっ、ぐぼえええぉぉっ……!」
変化を拒む優は、現実が受け入れられずに自己防衛に走っていた。
「おいやめろ、こんな所で吐くな、出禁になりたいのか!」
「で、でぁってええ……っ、めいご、゛お゛れのめいごがああああ……っ‼」
まるで、自国が変わってしまったことを嘆く国家主義者だ。鳴子というメイドに、盲目的で忠実なために他のプロパガンダの影響を受けやすく、敵とみなしたモノを全て破壊しようとする殺戮マシーンのように生まれ変わるのではないだろうか。
「ねぇ今どんな気持ち? どんな気持ち? チェキでその顔拝んでみる?」
「萌花、そんな事していたらカリスマさんに怒られちゃうよ。ほら、優も落ち着いて」
このように、ネガティブな優を茶化したり、宥めようとする会が出来ていた。
仮にも、鳴子目当てで毎日メイド喫茶に通う優には、並々ならぬ愛着心があるのだろう。寂しいという感情を剥き出し、暴れて見せる。
萌花はそれを見て「いつか不満が爆発しそう……」と呟くが、キラはあまり気にしていない。
「コイツの反応、見ていたら面白くない?」
「どこがよ、鳴子に襲い掛かりそうな眼でキモいわよ」
「しないしない、大丈夫だよ。それに、まっすぐで気持ち良いんだよね」
萌花は頭にクエスチョンマークを浮かべていたが、キラは続ける。
「優は不真面目で反抗的だけどさ、気に入った相手には貪欲で執念深いんだよ」
「それってただのストーカー……」
萌花は軽く引いているが、キラは続ける。
「最初、鳴子ちゃんにウザ絡みしていたでしょ。ホント引くけどさ、一度でもあいつと関わるとさ……なんか本当の自分を引き出される気がするんだよ……しないかな?」
キラがそう感慨深げに話そうにも、萌花は納得が出来ない。
「さぁ、私はしょっちゅう会ってるけど、そんな事一度もないわ」
「そんな事ないよ。実際に萌花だって、最近評判上がってきたじゃないか」
「そ、そんな事……ッ!」
萌花は、塩味の効き過ぎたポテチを噛みしめるような顔で反応した。
ちなみにそのポテチは、最近流行りの『硬アゲ⤴⤴ポテト(青ノリノリ味)』である。彼女は今日、コーラとポテトを買って帰ろうと決めた。
つまり、乙女心というのはとても複雑なのだ。
このような茶番を繰り広げている最中、カランカランとベルの音が鳴る。
「あ、誰かお客さんが来たようだね」
萌花がすぐに反応して立ち上がるなり、すぐお迎えに行った。
「おかえりなさいませごしゅじんさまー……あっ」
三人の客だった。中心の男を取り巻くようにモブが左右に立っていた。それぞれ三十半ばといったくらいか、右にはひょろくて細長い男。左には、メガネで頭にバンダナを巻いているニキビ肌が印象的な男。そして、中心には——
「あん? あのブタゴリラじゃねえか」
「シーッ、優シーッ‼」
……そう、以前に優が投げ飛ばした客である。
優が『ブタゴリラ』と勝手に名付けた事により、彼の源氏名も『ブタゴリラ』となってしまった悲しき人物。だが、本人は気に入っているらしい。
キラはすぐさま、優の不適切な言動を止めるべく口を抑えつけた。
しかし、ブタゴリラは優の存在に気付いてしまう。案の定、チラリと優の方へ視線を向けるも、「お前に用はない」とばかりに視線を逸らした。
だが、優はそいつから一度も眼を背けない。
その挑発的な態度に、キラはやめてくれと心の中で叫んだ。
「あのぉ、鳴子たんってメイドに愛にきたんだけどぉ……」
ブタゴリラの連れのひょろい男が萌花に尋ねた。
「あぁ……今日は出勤ですよ、あそこにいる子がそうです」
おどおどした口調につられそうになりながら、萌花は対応した。
すると、また一方の小太りな男が鼻を鳴らして告げる。
「でゅふふふふ、かわいいですな! ネットですごく評判だからきてみましたぞい!」
「そ、そうですか……マナーを守って頂けれるのならどうぞ、ごゆっくり」
オタクのような気持ち悪い口調で話す男に、軽く引き気味で接客をする。
最後に、ブタゴリラが話した。
「マナ~~~~? あぁ、突然客を投げ飛ばしてくるようなことをしなきゃいいんだろう、簡単簡単、ガハハハハ!」
優を煽るように、豪快に笑って返事をした。
もう既にお酒が入っているのだろうか、すこぶる機嫌が良さそうである。
そのまま奥の席へ行くと、鳴子に声を掛けた。
「やぁメイドさん、元気かな?」
鳴子がビクリと肩を震わせると慌てる。
「おかえりくださいませご主人さま……あっ」
「「お、おかえりくださいませ⁉」」
うっかり失言をしてしまった鳴子は、しまったとばかりに両手で口を塞ぐ。
モブ二人が驚くも、ブタゴリラは高らかに笑った。
「がーーっはっは、面白い子じゃないかっ。噂になる程のメイドというのはやはり言う事が違うなっ! とりあえず注文だ、デカいの持ってこい‼」
一番に冷や汗をかいた萌花が、安心したように胸を撫で下ろす。
ブタゴリラは鳴子を分かっているとばかりに応じて、ドカッと席に腰掛けた。
「わ、分かりました~今持ってきますね!」
鳴子は注文を伝票に書き記し、厨房へと戻っていく。
一方で、カリスマが優たちの元へゆっくり歩いてきた。
「あのお客さん、かなり金落とす上客だから変な真似しないでくれよ……?」
小声で優とキラの二人に告げる。
キラは分かったと合図をしたが、優は気に食わないとばかりに形だけ応じていた。
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