回想—悪虐の始皇帝3


 エンドがゲードに訪れるより前。

 大魔帝と呼ばれる以前の男——蜥蜴人リザードマンのギューズは幼いながらに憤りを感じていた。

 冒険者と名乗る人間による蜥蜴人狩り、土地の簒奪、同胞たる蜥蜴人が一様に抱きだした「諦念」。そのどれもがギューズを苛立たせていた。

 だから彼はゲードの武力による支配を目論んだのだ。


 はじめは走り込みから。次は腕立て、その次は素振り。それから同胞との組手。最後には蜥蜴人から何もかもを奪い去る冒険者との死闘を。

 蜥蜴人は、ギューズは天才だった。冒険者との死闘を皮切りに“常闇”の異能を開花させ、世界から光を奪い、“闇”によって支配した。魔物であろうとも逆らう者は殺し、人間であればかつて己らにそうしたように全てを奪い取る。けれど、大魔帝となったギューズに付き添う仲間だけは宝石のように扱った。


 そんな彼は現在まで敗北を知らずに生きている。


 ——現在までは。


 “闇”の鎧を見に纏う大魔帝はまだ見ぬ「敗北」の可能性に残虐な笑みを浮かべる。何十年も冷めていた声音は忠実なる配下ですら覚えのない抑揚のあるものになっていた。


「まだ終わりではないだろう? エンド=E=サリバン……!」


 その呼びかけに反応したわけではないが、まるで大魔帝の“闇”と見間違うほど暗い穴の中から男が出でる。片手にはポキリと折られた魔剣が握られ、小綺麗だった服装は土に汚れていた。


「言うではないか。ボンクラ——否、名乗れ異世界の皇帝」

「……」


 大魔帝は虚をつかれたように瞠目する。


「早くしろ。偉大な始皇帝が名を聞いてやっているのだ」

「……驚いた。余の目にはヌシがそれを宣うようには見えなかったのでな」


 それから僅かな逡巡を経て長年言うことのなかった、呼ばれることのなかった名を答えた。


「ギューズだ。姓はない」

「そうか……ギューズか。誉れ高きその名、確かに聞いたぞ」

「——」


 その言を聞いた瞬間、大魔帝は今度こそエンドという男がわからなくなった。

 傲慢で高慢で、そうなるほどの実力を持つ人間。これこそがギューズの認識であり、間違いではない。


 しかしたった今エンドから垣間見えたのは傲慢さでも高慢さでもなく——


「これよりオレが放つのはオレが所有する最高最優最強の神器だ。これを受けて生きた者はいない」


 紛れもない敬意がエンドにはある。つい先刻まではなかったものがそこにあった。

 勘違いしてはいけないのはエンド=E=サリバンの本質は“皇帝”ではなく“武人”であることだ。それ故に彼は強者を重んじ、敬する。


「構えろ、ギューズ。その不可思議な力を存分に振るうが良い!」

「よかろう。余の“闇”のすべてをヌシにぶつける……!」


 エンドが真に警戒すべきだったのは蜥蜴人の中に混じる竜の血などではなく、ギューズの持つ特異な力“常闇”だった。そもそもこれは多くの世界に存在する“魔法”とは別種のものであり、また別の世界に存在する“スキル”とも別種の力であった。

 その事実を自らの左瞳——術理カーティオの瞳を所持するエンドは知っている。


 さらに“常闇”の間合いも。


「やっとその力を分析できてきたんだがな」


 ——少し遅かったか。短く付け足してエンドは天を仰ぐ。

 ゲードを覆っていた“闇”のすべてが大魔帝の宣言通りただ一人の男にぶつけるためと、収束を始める。すると外部からの星の光が遮断された闇の世界に数十年ぶりとなる光が差し込み出した。

 つまりそれは大魔帝が今まで手加減していたことの証明であり、これからは全力をもって戦うことの証明だった。


「これが余の本当の“闇”だ」


 星を覆っていた“闇”は一つの塊へと凝縮された。まるで空間に穴が空いていると錯覚するほど黒い。


「さすがだな……」


 一方でエンドも己の身体に封じられた十八番である“封印”の力を解き始めていた。

 呼び起こすは一握りの神器。


「オマエの相手に不足はないぞ、雷霆ケラウノス——!」


 直剣の形で顕現された白く輝く雷は神々しく手に収まっている。膨大な熱量を僅かばかりも漏らすことはなく、剣先は空に向けられた。


「我が闇に呑まれろ……!」

「この一撃でもって潰えろ、ギューズ」


 大魔帝の“闇”が放たれる。

 始皇帝の雷霆ケラウノスが振り下ろされる。


 その瞬間——ゲードが震撼した。星が鳴いた。

 破滅的な爆発は神話の戦争に数えられるようなひと場面。

 両者が真に求めていたのは「強者」であった。






 星は——ゲードは何の価値もないただの星に成り下がった。主な原因は二つの生命であったが今更どうにかできることでもない。


「息があるだけマシと思え」

「……あ、あぁ」


 地に背をつけて倒れているギューズに声がかかる。もっとも肝心のギューズの全身は焼け焦げていて、息もたぢたぢのはずだ。いつ死んでもおかしくはない。


「完全勝利とはいかなかったな。オマエの“闇”はオレにも届いたらしい」


 そう言いながらエンドは右手から流れる血を見た。久しぶりの己の血は赤色。当たり前のことだが、これを見ると自分にも人間の血が入っていることを思い知らされる。


「ヌシは本……気で……あったか?」

「むろん本気だ」


 大魔帝の感じた疑問。死に際だからこそ、相手を疑う不敬をもろともせずに問えた。


「思い違うなよ。オレは本気だった」


 ただ——とエンドは言う。


「今のオレは力の5%をそれぞれ九つの世界に封印している。悪かったな、全力ではなかった」

「は……ははは……そうか」


 敗北を期して、はじめて負けた。例え相手の力が本来の55%しかなくともこの上なく嬉しいことだ。

 ——ああ、最高に愉快だった、と大魔帝ギューズは静かに眠った。


死んだいったか。よいさ、オマエとの出会いは僥倖であった」


 ————だがオレも哀れな者だ。


「まさか戦楽しさにゲードの全生命を滅ぼしてしまうとは。これでは皇帝を名乗れないな」


 エンドはひとり、完全に生命が消滅した世界——ゲードで呟いた。


「残るは神界か」





 宇宙ではじめて生まれた皇帝がいた。

 その者——百の世界を手中に収め、神界にて一万の神々を鏖殺したうつつ鬼神。

 神と人間の血が入り混じる半神半人のその男は畏怖と畏敬を込めてこう呼ばれるようになったという。


 ——悪虐あくぎゃくの始皇帝。

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