5. Repeat


 カンファレンス室には、隈川を担当している医者と、校正師、校正助手、薬剤師、言語療法士が居た。彼らは今後の隈川の校正計画について会議していた。


 初老の医師は、先刻彼に行った問診の結果を共有すべくこう話した。


「今回の被推敲者カンジャですが、非常に厄介な状況ですね。軽症の方なら、【レーテー】(注・簡易忘却装置のこと)を使った後、【ムニン】で、標準健康精神をインプットすれば良いだけの話なのですが、彼には学生時代に上手く青春を体験できなかったことが原因となっており、一筋縄にはいかないと思われます。


実際彼は、過去に一度【創作罪】を犯し、施設で療養と記憶処置を施された後に、社会に還元されたとカルテには書かれています」


これを受け、薬剤師は、


「そうですね。この場合、私が薬物療法で精神の従順化をサポートしつつ、言語療法士の方に条件付けを行なっていただくのが最良かと思いますが……」


と進言した。これに、言語療法士は、


「そうですね。薬剤師の方も仰るように、我々がまず健全な精神をカンジャに宿した上で、記憶の再形成を行うべきかと思います」


と続いて同意した。


これらを踏まえ初老の医師は、


「お二方ありがとうございます。校正師さんはどうお考えですか」


と尋ねた。


「カンジャは再犯でしょう。やはり記憶操作だけでは不十分だったんですよ。

【創作罪】の犯罪因子というジェネティックな問題を持つ者は記憶をアジャストしただけでは再犯することなんて分かりきったことだったんですよ。

初めから薬物投与と条件付けを行うべきだったんだ」


と、校正師の男は気怠げに述べた。隣に座っていた校正助手の女は何度も首肯し、強い同意を示した。


「まあまあ、落ち着いてください。とりあえず、校正に際してのコンセンサスは得られたので、このカンジャに関するカンファレンスは終了とします。では、次のカンジャの治療計画についても会議しましょう」


と医師は話を収束させ会議を進行させた。




 午前八時に隈川は起床した。割り当てられた個室は八畳ほどで、一人で居る分には十分すぎる広さを有していた。が、診察室同様白いブラインド――固定されていて上げることができない――が、外の景色隠していた。


普段は頭痛の原因となる陽光が差すことが、隈川にとっては不快であった為、外の景色なんて然程気にならないだろうと彼は考えたが、【校正施設】に入ってからというもの、一回も外の景色を見ることができていなかったのは、隈川にとっては予期せぬ苦痛だった。


彼は、外の景色を一度でも良いから見たいと強く願った。


 個室も相変わらず白色で統一されており、それは強迫めいていた。文章校正をするには、一度誤った文章を消去して白紙化する必要がある。


そのメタファが、このどこまでも広がる白色ではないのかと隈川は思った。俺はこれからどんなことをされるのだろうか、と隈川は考えたが、徒に己の恐怖心を煽ってしまうばかりだった。




 政府は三十年程前、【ムニン】を全国に普及させた。実装当初は画期的だと持て囃され、多くの国民は学力が均一化され、勉強は苦心して行うものではなくなると歓喜した。が、実際には脳の優劣を顕著に示すだけだった。【ムニン】を使って、大量の情報を流し込むと、頭痛や別の記憶の忘却などの副作用が発現すると判明したのだ。


 それには個人差があり、大量のデータをダウンロードしても副作用を出さない優秀な記憶媒体ブレインを持つ者と、一ギガバイトのデータにさえ、大量の時間をかけてダウンロードしなければならない者が居た。


 また、計算能力の差や、情報の論理的整理能力の優劣などは、記憶が外注化されるようになっても個々人によって大きく異なり、これらは遺伝によるものであることが、より明らかなものとなってしまった。情報を幾ら保有しても、それを扱いきれるかどうかはそれぞれ当人の遺伝的素養によって規定されるものだったのだ。


 当初は、【ムニン】の安全な仕様が確立されておらず、大量の記憶混濁者ドランカーが現れた。言わばそれは情報の酩酊であり、脳が正常に作動するには、情報を抜く必要があった。当時はデリート機能が十分に確立されておらず、再起不能者の数は集計されることこそ無かったが相当なものであった。


 従って、政府は【ムニン】の取り扱いに制限をかけた。一般に入手できるムニンの扱える容量ビットは制限され、記憶混濁者はほとんど居なくなった。また、簡易忘却装置の【レーテー】が開発されたことによって、情報に溺れる者は完全に居なくなった。が、【レーテー】はその性質上、悪用される危険性が非常に高かったことから、政府はこれを公表しなかった。【ムニン】と【レーテー】の両方を同時に使えば、洗脳は勿論のこと、人間を記憶を自由に構築することさえ容易になってしまうからだ。


 また、この頃から情報の過食に対する反対運動が活発になった。真っ先に否定の矢尻を向けられたのが、フィクションだった。フィクションが真理を伝えるという過程には、無数の換言パラフレーズ隠喩メタファが存在し、必要以上に情報が膨らんでいる、言わばデジタル癌として、様々な批難が浴びせられた。


 まず最初に行われた規制が、民間人の創作行為を禁ずることだった。フィクションを創造するには、専門的な教育と試験に通過した者のみに発行される免許が必要となった。


 そのため、多くの投稿サイトが閉鎖された。発行物は激減し、古典的作品のみが生き残った。それらは、フィクションでありながら情報価値が非常に高いものとされ、政府や高額納税者などの支援によって手厚く保護された。しかし実際には、開発された脳シェアリング機能を導入した【共感映画】の台頭により、多くの人々が消費したコンテンツは有象無象の本物風味の何かだった。


 だが、それらの偏愛を受けた一部の文学の存在は政府が一括で管理し、ごく限られた者のみがデータアクセスをすることが認可された。それを許されたのは、政府お抱えの、【共感映画】の脚本家や、内通者などであった。


 当然ながら、フィクションの規制には国内外から多くの批判が寄せられた。当時ポリティカル・コレクトネスの意識が蔓延していた諸外国も、多少なりと難色を見せた。

 しかし、事態はさらなる悪化の一途を辿る。当時の日本は国際的競争力が遥かに脆弱であったためと、輸出入の停止を求める運動も非常に活発であったことから、これらの批判をシャットアウトさせることも併せて、鎖国するべきでないかという政治運動が活発化してしまったのだ。

 この頃にはだいぶ国民が海外に流出したこともあり、これ以上労働資本を海外に流出させてはならないという観念が国家全体にあった。


 結果、日本国は二度目の鎖国を選択した。元来食料自給率が極端に低く、農業を外注していた日本はこれにより更に混乱を極めることとなった。スーパーに並ぶ食材は高騰化し、国民のエンゲル指数は急増し、益々困窮を極めた。国民年金の配当が停止した時は、多くの餓死者、軽犯罪者を生み出した。それらの完全な沈静化は今現在もできておらず、今の日本は衣食住が三種の神器と言っても過言ではない程に生活の質は悪化した。


 全ての人々の能力は遺伝的素養によって決定されるという考えは、【ムニン】の登場によってより台頭するものとなった。政府は農業力の補填や、インフラ再建の人員を確保する目的もあり、この遺伝的素養を喧伝の材料とし、国民全てに職業をするようになった。


 『全ての人に、ベストマッチした幸福と労働を推奨します』というスローガンの元、ほとんど全ての日本国民の職業選択の自由は奪われた。


推奨を拒否したところで、罰則は存在しなかったが、推奨通りの職業に就けば、安定した月額二十万円前後の報酬が政府によって一律保証された。


 隈川は、政府の推奨した高速道路再敷設計画に従事した。彼の務める会社では政府が考案する、必須栄養素を補うことが可能である【国民弁当】が一食八九〇円で配給された。


「これは隣町の工場の雇用を守るためだけのクソまずい飯」


と隈川の同僚が口をこぼしていたが、彼は一身上の都合により、推奨職業から離職し、療養することになったらしい。


 隈川は、その同僚のことを考えならがら、【校正施設】で配膳された朝飯の【国民弁当】を漫然と口に運んでいた。あまり意識すると、不味さゆえ吐き出してしまいたくなるので、できるだけ漫然と食らうことが彼なりの流儀だった。カフェイン溶液が付いてこなかったことが、隈川にとっては物寂しかった。



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