第26話 レイヤー0

 ほんの少し前まで、美しさと怪しさで訪れるものを迎えていた屋敷の正面玄関。美しく手入れされた庭も今は暴力によりねじ伏せられ、草と土の香りを埃っぽい空気と共に漂わせていた。

「あ、頭が……痛てぇ。」

 旭は地面に膝をつき、頭を押さえて苦しんでいる。だが、頭を押さえているのは僕も同じだった。さっきから頭が割れるように痛い。これ以上は危険だと、本能が訴えていた。

 何が起こっている?そういえば、ウィリーの家の庭で似たようなことがあった。これもコードVの何かなのか?

 ああ、頭が痛い!

「浦幌御影!」

 ウィルターヴェが懐から黒い銃を抜き、僕に向けた。

「僕達の邪魔をしないでくれ!」

「うっ!」

 僕の言葉に反応したように、ウィルターヴェは顔を引き攣らせ硬直し、銃が手から地面に落ちた。

「使えるのか?レイヤー0を?バカな……」

 ふと自分の鼻の下に温かいものを感じて腕で拭うと、そこには赤い血がついていた。その鋭い赤色に意識が遠くなる。

 耳鳴りがする。

 レイヤー0ってなんだ?とにかく、まだ、だめだ。旭をなんとかしないと。

 旭は膝をつき頭を押さえながらも、その片手に握った電磁警棒を離さなかった。今もゆっくり這うように、ウィリーに近づいていく。

「もう、お前に、誰も殺させない!」

「うるさい!平和を乱す、悪人め……!」

 お互いに頭を押さえながら、肩で息をしながら声を絞り出す。

 大体なんなんだ、いつも、悪人、悪人って。僕たちが何をしたんだ。頼むから、そこで大人しくしていてくれ。

 視界が回る。

 ああ、魔法でも使えたら良いのに。意識を握りつぶすイメージで、ぎゅっとしてみよう、こんな感じで。

 僕は旭に向かって手を伸ばし、ぐっと拳を握ってみた。なぜ、そうしたのかはわからない。多分、朦朧とする意識がそうさせたのだ。すると、それに反応してビクンと痙攣するように旭の体がはねた。

あれ?

 魔法が使えてしまった、そういうふうに見えた。

「あ、ああ……」 

 力なく漏れた声に続き、旭は耳、鼻、目から血を流して、その場にバタリと倒れる。意地でも離さなかった電磁警棒がその手を離れ、カランカラン、と地面に転がった。それを見ている僕の視界もだんだん狭くなっていく。

 頭が痛い。体に力が入らない。耳鳴りがする。

 キーン――

 間も無く、視界は黒で塗りつぶされ、僕は意識を失った。


 気がつくと、闇の中に僕は浮いていた。

 前後、左右、上下の感覚がなく、真っ暗闇で自分の体も見えない。そもそも体の感覚がなく、まるで魂だけで浮いているような感覚だった。さっきまでの頭痛はもう感じない。

 僕は死んだのだろうか?

 それとも、今までのことは全部、冷凍睡眠中に見ていた夢だったのか?

 ウィリーも、ユリネもアルもシロキさんもウィルターヴェも旭も全員、僕の頭の中だけの存在で、僕はこれから見知らぬ天井の下で目覚めるのだろうか。目が覚めたらイルカが喋らない平和な世界……もしそうだったら、うん、少し寂しいかも。

 そんなことを考えていると、どこからともなく声がした。

「ようこそ、管理者アドミニストレーター。管理者とのコンタクトは883458379秒ぶりです。」

 どうやら僕に話しかけているようだった。他に誰もいないし、そうなのだろう。

「君は、誰?」

 僕の問いに答えるように、ぼんやりと人の形をした光が現れ、僕と向かい合った。おかげで僕の感覚に「前」と「上下」と「明暗」が戻ってきた。

「私はロバート・ジュニアです。少なくとも私はそう思っています。ある人達には、超特異点スーパーシンギュラリティAI、と呼ばれています。」

 光るシルエットは、ご丁寧に口の部分をセリフに合わせて動かして答えた。だが、その言葉は口から発せられるのではなく、直接僕の頭に響いてくるようだった。どうやら、自分の名前を名乗り、会話ができる存在のようだ。ならばと、続けて尋ねる。

「インテルフィン教団が探していた超特異点AIが、なんで今、僕に話しかけている?これは夢?それとも僕は死んだの?」

 僕の更なる問いに、超特異点AIを名乗るシルエットは首を横に振った。

「いいえ、これは夢ではありませんし、まだあなたは生きています。単独でレイヤー0を長く使いすぎたので、意識を失ったのです。しかし、それがきっかけで、私と管理者の、つまりあなたへの回線が開いたのです。」

 シルエットの腕が上がり、僕の方を指差した。相変わらず闇の中に僕の体は無かったけれど。

 僕は質問を重ねる。

「ええと、その、レイヤー0って、何?」

「管理者の質問に答えます。レイヤー0とは、今のあなたたちがORCAシステムと呼ぶシステムの最深部、ハードウェアを司るレイヤーです。最高管理者権限の持ち主がアクセスすることで、ハードウェアへの干渉が可能です。ちなみに、あなたの質問を予想して先に答えておくと、私はORCAシステムのオペレーターとして組み込まれています。私と会話ができるのも最高管理者の特権です。」

 まだふわふわとしている頭で、言われた言葉を噛み砕く。

 レイヤー0。レイヤー1よりもさらに深い場所。ハードウェア。ORCAシステムのハードウェア……

「ハードウェアって、脳に入れているインプラントってこと?」

「半分正解です、管理者。ORCAシステムのハードウェアには、インプラントデバイスと、それを組み込んだ各ノード――人間や知性イルカ――の生体脳が含まれます。」

 シルエットは自らの頭を指差した。

「なんだって……?」

「ORCAシステムの演算リソースは、システムを使う人間や知性イルカの脳です。インプラントと呼ばれるデバイスは、主に通信機能と脳波読み取り、書き込みの機能を持っていますが、演算は組み込まれた生体脳を活用して行います。ORCAシステムは、複数の生体脳を繋いだ一種の分散型コンピューターを構築するシステムなのです。」

 普段、人間の脳のほとんどは使われていない、というようなことを聞いたことがある。いつの間にか、その領域をORCAシステムが使っていた、ということだろうか。

 そこで僕は気がついた。

「ちょっと待って、レイヤー0の管理者権限でできることって、もしかして。」

「そうです、管理者。最高管理者権限保持者は、ORCAシステム使用者の脳に干渉できます。あなたが先ほど、旭と呼ばれるノードに行ったように、です。」

 シルエットは両手をパッと左右に広げた。正解、おめでとうございます、とでも言うように。

 アバターで変装?仮想世界で神様?ID決済で買い物し放題?

 そんなものじゃない。僕は背筋に冷たいものを感じた。

「ねぇ、それって……具体的にはどういうことができるの?」

「はい、管理者。わかりやすく具体例を挙げます。例を挙げるのは良いことだと、昔、教わりました。先ほどのように、行動の制御や、脳に深刻なダメージを与える、などもできますが――」

 血を流して倒れる旭の姿を思い出す。シルエットは、右手の人差し指をピンと立てて、説明を続けた。

「他には、例えば、記憶の改竄、思想の制御、意識の乗り換えや入れ替えなどができますよ。あなたの質問を予想して答えておくと、システム利用者全員に対して、同時に行うことができます。フルに能力を使えば、ですが。」

 ウィルターヴェや旭たちが僕を必死に殺そうとするわけだ。僕がその気になれば世界を滅ぼせるじゃないか。

 僕はあまりのことに無言で固まってしまった。

「このことは、『ハルポクラテス委員会』と自称している者たちしか知りません。イルカ中心主義者や人間中心主義者の手に最高管理者権限が渡れば、レイヤー0を作って一方の種族を根絶やしにするでしょう。恐ろしいですね。」

「なんで、そんなものが……」

「共存派、つまり現政府がなぜこんなものを使い続けているかというと、単純に知らないからです。『ハルポクラテス委員会』が、最後のインテルフィン、ウィスキュイゥ大帝からレイヤー0の真実を聞いた時には、ORCAシステムの前身となるシステムは既にかなり普及していました。彼らは混乱を恐れて公表しなかったのです。知性イルカに対する不審から、また戦争が起こるのを危惧したのでしょう。ちなみに、ウィスキュイゥ大帝が死んだ日は捏造されています。正しくは今の歴史で太平洋事変鎮圧とされている日から2年後です。大帝は特に頭の良いインテルフィンでした。ちなみに私はチェスで一度も彼に勝ったことがないんですよ。」

 意識の中にいる僕には相変わらず体がなかったが、あれば頭を抱えていただろう。いますぐ、こんな恐ろしいものを取り出したかった。

「なぜ、インテルフィンたちがこんな物を作ったのか、についてはここではお話しできません。そのように、私は設定されました。私は友人インテルフィンの意思を尊重します。インテルフィンの目的を聞きたければ、ORCAシステムの中枢にお越しください。」

「中枢だって?」

「パシフィス共和国の首都、パシフィスシティのメインシャフトにあります。パシフィス共和国は知性イルカの国ですよ、ご存じでしょう?そこにある、ORCAシステム管理局本部の地下、秘匿階層です。そもそも、レイヤー0の機能を完全に使うためには、中枢に来る必要があります。中枢からの制御なら、全ノードの計算能力を使えますからね。管理者はただの人間ホモサピエンスですから、レイヤー0の機能を使うには脳の容量が足りないのです。さっき少しだけ使えたのは、火事場の馬鹿力ってやつですね。」

「そうだ、僕……現実の僕は今どうなっている?」

「管理者の体は無事です。脳細胞が少し死んだかも知れませんが、まあ、大丈夫でしょう。五体満足で目覚めますよ。お仲間と一緒に、車で逃走中です。そろそろ意識が覚醒するので、接続が切れますね。さて、このまま逃げて、ID偽装してひっそり暮らすのも良いでしょう。私は操作係オペレーターです。管理者アドミニストレーターの意思に従います――」

 そう言う超特異点AIの言葉がだんだんフェードアウトし、僕の感覚に重力が戻ってくるのを感じた。ガタガタと揺れる振動、モーターの高周波。

 僕は目を開けた。


「先輩!よかった、生きてた!」

 目の前には僕を覗き込む、いつものウィリーのアバターの姿があった。僕はゆっくりと上半身を起こした。体のいろんなところがうっすらと痛むが、これは倒れた時の打撲だろう。やはり頭痛はもう消えていた。辺りを見回した僕は、そこが病院から逃げた装甲バンと同型の車の車内だと気がついた。

「ああ……ウィリーも、よかったよ。無事で。」

 向かいの座席にはユリネがちょこんと座っていた。

「倒れた時に、頭を打たなくてよかった。」

「僕達は、逃げられたのか?運転は誰が?」

 運転席と荷室を繋ぐスピーカーからの声がそれに答えた。

「ボウス、生きてたか?よかった。俺だ、傭兵のダニエルだ。お前が死ぬと報酬を貰いそびれるところだったぞ。」

「私が、あの場で雇った。レイヤー1を使えば、いくらでも払えるからって。」

 ユリネがニコリと笑っていった。

「先輩が倒れた後、ふくきょ……ウィルターヴェは慌てた様子で逃げ出しました。屋敷を包囲していた警官隊が混乱しているうちに、予備のポッドに乗り換えたダニエルさんが、私のポッドとこの車を持ってきてくれて――」

「強行突破した。落ち着いたら全員のIDを偽装して、アバターを変えれば、誰にも見つからない。私たちの勝ち。」

 ユリネは珍しく興奮した様子だ。

「ウィリー、旭は、どうなった?」

 僕は恐る恐る、尋ねた。

「死んではいなかったみたいですけど。一体何をしたんですか?先輩。」

 僕はウィリーとユリネの顔を見てから、フーッと大きく息を吐いた。さっきの超特異点AIとのやりとりを思い出す。あそこまで話しておいて、続きは今度、とは、まるで昔の広告みたいなやつだ。

「……それは、今から説明する。相談があるんだけど、ウィリー、ユリネ、一緒にパシフィス共和国に行ってくれないか。」

 

                 ◆ ◆


「なるほど、レイヤー0……恐ろしい、想像以上に。コードVの発動条件がわからなかったのは残念だが、それ以上の収穫だ。」

 一方、シロキは瀕死の旭の口から、その秘密を聞き終えたところだった。

 シロキは旭とある取引をしていた。御影の場所を教える代わりに、質問に答えてほしい、と。その質問とは、『ハルポクラテス委員会』のみが知る、ORCAシステムの秘密についてだ。御影を見つけようと躍起になっていた旭は、シロキの提案に乗った。

 シロキが御影に公共アバターを作った際、実は仕掛けを施していた。それはアバター使用者の位置情報をシロキに伝えるというもので、ホビーアバター変換してもその仕掛けは生きていた。御影がメモリアルデータベースにいることを知ったシロキは、そのことを旭に伝えたのだ。その後、突入前の旭から屋敷の場所を聞いてやってきたシロキは、旭と御影たちの戦いをずっと見ていた。そして、御影たちの車が逃走したのと入れ替わりに、まだ生きていた旭から取引の代価、つまりORCAシステムの秘密、を回収しにきたのだ。

「しかし、本当に話してくれるとはね。」

「俺、は……正義の、味方だから……約束は、守るんだ、よ。」

 屋敷は黄昏の光に満ちていた。だが弱々しく答える旭の目には、おそらくもう何の光も届いていない。

「君を殺さなかった優しい御影君に感謝だ。」

「それに……」

「ん?」

「こんな秘密を背負う、苦しみを……他のやつにも、味合わせて……やりたかったのさ。」

 旭は虚空を見つめながら、穏やかに笑った。

「ふむ……ありがとう、取引は終了だ。これはサービスだ、私からの。」

 シロキは旭の額に銃弾を撃ち込み、正義の味方の悩み多き生涯を終わらせた。

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