第2話 家族たち


 ただ救いだったのは言葉が通じたことと、家族や使用人たちと良好な関係であったことだ。


 価値を失ったわたしでも、家族は温かく迎え入れてくれた。

 今はまだ体力が戻っていないが、元気になったらゆっくり勉強させてくれるという。

 とにかくよく休んで元気になるようにと、どんなに忙しくても顔を見せに来てくれる。


 わたしが家族に愛されていると実感するときだ。



 使用人たちもとても親切だ。

 以前のわたしは鷹揚な主人で、メイドさんたちと美味しいお菓子を食べたり、おもしろい小説を貸してあげたりしていたようだ。


 だいたい私の世話をしているメイドさんたちは、皆伯爵以下の貴族の子女なのだ。

 カルボック公爵家は家族仲がよくて、働きに出ないといけない貴族の子女が最も働きたい職場なのらしい。


 えっ? 王宮はって?

 給金はいいらしいけど、ものすごく上下関係が厳しくてたいへんブラックらしい。

 あれっ、ブラックってなんだっけ?

 とにかく非常に働きにくいところってこと。



 みんな大事にしてくれるのはいいんだけど、ちょっとしたことですぐ泣くのは辛い。

 特に私が感じる違和感の話をするときにそれは顕著だ。



 わたしは毎日の食事が多くて困っていた。

 初めは病人食だったからさほど気にならなかったけど、通常食が毎回フルコースなのだ。

 時々のご馳走はいいんだけど、毎日毎食ってのはいただけない。


 それで多いから減らしてくれと言うと、泣き出す。


「食べたいものを食べたい量だけ食べて、後は残してくださって結構です」

 なんてもったいないことだ。


「もっと簡単なのでいいの。菓子パンとかカップ麺とか」


「そのとは、何でしょうか?」



 はて? そう言われるとちょっと困る。

 そういうものを食べていたような気がするだけなのだ。


 何とかない記憶を絞り出して、菓子パンが袋に入っていた甘いパンだと伝えると、翌朝パンにジャムとバターを塗ったものが紙袋に入ってお皿に乗っていた。


 うん、言った通りだし気持ちはわかるんだけど、なんかちょっと違う。

 でも美味しく食べたよ。



 あとスマホだ。

 わたしが寝ぼけて枕周りを探っているのを見て、何をしているのかメイドさんに聞かれたのだ。

 それが何かと言われたら困るんだけど、時間をみたり、いろいろ調べたり、連絡できるものだと伝えるとそんな魔道具は存在しないと言われた。


「時計でしたらあちらにございますし、調べ物は本か、専門の調査員に調べていただきますね。

 連絡は手紙を書きますがお嬢様は……」



 そう名前は書ける(みみずだけど)程度でまだ字は書けない。

 わたしは読書が趣味だったそうで本もいっぱいあるんだけど、全く読めないのだ。

 だから手紙をもらっても読んで返事を書くことができない。


 それに手紙を書きたいと思う人もいないしね。

 だれも覚えてないんだもの。

 もちろんそんなこと言うと泣かれるから言わない。



 少し体を動かしたいと言ったことで、専任の騎士が就くことになった。

 嫁に行ったらいらないというのは、もう考えないことにしたらしい。

 それに侍女と違って、騎士ならば配属が変わっても困らないそうだしね。


 就いてくれたのはポールと言う、背の高いなかなかハンサムな青年だった。

 彼は公爵領の隣に住む伯爵家の三男坊なのだという。

 子どもの頃は兄やわたしの遊び相手で、後継ぎじゃなかったからウチに騎士として就職したらしい。


 兄の護衛をしてたんだけど、わたしのこともよく知っているし、もし子どもの頃の記憶が戻ったらポールならわかるだろうということで選ばれたらしい。



「シア、本当になんにも覚えていないのか?」


 記憶を取り戻すために、彼とはお互い特別にタメ口を許されている。

 シアとはわたしの子どもの頃のあだ名らしい。


「うん、それより出世コースから外させてごめんね」


「出世コース?

 ああフランツの側を離れたことか? 

 大丈夫だ。そんな心配するんじゃねーよ」


 フランツとは兄の名前だ。

 ちなみに父はジャン・エヴァンで、母はマリー・テレーズなのだ。

 父はポールと合わせるとチョコレートで、母はどっかの王妃様の名前っぽい。

 でも詳しくはわからない。



 このポール、私が何を言っても受け止めてくれる。

 そして疲れたり、悩んだりしてたら、とにかく励ましてもくれる。


「大丈夫だ。ポール兄ちゃんがついてるからな」


 うん、記憶を取り戻す役にたってるかはわかんないけど、心強い事だけは確かです。



 ポール兄ちゃんのおかげでお散歩するようになり、元気になったので家族でお茶会をするようになった。

 マナーなんか完全に忘れていた。

 それでも生きてさえいてくれればと、みんな私を愛してくれる。


 記憶をなくしても、とても幸せだと伝えるとみんな泣いた。

 わたしも泣いた。

 みんな泣き虫になったみたい。



 お茶会が済んで、わたしは先に休むことになった。

 お医者様から、頭を使い過ぎると疲労が激しいので、よく休むように言われているのだ。


 だが昼寝をすると、こんな不思議な夢を見た。



「シンシアは子どもに戻ってしまったの。

 だからもう1度、一からゆっくりと教えればいいわ」


「だが王子との婚約はどうする? 

 王妃から王子妃教育を早く受けに来るように言われている」


「まぁ、あなた!

 あのぼんくらと、シンシアの将来とではどちらが大切だというの?

 だいたいあの馬鹿はシンシアの心配をせずに、自分の宿題の心配をしてたのよ!

 あのいつも半分胸を出したふしだらな男爵家の娘を腕に引っかけて歩く程度しかできないくせに」


「腹立たしいのはわかるが、落ち着け。テレーズ」


「それにシンシアは文字を書くこともできないのよ。

 もう宿題も政務の手伝いもできないわ。

 それにお花摘みだって、この家でのやり方さえまごついていたのよ。

 仕組みの違う王宮のご不浄に気軽に行けるわけないじゃない。

 もし粗相なんてしたら、あの子がもっと苦しむと思うわ」



 いや、困ったのは便器じゃなくて壺だったからで、もう大丈夫だと思うけど。

 でも壺じゃなくて他にもいろいろあるんだったら困るかも。


 後で聞いたら、木の板に穴の開けたところへお尻を置いてするんだって。

 その穴はだいぶ下まで続いてて、溜まったのをスライムが処理するそうだ。

 たまに板が割れて人が落ちて、スライムに食べられそうになる事故もあるんだって。


 何それ、怖すぎる。

 安心して用を足せる気がしない。


 ちなみにこの家の壺は、人が落ちても転移しないようにした魔法陣らしい。

 つまり王宮の方が遅れてるって訳ね。



「王家を納得させないといかんなぁ」


「とにかく他のお医者様と、魔塔の魔術師にもシンシアの実情を知ってもらって、婚約破棄するのが一番だと思うわ」


 すると黙って聞いていた兄が口を出した。


「父上、母上。

 そのことなのですが、どうしてあの子が意識不明になったのか知りたくて……。

 悪いと思ったけど、記憶喪失なんて緊急事態だからシンシアの日記を読んでみたんです。

 そしたらとんでもないことが書かれていました」


 何ですと?

 でも自分で書いた気がしないから、別に読まれてもいいか。



 それから家族は私の日記なるものを読み、ある人は絶叫し、ある人は声をあげて泣いていた。

 そして最後には3人とも怒り狂っていた。


「わしの宝をこんな恐ろしい目に遭わせるなんて。

 早く来いと催促してきたのも、うっぷん晴らしをしたいのだな。

 同じ目に遭わせても気が済まない」


「あの女、あなたがわたくしと結婚したから、ゴリ押しで陛下の側妃になったのよ。

 それから前王妃殿下が亡くなって、繰上りで王妃になって。

 こんな形で仕返ししていたなんて……許せない」


「そうなると前王妃殿下の死も怪しいですね。

 いや第二王子のたねも、確か噂ありましたよね」


「嫁いでもずっとお渡りがなかったのよ。

 陛下は前王妃殿下を寵愛されてたから。

 せめてお茶でもって無理やり誘って、嫌々行った陛下はそこで眠ってしまわれたそうなの。

 そのたった1回で出来たのよ。

 普通だったらそんなにうまくできるものじゃないわ」


「叩けば埃が出そうだな」


 3人はすごく悪い顔をしていた。



 そこで目が覚めて、夕食の席に出ると3人はニコニコと朗らかな顔をして笑ってる。

 やっぱりアレは夢だったんだろう。


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ジャン・ポール=エヴァン 有名なショコラティエです。


マリー・テレーズはマリア・テレジアの方が有名ですね。

マリー・アントワネットの母です。


貴婦人が家族とはいえトイレの話をするのは、ちゃんとしていた子どもが突然トイレがうまくできなくなったって相当なショックだったと思うんです。

それは心配でたまらないはずです。



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