回想—混沌なる天魔2


 翌朝——トイロ平野にプリム王国とアボロス王国の両軍が整列していた。互いに士気は高く、殺意に満ち満ちている姿はどこか狂気的だ。

 彼らをそのようにさせたのは事実無根の神託であり、国の上層部による長い年月をかけたある種の洗脳だった。


 存在している神を利用した、命の軽視。それこそが国の狙いであり戦争での勝率を上げるための有効な手段である。実際、多くの兵は死の恐怖や痛みを「神の試練」だなんて都合のいい言葉で片付ける傾向にあった。

 件の神は人間に興味すらないというのに。


「そこにいますね、パイモン」


 憐憫の眼差しを送りながらルシファーが何もいない背後に呼びかけた。

 もちろん、見えていないだけでそこには彼に忠誠を誓ったがいる。


「パイモン、ただいま参上いたしました」


 言葉短く、片膝をつかせながらパイモンは耳を澄ませて指示を待つ。元天使の美丈夫がその仕草をすると一つの芸術作品のようだ。


「今すぐプリム及びアボロス王国内部について調べてください」

「御意」


 瞬間——パイモンは漆黒の翼で飛翔した。すべては一刻も早く主の命を遂行するため。







 戦争開始前、プリム軍。

 煌びやかな装備を身につけた総帥が後ろで控える十万の戦士に激励の言葉を叫ぶ。


「敵は魔神アボロス様の名を騙る野蛮な民十五万! 例え数で勝られようとも我らには至高神プリム様のご加護がある! 栄光を持って全軍、突撃ィィ!!」

「おおおおォォォォ!!」


 花火のような地面が震えるほどの爆音が十万の一声いっせいで響き渡った。




 一方、アボロス軍。

 小太りの中年男性が分不相応な宝石が埋め込まれた剣を掲げる。


「我ら魔神アボロス様の恩寵賜りし勇者なり! 敵は神の名を汚す人の皮を被った悪魔十万匹! 我らが聖剣で討ち滅ぼすぞォォォ!!」

「おおおおォォォォ!!」


 もはや敵は人に在らず。その意思を強く貫く自称勇者の軍は雄叫びとともに動き出した。







「始まりましたか……」


 剣や弓、盾を利用した原始的な戦争を俯瞰しながらルシファーは思う。


 ————魔法すら使えぬとは、まるで本物の猿ですね。


 そしてやはりと表現すべきか己の中でドス黒い感情が渦巻くのを自覚した。

 天使として、神罰を下すべきか否か。だがとうの神は人間に興味の感情を抱いていない。ならば見逃すべきなのでは?


 ふと、滑稽に殺し合う人間の叫び声が耳に入った。


「ぐぅぅ……き、貴様ら……! 覚えておけ! ここで我らが死のうとも、必ずや至高神プリム様は貴様らに未来永劫苦痛の呪いをかけることをな——!」


 断末魔、とは少し違うがプリム王国の人間が死の間際で大きく喚いていた。


 そして——ルシファーは理解かった。

 そもそもの話、だ。ルシファー自身、最上位天使ではあるが、それ以前に欲望に生き、欲望に従う最上位悪魔でもあるのだ。


 だから、そう。

 別に構うことなどなかったのだろう。


「——わたしがここで悪魔として人間を殺せばいい。今のわたしは天使ではないのだから、神の意志を尊重する必要もない。ただ、欲望のままに……」


 思い込み。あるいは自身に対する洗脳。どちらにしてもルシファーのなすべきことは今この瞬間定まった。

 手のひらを前に出す。

 するとその手に、神の代行者たる権限の光が満ち始めた。それは、それこそは比類なき神々の威光である。


「な、なんだ?」「光っているぞ!?」「あぁとうとう神が我らの前に姿を現したんだ!」


 根拠なき妄言の数々をものともせずに天魔は——否。一匹の悪魔は嗤笑した。


至高神プリムの名の下に我、ルシファーが代行者たる権能を行使する」


 その発言ののち、ルシファーの手に集まる神の光が握りつぶされた。

 次の瞬間——轟音。


 

「————」


 トイロ平野はルシファーの佇んでいた場所を中心に、あたかもボール状に削られたかのごとく綺麗な円を描いて破壊痕を残した。

 最大半径100キロメートルで大爆発を発生させる神の御業——それこそが至高神プリムの力だったのだ。


 一仕事終えて、翼で宙に飛んだ天魔は悪びれた風もなく言い放つ。


「これが神の力ですよ。あなた方サルが夢に見た神の力です」


 ——嬉しいでしょう? 

 という、すでに血の一滴から骨の一片まで存在しない人間に向けられた言葉は、背後からの声に吐かれることはなかった。


「ルシファー様。パイモン、ただいま戻りました」

「さすがですね。仕事が早い」


 姿勢を整えたパイモンを満足げに見てから報告を促す。


「まずはプリム王国から説明させていただきます」


 




 一通り情報を得たルシファーが慈愛の表情で頷く。

 すっかり今は天使となったようだ。


「そうですか。……そんなことになっていましたか」


 プリム王国は謎の難病に悩まされているようだ。そのお陰で本来よりも軍の数が少なく、国も半壊状態だという。

 もう一方のアボロス王国は食糧難だという。お陰で国民の大半は死に、貴重な食糧は戦争を理由に軍が持っていく——もはや国としての機能はしていないようなものだった。


 人間の命を尊くなどは思わない。しかし、一天使としてまだ罪を重ねていない人を見殺しにするのはどうかとも思う。

 だから、


「どうなさいますか?」


 その問いを投げかけられた頃にはルシファーの答えは決まっていた。


「救済を選びましょう」

「承知しました。……しかしよろしいのですか? 奴らは——」

「皆まで言わずともよいですよ。ええわたしもあなたと同じ考えだ」


 それは救済した人間がまた神の名を騙るサルへと堕落することを認めた瞬間だった。

 でも、


「その時はまた、わたしが裁きます。神に代わって」


 “今”はまだ、罪を犯していない。ならば誰にも裁く権利などありはしないのだ。

 せめて、より良い未来を期待して、少しでも多くの民を救うのが神の代行者たるルシファーの役目である。


「病気に関しては医神アスクレピオス様の力をわたしが借りれば問題ないでしょう。食糧に関してですが……」

「それはプリム王国のを渡せば良いでしょう。あそこには豊富な土地がありますし、他国とも食糧をメインに貿易しておりました」

「これで解決ですね。わたしは病の治療に向かいます。パイモンは食糧をアボロス王国に届けなさい」

「御意」


 二人の姿がかき消える。大量虐殺の跡は残ったままだった。







 悪魔と天使の間に生まれた申し子がいた。

 その者——神々に愛され、十柱の偉大なる主神より神力を貸し与えられたうつつ鬼神。

 全種族の中で、最も交わりのない二種族の血を継ぎ、神々の力すら入り混じるその男は類を見ない珍しさからこう呼ばれるようになったという。



 ——混沌なる天魔。



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