洗い上がった着物を持って直巳が座敷に戻ると、柳沢雪保はぼんやり虚空を見つめながら、ゆったりと煙草を吸っていた。脇息にしどけなくもたれかかった身体には、浴衣が肩からだらしなくぶらさふがっている。部屋は灯りもつけず暗いままで、廊下から漏れる細い光が男の身体を斜めに横切っていた。

 「お着物お持ちしました。」

 直巳はその部屋に漂う空気に一瞬怯んだ。その感覚は、はじめて野分花魁と会ったときのそれに似ていた。

 なにを考えているんだ、と自分の思考に苦笑しながら、直巳は畳に着物を丁寧に広げてみせた。

 しかし、雪保はそれにはまるで興味を示さず、キセルの先をぽんと直巳に向けた。

 「お兄さん、遊んでよ。」

 子どもの戯れみたいな言い方だった。だから直巳は愛想笑いでその場を乗り切ろうとした。その手の誘いを受けたのは初めてではないし、いつもそうやって流してなかったことにしてきた。

 けれども、雪保はそれを許さなかった。

 「親父はどうせ来ない。だったら一晩女でも買って遊びたいところなんだけど、もう遊女は飽きた。あんた、相手してよ。」

 口調も眼差しも眠たげにぼやけているのに、雪保から漏れ出ているなにかが直巳を強く掴んで引っ張っている。無色透明で、香りもしない、それなのになにか艶めいたものが、直巳を掴んで引っ張っている。

 私はただの女衒ですから、男と遊びたいんでしたらしかるところで遊んでください、と、それだけの台詞が喉の奥で凍って出てこない。

 それどころか、代わりの言葉が勝手に唇を割り裂いて、雪保に向かっていく始末だ。

 「玉代は、いくらいただけますか。」

 問うた男は自分の台詞にたじろぎ、問われた男は喉を鳴らしてさも可笑しそうに笑った。

 「処女か?」

 今度もやはり、唇が勝手に雪保ににじり寄っていく。

 「はい。」

 「だったら女郎の水揚げと同じだけ払ってやる。」

 だったら、と、直巳は布団の上で胡坐をかく男の傍らまで進み出ていた。

 直巳はこの妓楼に属しているわけではないが、玉代から部屋代やら心付けやらは支払うことになるだろう。

 だったらここの女将は、さあやってこい、とはっぱをかけるに違いない。男の尻一つ貸し出すだけで、遊女の水揚げ代が出るのだ。美味しい話に決まっている。断る理由はないはずだ。

 柳沢雪保は、目の前の獲物の逡巡くらい百も承知の顔をして、笑ったままの唇で直巳のそれを塞いだ。

 直巳はただじっとして、従順に舌を差し出す。

 口づけを解くと同時に布団の上に押し倒されるが、男の手はしっかりと直巳の後頭部を庇っていた。たしかに飽きるほど遊女を抱いた男らしい仕草だった。






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