匿名短編コン参加作品一覧集
長月瓦礫
第1回 #匿名短編コンテスト・始まり編
【始まり129】ジグザグジーキルは夜道を狙う
一定の間隔で置かれた街灯は、息せき切って走るミナトを照らしている。駅の壁時計で確認した時は、もう20時を過ぎていた。そこからずっと走っていたから、10分は過ぎているだろうか。一度立ち止まって、リュックを背負い直す。これでよしと。顔をあげると不審者注意と書かれたチラシが目に入った。
最近、ニュースになっていた。道行く人を脅し、金目のものを奪い取る。人通りの多い繁華街では、警備員が常駐しているし、ミナトが歩いている通りでもパトロールをしている。犯人はいまだに捕まっておらず、どこに潜んでいるかも分からない。殺人にまでは至ってないのが幸いだろうか。あるいは、これから起こすつもりなのか。分からない。
変なのに会う前に帰らないといけない。また走り出そうと前を向いた。その足は一瞬にして止まった。
「ねえ、おにーさん、こんな時間に何してるの?」
道のど真ん中に少女が一人。白いタンクトップ、細身のジーンズ、まっすぐ切りそろえられた前髪。顔は化け物のようにニタニタと笑っている。何が面白いのか、よく分からない。あっけにとられていると、彼女の手の中で何かが光った。
「おにーさん、いいもん持ってるねえ?」
酒でも飲んだのだろうか。舌足らずで、言っていることが聞き取れない。
「何のことでしょう」
ミナトがそう言うと、また笑い出した。
「ジグザグジーキルくねくね進む。ツギハギパッチは寄り道ばかり。チグハグマーブルひとつ飛ばしで軽やかに」
彼女はナイフを手の中で回して、ミナトに向ける。ナイフが描く線の美しさに、ひゅっと息をのんだ。彼女は歌う。まるで幼い子どものように、楽しそうに歌う。
「切って結んで一つの線に。開いて結んで一つは千に」
彼女は近づく。まるでお酒に潰れた大人のように、ふららふら歩く。リュックにしまっているスマートフォンを思い出す。こんな目に合うくらいだったら、迎えに来てもらえばよかったかな。今更、何を考えても遅いのかもしれない。
「ねえ、おにーさん。アンタの持ってるもんを出してくれれば、見逃してあげるよ」
例の不審者は金銭などの金目のものを要求するらしい。おそらく、今みたいにナイフを突きつけて、何度も要求してきたのだろう。それで、財布やカバンを漁るだけ漁って、欲しいものだけ盗って帰る。ゴミ捨て場で荒らすカラスみたいな奴だ。そのカラスが彼女らしい。嫌な汗が首筋を伝う。足はその場で凍りついたらしい。まるで動けない。気がつけば、彼女は目と鼻の先にいた。右手でナイフをしっかり握りこんで、切っ先をミナトに向けていた。
「いくつも開いた花の数は、さあ、いくつでしょう?」
刃が届く前に、右手を弾く。ナイフは宙を舞う。地面に落ちる前に、ミナトは背をむいて走り出した。
「あぁ? やんのかてめェ!」
背後から聞こえたその声で、心臓が飛び跳ねた。ミナトを刺すような、どすの利いた男性の低い声。誰かを傷つけることに慣れている野蛮な男の声へと、切り替わった。さっきの少女はどこへ行ったのだろうか。いや、どこへ行こうが関係ない。体はようやく自由になった。今は彼女から逃げることだけを考えろ。とにかく逃げろ。その思いだけが彼を突き動かしていた。
正直、素直に帰宅することができなかった。あの曲がり角に彼女がいるかもしれない。あの電柱の陰に隠れているかもしれない。町中の至る所に彼女が隠れているような気がしてならなかった。どこにいても、恐怖感がぬぐえなかった。今も心臓がどくどくと鳴っている。もう一度、大きく深呼吸をした。腕時計を確認すると、もう9時を回っている。あれだけのことが起こったのに、1時間ほどしか経っていない。
「よし」
ミナトは顔をあげる。玄関前まで来れば大丈夫だ。よくよく考えてみれば、家に帰って来るまで彼女に一度も遭遇していない。諦めて違うところに行ったのだろう。
「おい、こら」
「……」
「今度は逃がさねえからな」
背後にいる誰かがバッグを引っ張った。ついさっき聞いたばかりの声だ。男性の声ではなく、女性の声に戻っている。どうしよう。何が目的なのだろうか。ここまでしつこく追いかけられる理由が分からない。
「言ったじゃんよ、アンタの持ってるもんを出してくれれば、見逃してやるってさ」
ある程度酔いは醒めたのか、口調はしっかりしている。だが、言っていることは無茶苦茶だ。訳が分からない。何がしたいのかもよく分からない。
「何なんだよ! どいつもこいつも!」
もう限界だった。これ以上は付き合っていられない。振り向くと同時に、彼女の胸ぐらをつかむ。
「いい加減にしろよ! お前!」
ミナトは声を荒げた。その声に彼女は目を丸くする。
「マジ何なんだよ! 財布忘れるし! 渡る信号全部赤色だし! 変な気違いみたいなのに襲われるし!」
そのまま彼女をがくがくと揺さぶる。彼女は目を点にして、宙を見つめていた。本当に最悪だ。どうしてこうなったのだろうか。肩を激しく上下させながら、呼吸する。かすかにその目はにじんでいた。
「……まあ、ちょっとは落ち着けよ。おにーさん。あんたの不幸っぷりには同情してやるよ。ドンマイ、そんな日もあるさ」
彼女なりの励ましなのか、ぽんと肩に手を置いた。
「とにかく、さっさと離してくれないかな」
肩に置かれた彼女の手に力が入る。指が食い込み、痛みが走る。思わず手を放した。自由になった彼女は片足で後ろに跳んだ。獲物を狙う猫の如くミナトを睨みつける。
「あー……兄貴?」
間の抜けた声を聴いて、二人は一斉に声の方を向く。彼らの視線の先には、二人から視線をそらしているミサキがいた。
「そこの通りまで声が響いてたから、何事かと思ったんだけど……えーっと」
ぶつぶつとぼやきながら頭をかく。小さく舌打ちしてから、彼女は脱兎のごとく逃げ出した。闇の中に消えていく背中をミナトは黙って見つめていた。とりあえず、危機は去った。大きくゆっくりと息を吐いた。
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