第4話


「見せてください!」

「あっ……」


 雪琳の腕を掴むと、秀峰は自分の方へと引き寄せる。傷口を見てそれから小さくため息を吐いた。


「棘は抜けているようですが、念のため手当をしましょう」

「は、はい」


 腕を引かれたまま、近くの井戸へと向かった。中から水を汲むと、丁寧に雪琳の指先を洗う。そして井戸の近くに生えていた草を千切ると、潰し出てきた汁を雪琳の指先にすり込んだ。


「それは?」

「これは艾蒿よもぎという草です。止血効果があります」

「艾蒿、ですか」

「どこかの村ではこれを潰したものを餅に練り込み食べるそうですよ」


 緑色のそれを食べるところを想像して、なんとも言えない表情を浮かべてしまう。そんな雪琳に秀峰は淡々と話す。


「雪琳様。花の中には綺麗な見た目とは反して棘や毒のあるものもございます。決して不用意に触りませんよう、お気をつけ下さい」

「ごめんな、さい」

「わかってくださればいいのです」


 ふっと秀峰が表情を崩した。その柔らかい笑みに雪琳の心臓は大きく音を立てて跳ね上がる。秀峰に掴まれたままの腕が熱い。いったいどうしてしまったのだろう。


「あっ、あの」

「どうかされましたか?」

「手を……離して、ください」

「え、あ……っ。し、失礼致しました」

「いえ……」


 雪琳に言われようやく気付いたのか、秀峰は慌てて掴んでいた手を離す。なんとも言えない空気が辺りに漂う。その場から逃げ出したくて仕方がなかった。


「わ、私、戻ります」

「え、あ、はい」


 雪琳は襦裙の裾を上げると小走りで庭園をあとにしようとして、思い立ち振り返った。


「あ、あの」

「え?」


 突然振り返った雪琳に、秀峰は少し驚いたような表情を浮かべた。雪琳は先程まで秀峰が触れていた腕をそっと掴むと、視線を上げた。


「また来てもいいですか?」


 別に秀峰に会いに、というわけではない。ここが秀峰のものではないこともわかっている。けれど、それでも尋ねたかった。そんな雪琳に、秀峰は咳払いを一つすると表情を変えずに答える。


「……ええ。いつでもどうぞ」


 そう言う秀峰の声色に、先程よりも少しだけ親しみが込められているような気がしたのは、雪琳の気のせい、だろうか。



 その日から初めは数日に一度、気付けば毎日のように雪琳は庭園へと向かうようになっていた。秀峰もたまに現れるだけだったのが、雪琳が毎日通うようになる頃には、決まった時間に庭園を訪れるようになっていた。


 雪琳としては秀峰と話すのは楽しいからいいのだけれど、秀峰にも他の仕事があるのではないのだろうか。庭園で、雪琳の相手ばかりしていて大丈夫なのだろうか。いや、雪琳だって邪魔をしているつもりはない。今もこうやって秀峰の手伝いを――。


「どうかしましたか?」


 手を動かさず、自分を見つめている雪琳に気付いたのか、秀峰は小さく首をかしげた。見つめていることに気付かれていると思っていなかった雪琳は、慌てて視線を逸らした。


「え、あ、あの、その。近頃、よくお会いしますね」

「え……? いえ、そんなこと、は……」

「秀峰?」

「昨日……一昨日、それから……っ!」


 秀峰は指折り数えながら言った自分の言葉に一瞬驚いたような表情を浮かべ口元を手のひらで押さえたあと、そのままの姿で動かなくなってしまった。どうかしたのだろうか? 大丈夫かと尋ねようとした瞬間、秀峰の顔がまるで夕日に照らされたかのように真っ赤になった。


「秀峰? あなた、一体どうしたの……?」

「……い、いえ」


 どこか言葉に詰まったように言うと、秀峰は雪琳から目を逸らした。


「その、そうですね。たしかによく、お会いしますね。申し訳ございません。今度から雪琳様のいらっしゃらない時に来るようにいたします」

「そんなこと言ってないでしょう。どうしたの? 具合でも悪いの? 顔が赤いようだけど……」

「問題ないです。お気になさらないで下さい」


 そう言ったきり、秀峰は雪琳の方を見ることも口を開くこともなく黙々と花殻を摘み取っていく。しばらくそんな秀峰の姿を見ていたが、全く自分の方を見てくれないことに落胆して再び自分の足下に視線を向けた。殻を摘み取る秀峰の隣で手伝いをするため、目の前の花の枯れかけた花弁を取ろうと手を伸ばした。


けれど、その手を秀峰がそっと掴んだ。


「きゃっ」


 力強いその手に雪琳の鼓動が跳ね上がる。どうしたというのだろう。いったい秀峰はなぜ――。


「それは駄目です」

「え?」

「それはまだ摘んではいけません。枯れているように見えますがまだ生きています」

「あ……」


 それだけ言うと、秀峰は雪琳から手を離し何事もなかったかのように再び花殻を摘み始める。雪琳はもう一度、自分が摘もうとしていた花殻と、それから秀峰を見比べて恥ずかしさから俯いた。


「秀峰は……凄いですね……」


今すぐ顔を覆ってこの恥ずかしさから自分自身を隠してしまいたい。けれど、汚れた手で覆うのは。いや、手も顔もあとから洗ってしまいさえすれば問題ないのでは。ぐるぐると思考が回り続ける雪琳の隣で「ふっ」という小さな笑い声が漏れた気がした。


「え?」


 けれど、声の主と思われし秀峰は、何事もなかったかのように、むしろ先程までよりも速度を上げて花殻摘みに勤しんでいた。


「今、笑いました?」

「何のことです? それよりも、手伝ってくださるのでしたら、口よりも手を動かしてください」

「うっ……はぁい」


 雪琳は項垂れながら自然と口元が緩む。厳しいことを言いながらも、秀峰の口調は怒っているわけではなくどちらかというと気安ささえ込められている気がする。毎日会ううちに、距離が縮まったのだろうか。理由はよくわからないけれど、それを嬉しいと感じる自分がいる。


 秀峰に気付かれないように視線を隣に向ける。秀峰もほんの少しでも、同じように思っていてくれたならどれほど幸せか、そんなことばかり考えてしまっていた。

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