第28話 タイムリミット
パシフィスシティ東ターミナルは、洋上に建築されたプラットフォームだ。メインブランチの回転が作る円周に接するように位置し、それ自体は動かない。パシフィスシティには東西南北にそれぞれ一つづつターミナルが設置されており、僕たちが降り立った東ターミナルには東側からの客船が停泊する港が設けられていた。外部からの訪問者は、その交通手段や出発地に応じたターミナルを経由し、そこからモノレール、または小型船を使って都市構造物内の目的地に向かうようになっている。
僕達の目的地はメインシャフトの海上都市。そこにORCAシステム管理局の本部ビルがある。メインシャフトへは、メインブランチを通って中心のメインシャフトまで行く必要がある。
パシフィス共和国の都市構造物はメインシャフトを中心に回転しているため、モノレールはメインブランチの先端が近づいている時しか往来できない。とはいえ、ブランチの動きはゆっくりであり、かつレールもある程度の範囲で可動するようになっているため、一瞬を狙って飛び移る、というような必要は無い。メインブランチが近づいてくると、ターミナル側のレールが可動して迎えにゆき、メインブランチのレールと接続して往来が可能となる。一つのブランチと接続可能な時間は2時間だ。それを過ぎると、次のメインブランチが来る2時間後まで、モノレールの往来は停止する。2時間おきに疎と密が繰り返される特殊な時刻表が、パシフィス共和国のモノレールの特徴だ。そんなわけで、未接続時間に降り立ってしまったお急ぎのお客様のためにと、小回りが効く小型船で少しだけ割高な運賃を稼ぐ、というビジネスが成立しているのだ。モノレールが空港からのシャトルバスや直通の鉄道なら、小型船はタクシーと言ったところだろうか。
船から降りた時間がちょうど未接続時間だった僕たちは、次の接続までの時間をプラットフォームの待合室で過ごしていた。僕達は急ぐ必要があるわけではなかったし、束の間の平穏を少しでも引き伸ばしたいという思いが、誰とも言わずあったのだろう。
窓越しに聞こえる海鳥の鳴き声と波の音をBGMに、待合室をふらつきながらぼんやり
「ねぇねぇ、先輩、上と下どっちにします?」
「えっ?何?」
「モノレールは、海上側と、海中側があるんです。海中側なら海中都市が見られますよ。」
ウィリーが指を指す方を見ると、『海上線』、『海中線』と二つの案内表示があり、それぞれホームへの入口が分かれているようだった。海上線は見慣れた列車の改札と同様に外のホームに続いているのに対して、海中線は下へと続く階段が見える。
「へぇ、面白そうだね。じゃあ海中側にしようか。」
横で話を聞いていたダニエルが口を挟んだ。
「おいおい、海中線はイルカ用だぞ。人間は溺れちまう。あの階段を降りると、途中でポッドを預ける場所があって、そこでポッドから出てモノレールには泳いで乗るんだ。」
「えっ、そうなの?なんだ、それじゃみんなで乗れないね……」
残念そうなウィリー。するとユリネが小さなARパンフレットを持ってきた。
「これ。」
「おおっ!先輩、これならいけますよ。」
ユリネが手のひらに載せた小さなパンフレットからAR表示の文字と写真が飛び出している。覗き込むとそこには、『海中線に新車両導入!水密個室で、ついに人間も乗れる!公共アバター制限も地上側に準拠で安心。(個室のご利用には事前の予約が必要です)』とあった。
「おお、ナイスタイミング。」
「まったく、すっかり観光気分だな。」
「無くなる前に予約しましょう!」
呆れるダニエルには構わず、ウィリーは水密個室の予約のために窓口へ走っていった。
海中線はレールが上にある吊り下げ式のモノレールであり、メインブランチの下部、つまり海中を走行する。僕たち水密個室の予約客は待合室から専用のエレベーターで下層へ降り、水中線のホームの端に作られた、空気で満たされた小部屋へと移動した。小部屋以外の場所は海水に満たされ完全に水没しており、確かにこれでは人間は乗れない。ところどころにイルカ用に空気を供給する管があり、そこからボコボコと泡が出ていた。
10両編成のモノレールがホームに入ってきて、その先頭車両が僕たちの前に停車した。車両は真っ白で、いかにも水の抵抗の少なそうな流麗な曲線で構成されていた。停車と同時に、カシュー、という機械と空気が混ざった音と共にホームの小部屋と車両との接続が行われ、車内の水密個室への扉が開いた。水密個室は車両の先端部分にあり、乗り込むとそこには普通の電車と同じような椅子が数脚並んでいた。水密個室以外の所はホーム同様に海水で満たされ、椅子や吊り革といったものは一切無い。そこに知性イルカ達がホームから泳いで入ってきて、思い思いの場所でぷかぷかと浮いて発車を待っている。
水密個室は天井以外がガラス張りになっていたのだが、どういうわけか、水で満たされた車内と水密個室を区切る壁も透明になっていた。水密個室の中の僕たちはまるで展示物か何かのようで、案の定、車両内の知性イルカたちが珍しそうにチラチラと僕らを見ている。
「水族館の魚になった気分だなぁ。」
僕は少しだけ後悔した。
「この壁が壊れたら、死ぬ。」
「縁起でも無いこと言うなよ……」
不安そうに水密個室の壁をコンコンと叩いているユリネも、僕とは別の理由で少しだけ後悔しているようだ。
『このモノレールは、3番ブランチ接続、メインシャフト3番駅行き、快速です。途中のブランチ内駅には停車しませんので、ご利用のお客様はこの後の各駅停車をご利用ください……間も無く、発車いたします。閉まる扉にご注意ください。』
ORCAシステム経由で脳内に直接アナウンスが流れる。テロンテロン、と発車を伝える電子音に続いて扉が閉まると、音もなく滑らかにモノレールは動き出した。駅は周囲を壁に囲まれており、発車してから少しの間、窓の外の景色は無機質な壁とそこに浮かぶ広告しか見えなかった。少し走ったところでパッと周囲が明るくなり、僕たちの目の前に待望の水中都市が姿を現した。
深い青の中で、逆立ちをした都市が淡く揺らめいていた。
海中都市の建造物は通常とは逆に下へ、つまり海中へと伸びており、まるで地上の都市が逆さまにひっくり返って浮いているように見える。都市を構成する建物は自らぼんやりと白く光っていて、都市の動きによって生じる周囲の海水の揺らぎの影響も受け、それは蜃気楼の中に浮かぶ幻の都市のようだ。
この遠くで揺らめいているのは、サブブランチ部に作られた居住区だ。モノレールが進むにつれ、メインブランチ部に作られた建造物が目の前を通過していく。こっちは交通機関や商店が集まった商業地区になっているようで、居住区とはかなり違う雰囲気だ。居住区が荘厳な古代の宗教施設のようにすら見えるのに対し、商業地区はまさに未来都市。海中の青に映える鮮やかな
よく目を凝らせば、小さな点が建物の間を飛び回っていた。それは、ポッドから解き放たれ、本来の姿で泳ぎ回る知性イルカたちだった。ここは僕の時代には絶対に存在しなかった、知性イルカのための都市なのだ。
「すごい。本当にイルカの都市があるなんて。」
その感想は、散々喋る知性イルカのウィリーたちと過ごしてきて何を今更、というものだろう。だが、普段はアバターで人の姿になっている知性イルカたちの中身が確かにイルカなのだということを、僕は海中都市を見てあらためて実感したのだ。この世界にはまだまだ知らないことがある。僕はしばらく無言で目の前を流れる都市を見つめていた。
「ねぇ、ダニエルさん、あそこには人間は行けないんですか?」
「海中の都市はイルカ用だ。生身の人間が入れるようには作ってない。海中エリアは公共アバターも人間タイプは禁止なくらいだ。もっとも、人間がいないからアバターを使う必要もないんだけどな。」
「海中都市を再現した仮想空間がある。そっちの方が安全。」
ユリネは外を見ながら、相変わらず心配そうにコンコンと透明な壁を叩いている。ふと横を見ると、顔を近づけて外の景色に見入っていたウィリーと目が合った。自分もさっきまで同じような顔で釘付けになっていたかと思うと、少し恥ずかしくなってしまった。
「ほわぁ、ここに住みたいなぁ……ねぇ、先輩?」
「えっ?まあ。でも、地上とは比べ物にならない高級住宅地なんだろ?」
「今の先輩なら余裕で買えるじゃないですか。一緒に住みましょうよ。」
「一緒にって、そもそも僕は人間だよ。まあ、もし死んで、生まれ変わってイルカになったら、住もうかな。」
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ、もう。」
少し不機嫌なトーンで答えたウィリーは、反対側の方の窓際に行ってしまった。首を傾げる僕にユリネが言う。
「私は、地上で良い。」
快速メインシャフト駅行きのモノレールの旅は30分ほどで終わった。ホームに到着し扉が開くと、知性イルカたちはドアから水に満たされたホームへと泳いで出ていった。僕たちは乗り込んだ時とは逆に、ホームの端に設けられた小部屋へと出て、そこからエレベーターで駅の海上側に上がった。水密個室の料金はかなり割高だったが、おそらくこのホームの設備投資を回収するのにほとんど使われているのだろう。
メインシャフト駅の海上側は、陸上にある駅とほとんど変わらない様子だった。首都の駅にしては、むしろ規模が小さいような気がするくらいだ。駅内の案内表示を見ると、僕達が乗ってきたメインブランチに繋がる路線とは別に、メインシャフト環状線という路線があることに気がついた。メインシャフト駅は1番から6番まで6つあり、6本のメインブランチのそれぞれの根本に駅が設けられている。その6つの駅を繋いでいるのがメインシャフト環状線であり、メインシャフト内の駅の移動が必要な場合はこの路線に乗り換えるようになっていた。メインシャフトの駅は一箇所から複数路線に伸びるのではなく、このように6つの駅が繋がった輪から6方向に伸びるという構造をしているため、一つの大きな中央駅のようなものは無いということらしい。
幸い、ORCAシステム管理局本部は、僕達が降り立ったメインシャフト3番駅が一番近かったため、環状線への乗り換えは必要なかった。
ARの案内表示に従って改札を通ると、ガラス張りの高い天井から明かりが差し込む駅のエントランスに出た。メインシャフトが回転していることを思い出し、天井から覗く空を注意深く見てみたものの、少し見ているくらいではその動きを認識することはできなかった。駅構内は空調が効いていたが、日本よりはるか南の晴天の空から注ぐ日差しは鋭く、外の様子を想像するとそれだけで汗をかいてしまいそうだ。海中にいるイルカたちは涼しそうで良いな、そんなことを考えていると、少し遅れて到着した地上線の乗客が一気に降りて来たらしく、周囲が騒がしくなった。
「さて、どうしようか?」
「超高級ホテルに泊まりましょう。デラックススイートで!」
「いや、流石に目立つよ。」
「先輩、冗談ですよ。嫌だなぁ。」
いつもの調子に戻ったウィリーは、僕らの前を踊るように歩く。駅を出ると、密集して天に向かうビル群が僕らの目の前に現れた。メインシャフト3番駅の周辺は、パシフィス共和国の各省庁のオフィスやその関係施設が多く集まっているという。駅の正面にある交差点の上には大きな街頭ビジョンが浮いており、ニュース映像を流している。道路には電動自動車が行き交い、歩道を歩く人々も全員が公共アバターを纏っているから、その光景は地上の人間の都市と何ら変わらなかった。さっき自分の目で見た窓の外のイルカの海中都市が、何かの映像作品だったような気にさせられる。
「ほら、これがORCAシステム管理局の本部ですよ。」
ウィリーが歩道沿いに設置された地図を指差すと、僕の視界にも地図が表示された。地図を頼りにビル街でそのビルを確認すると、思ったよりも小さく、知らなければ見落としてしまうくらい、なんの変哲もないビルだった。そこに世界の重大な秘密が隠されているとはとても思えない。
「どうする?まずはホテルで休むか?もし、観光したけりゃご自由に――」
「あれ!」
ダニエルの言葉を遮ったユリネは、街頭ビジョンを指差した。僕たちの到着を見計らったように流れたその動画に写っていた人物の顔は、僕達を観光気分から引き戻すのに十分だった。穏やかな時間というものはいつだって唐突に終わるのだ。
『芸能ニュースです。世界的なホビーアバターデザイナー、シロキ氏が、昨日からパシフィス共和国を訪れています。西ターミナル空港は、偶然居合わせたファンで一時騒然となりました。』
細いジャケットを着こなしたシロキさんが、颯爽と空港の到着ロビーを歩いている映像が流れた。手を振るファンに、にこやかな笑顔で応えている。普通の人には普通の芸能ニュースに過ぎないその映像も、僕達にとってはこれから始まる何かのオープニング映像だ。そんな直感があった。
『訪問の目的について、シロキ氏がインタビューに答えてくれました。』
映像が切り替わる。背景からして空港内であろう場所で、シロキさんが穏やかな表情でこちらを見つめている。
『今回の訪問の目的はお仕事、とのことですが、一体、どなたの依頼なのでしょうか?』
『それは言えないが、依頼ではないんだ。会いに来たんだ、友人に。』
『ご友人、ですか?』
『彼と取引をしようと思って来たんだ。きっともう着いているか、向かっているはずだ。』
『一体、そのご友人というのは?』
『あはは、それは言えないよ。だが、彼はとてもユニークでね。99歳だからね、何しろ。』
やはりそうか。覚悟はしていたが、心臓の鼓動は正直にそのテンポをあげた。ウィリー達が一斉に僕の方を見る。シロキさんは僕に会いに来たと言っているのだ。これはメディアを通して僕に宛てられたメッセージだ。
『連絡をしてほしい、もし見ていたら。一緒にお茶でもしよう、みんなでね。』
その後、ニュース映像はまた切り替わり、スタジオのアナウンサーが続けた。
『一体、誰に会いに来たのでしょうか?既にファンの間ではさまざまな憶測が飛びかっているようです。では次のニュース――』
「連絡をくれ、か。前にもあったな、こんなこと。」
街頭ビジョンは既に別のニュースへと移っていた。普通の人たちは、シロキさんの勿体ぶったような言葉を元に、訪問先がどんなVIPなのかを予想して楽しむのだろう。僕達には全く面白くないクイズだ。
僕がここに来ることは、お見通し。そしてこのニュース見た僕が、どうするかも。
隣に来たウィリーが心配そうに僕の顔を覗き込む。
「先輩、どうするんですか?」
「これは明らかに罠だぞ。」
「危険。」
その通りだ。明らかに僕をおびき出そうとしている。アバターに仕込んだ罠が使えなくなったから、もう僕の場所はわからないはずだ。だが、どういうわけかおそらくレイヤー0のことを知り、そして、それを知った僕が逃げ隠れるのではなく、ここに来ることを、その時期さえ含めて予測したのだ。そして、まんまと僕はその通りに動き、今ここにいる。僕がこのメッセージにどう答えるのかも――どう答えざるを得ないかも――予想されている。
「連絡してみようと思う。」
「おいおい。」
「確かに罠かもしれないけど、そもそもここでコンタクトしようとしてくるってことは、レイヤー0のことを知っているんだ。悔しいけれど、僕の性格と行動をあの人は完全に予測している。」
「だったら、なおさら行っちゃダメですよ!」
「でも、誰と一緒か、までは知らないはずだ。だったらいっそ、こっちから仕掛けて捕まえてしまえば、もう邪魔はされない。こっちにはダニエルさんもいるし。」
僕が他人に頼れるようになった、ということを教えてやろう、そんな気持ちだった。
僕の提案に、ダニエルは渋い顔のままだ。
「俺は雇われている身だから、文句は言えないが……」
「でも確かに、先輩の言う通りかもしれません。シロキさんも注目されている中で事件は起こさないでしょうし。」
「いざとなったらレイヤー0もある。」
僕にとってシロキさんは、向き合わなくてはならない過去であったし、ウィリーにとっても間接的であれアルの仇とも言える。ユリネは今回の件では直接関わっていないものの、なにしろ自分の生み出した人間の1人だ。僕たちには旭を打ち破ったという自信があったのだろう。今回も力を合わせて因縁の相手と決着をつけられると、青臭く、そう思っていた。
「わかった。ただし、場所はこっちから指定しよう。俺が選ぶ、いいな?」
そう言うと、ダニエルは仕事に取り掛かった。
シロキさんとの再会はすぐだった。
最初に会った時に教えてもらった連絡先から、僕はメッセージを送った。僕のIDは別人になっていたから、シロキさんと僕にだけわかるメッセージを送る必要がある。何しろ有名人だ。あのニュースを見て「99歳です。」などという内容で面白半分で連絡を送る輩に埋もれてしまうわけにはいかない。考えた末、僕はメッセージの最後にこう付け加えた。
「過去にすがる99歳の子供より。」
自らそう名乗ったのは、自分はもう違うのだ、という宣言でもあった。この言葉を選んだ時点で、気にしていたということの表れでもあったのだが、それを含めて自分らしいと思った。
メッセージを送ってから、すぐにシロキさんから返信があった。
そして僕とウィリーは、メインシャフト3番駅の近くにあるホテルのカフェの椅子に座り、シロキさんと向き合っている。
「やあ、久しぶりだね、また会えて何よりだ。ふむ……かっこいいアバターじゃないか。それはヤマモトコレクションの新作だね。良いセンスだ。」
ファンに対する変装なのか、シロキさんはサングラスをかけて現れた。僕の公共アバターを面白そうに見つめている姿からは、その真意を読み取れない。
僕たちが指定したカフェには他にも数組の客がいた。ここなら周りに他の客もいるから強引な手には出ないだろう。僕の横にはウィリーが座り、離れた席には無関係なふりをしたダニエルが座っている。ユリネは、ホテルの部屋から仮想世界にアクセスし、ハッキングでホテルの周辺のカメラ映像をチェックしている。
万全の協力体制。あの時とは違うのだ。慎重さと冷静さがこぼれて出て行かないように意識して、僕は口を開いた。
「シロキさん、取引というのは?」
「そう、身構えないでくれ。私のアバターは使ってくれていないのかい?悲しいな。新しいのをあげるよ、欲しければ。」
「話がないなら、帰ります。」
僕は席を立とうとしたが、シロキさんが呼び止めるように呟いた。
「レイヤー0。恐ろしい力だね。」
僕は腰を再び椅子に下ろし、無言でシロキさんを睨んだ。
「聞いたよ、『ハルポクラテス委員会』から。そして、君なら中枢に向かうと思った。その通りだったね。それで、君はその力を使って世界を滅ぼしに来たのかな?」
「そんなことはしません。」
「じゃあ、どうするんだい?ここに来たからには、使うんだろう?」
シロキさんは身を乗り出し、僕を探るような目で見つめた。僕は思わず目を逸らしてしまう。
「それは……まだ、決めていません。でも、悲劇を終わらせます。」
「ふむ……立派なことだ。まあ、そう緊張せず、お茶でも飲んで。」
シロキさんは目の前で湯気を立てるカップを口に運ぶ。僕も、緊張で乾いた喉にお茶を一口流し入れた。
「お茶よりもコーヒーがいいかい?ほら、選ぶんだ、好きな豆を。私が払うよ。」
シロキさんが僕の背後にあったカフェのカウンターを指差す。振り返って、カウンターの上に浮かぶメニューを見ると、いくつか豆の種類が書いてあった。
「あ、イルガチェフがある……」
ウィリーがつぶやいた。
「おや、通だね、ウィリーちゃん。じゃあ、頼もうか?」
「シロキさん、本題に入ってください。」
注文しようとするシロキさんを止め、話の続きを促した。
「ふむ……お願いがあるんだ。レイヤー0の力で、地球上の知性イルカを全員殺してほしい。」
シロキさんの表情は病院の地下駐車場で見た、冷たいものになっていた。僕とウィリーは、そのあまりに直接的な要求に息を飲んだ。お茶を一口飲んでから、口を開く。
「そ、そんなの――」
シロキさんは僕の言葉が聞こえていないかのように後を続けた。
「私は、この世界を自然な状態に戻したいんだ。イルカ達に気を使いながら、人類は歪な世界に生きている。インテルフィンなんてものが現れたせいで、それに頼った人類の創造性は地に落ちた。科学技術の発達も、芸術も、全部が歪だ……元に戻さなければならない。イルカが喋ったりしてはいけないんだよ、本来は。」
シロキさんはウィリーをチラリと見た。対するウィリーはもう敵対心を隠しておらず、今にも殴りかかりそうだ。
「僕は、そんなことはしません。」
シロキさんは笑った。
「あはは!じゃあどうするんだい?まだ、決めていないんだろう?」
「それは……」
人の気持ちを捉える有名デザイナーの言葉は、その的確さゆえに僕の急所を突いてくる。
「なら、私の願いを叶えてくれたっていいじゃないか。いつ、決めるんだい?」
「いい加減にして!」
ウィリーが机を叩き、その音に周囲の人がこちらをチラリと見た。シロキさんはやれやれ、という表情で首をすくめた。
「好奇心旺盛だが優柔不断、変わらないね。私が、君の背中を後押ししてあげよう。タイムリミットを設けた。」
「な、なんのことですか?」
シロキさんは僕がさっきまで飲んでいたお茶を指差した。
「遅効性の毒を入れた、君たちがよそ見をしている間にね。御影君はあと、1時間ほどで死ぬだろう。」
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