第24話 コンクリートブロックドッチボール

 旭の手から落ちた電磁警棒が、カラン、と音を立てて地面に転がった。

「クッ、卑怯者どもめ……」

 度重なるダメージにより、旭のアバターは設定上の強度限界に近づき、機能不全が起き始めていた。通常、仮想空間ではアバターが受けたダメージは自動修復される。そのため、クローラーのように設定強度が弱くて一撃でバラバラになるような場合を除き、人間型アバターへの攻撃にはあまり意味がない。だが今は、このエリアのアバターダメージ自動修復がウィルターヴェのレイヤー2権限によってOFFにされていた。エリア単位で設定されるこの項目は、エリア内の全員に対して有効だ。旭が電磁警棒での攻撃をしてきたことから、ユリネはそのことに気がついていた。

 そして今は、最高管理者権限を持つ僕が自分たちの当たり判定をOFFで固定し、旭の当たり判定をONで固定して一方的に攻撃するという、さっきまでと逆の状況になっていた。旭1人を3人で囲んで殴る、という光景ははたから見れば、ただのリンチだろう。

「ああ、クソ!こっちに来るな!」

 旭は僕たちから距離を取り、転がっていった電磁警棒を拾うタイミングを伺う。

「よし、このままやれば勝てますよ!待てぇ!」

 追おうとしたウィリーを、ユリネが静止した。

「待って。あいつがまだいる。」

 僕たちを睨みつける旭の後ろに、今まで後ろで傍観を決め込んでいたウィルターヴェが近づいた。

「まったく、情けない。お前は使い方が下手なのだ。この後も仕事があるのだから、無駄に疲労してもらっては困る。」

「う、うるさい……あ、おい、どういうつもりだ!」

「委譲した権限を返してもらう。」

 ウィルターヴェは旭の肩を掴んだ。

「あ、まずい。」

 ユリネが息を呑む。

「権限が上位であることをここまで理解して活かしてくるとは驚いたよ。だが、じっくり観察させてもらって確信したんだが……浦幌君、君はどうやらレイヤー2権限の機能は使えないようだね。」

 ウィルターヴェが不敵に笑う。僕の背筋に冷たいものが入った。

「そうだろう?できるならとっくに逃げるか、もっとマシな攻撃をしている。私は子供のコンピューターゲームに付き合っているほど暇ではない。レイヤー2の管理者権限の正しい使い方を教えてやる。」

 僕たちの視線は上を向いていた。なぜなら、ウィルターヴェが音もなく宙に浮かんでいたからだ。

「レイヤー2権限保持者は、仮想世界の物理パラメーターも上書き《オーバーライド》できる。任意の空間の圧力分布や比重なども、だ。」

「えっ、ずるくない?」

 ウィルターヴェは5メートルほどの高さから僕らを見下ろした。微動だにしないその姿は、飛んでいるというより、足の裏で空中に立っているように見えた。

「君たちのアバターの比重を変えれば早いのだが、最高管理者権限で固定されると、やはりこちらからは上書きオーバーライドできないようだ。やむを得ない、ダメージを与えて動きを止めよう……できるだけ抵抗しないでもらえると助かる。」

 ウィルターヴェが片手を上げると、僕がさっき投げて地面に転がっていたコンクリートブロックが、まるで見えない糸で繋がっているようにスススッ、と宙に浮いた。

「危ない!」

 ユリネが叫んだ次の瞬間、猛烈な勢いでコンクリートブロックが僕の方へと飛んできた。隣にいたウィリーがそのブロックを蹴って破壊する光景を、僕は全く反応できずに見ていた。

「ウィリェシアヴィシウスェ君、さすがだ。だが現実世界と違って脚の強度設定は人間並みだぞ。」

 ウィリーのアバターの脚には、ジリジリとノイズが走っていた。

「大丈夫、仮想世界ですから痛くはないです。でもなんで?当たり判定はOFFにしているはずなのに……先輩!後ろ!」

 振り向くと、僕の後頭部を狙って飛んできたコンクリートブロックを、ユリネが刀で受け流していた。コンクリートブロックは軌道を逸れ、僕の耳の横を目にも止まらぬ速度で飛んで行った。

「仮想世界を構成するオブジェクトは、当たり判定が常にON。じゃないと、地面や壁をアバターが突き抜ける。これを変更できるのはレイヤー2権限だけ。」

 ユリネがそう言う間にも、花壇のコンクリートブロックがふわふわと宙に浮いていく。

「う、うわぁ!」

 僕たちは一目散に別の方向に向かって駆け出した。同時に、今まで僕がいた場所にコンクリートブロックが突き刺さった。

「なるべく動き続けて。あと、直線的に動かないで。」

 ユリネのアドバイスを実行しようとした僕だったが、方向を変えようとしたところで視界がいきなりクルッと回転した。

「あれ?」

 次の瞬間には、顔の横に地面があった。転んだ?足が滑った?

 視界の端でジリジリとノイズが走っていることに気がつく。そこでやっと僕は、自分の肩にコンクリートブロックが当たったということを理解した。

 なるほど、痛みがないというのも不便なものだな、なんて思いながら、僕はポカンと肩を見ていた。

「ちょっと、先輩、早く立って!わっ!」

 立ち止まったウィリーの目の前に、コンクリートブロックが鋭く突き刺さる。立ち上がろうとした僕の後ろからガキン!という音がして、振り向くと、ユリネが刀でコンクリートブロックを受けていた。

「うわっ!ありがとう。助かった。」

 ついに限界に達したのか、ノイズとともにユリネの刀は消えてしまった。

「止まったらダメ。周りを見て。」

「そんなこと言ったって。」

 その間にも、1つ、2つとコンクリートブロックが浮き上がり、僕たちの方へと飛び込む準備を整えている。

「やばい、やばい!ああ、僕にもレイヤー2が使えれば!」

「倒すのが目的じゃない。逃げ回って、引きつけて。」

 そう言って、ユリネは走り出した。その意味を考える間も無く、僕がユリネと逆方向に走ると、その足元にブロックが突き刺さった。

「しぶといな。動く複数の目標に当てるのは、意外と難しいものだ。私が下手なのか?」

 ウィルターヴェは悠然と浮かびながら、次々と攻撃を繰り出す。僕たちはとにかく逃げた。まるで一方的なドッチボールだ。ウィルターヴェが慣れたのか、僕が疲れたのか、段々と避けきれなくなってきて、気が付けば僕の体はそこかしこがノイズだらけになっていた。

「もう少しだ。旭、ログアウトの準備を……ん?」

 旭の姿がないことに、僕も気がついた。辺りを見回すと、ユリネに口を塞がれた旭が花の中でジタバタしていた。

 本来の目的、それは旭から、管理者タイプのユーザーインターフェースのデータを得ること。ユリネは攻撃から逃げながら、旭に近づいていたのだ。

「何をしている!」

 ウィルターヴェが、大量のコンクリートブロックを一気にユリネに向けて放った。ダダダダダ!とすごい音とともに、ブロックの雨がユリネを旭ごと襲った。立ち込める土煙と舞う花びらに視界が覆われる。

「ユリネちゃん!」

 視界が晴れると、そこには右腕と左脚がちぎれ、ノイズにまみれたユリネが横たわっていた。現実世界の本体がダメージを受けることはないと知っていても、その痛々しい姿に思わず僕は悲鳴を上げてしまう。

「ああ!」

 そんな僕を横目に、ウィルターヴェは優雅にユリネの横に着地した。

「さて、『スキンシップ判定』だ。どこにいるか教えてもらおう。」

 ウィルターヴェは動けないユリネの左腕を掴んで持ち上げた。ユリネ自体はレイヤー4権限しか持っていないから、ウィルターヴェに掴まれてしまう。僕が上書き《オーバーライド》し返すには、どうしてもタイムラグが出来る。

 『スキンシップ』判定は3秒間の接触で有効。その前に僕がやらないと――

「させないさ。」

 ウィルターヴェが片方の腕を振ると、僕に向かってコンクリートブロックが次々と放たれた。その数、3、いや4……5個!

「ちょっと待って、そんな……うっ!」

 僕には、避けながらORCAシステムの操作をするような器用さはなかった。それどころか、避けきれず脇腹に1発食らってしまう。

 3秒が経ち、僕らの居場所、つまり室米の屋敷の場所を読み取ったウィルターヴェは、足元でボロ雑巾のようになっている旭を見下ろして言った。

「さて、テロリストどもの拠点がわかったぞ。旭、お前は私がログアウトしてやる。遊びは終わり、仕事だ。」

 何か言いたそうな顔のまま、旭のアバターは光に包まれ消えた。ウィルターヴェは、腕を掴み持ち上げたままのユリネの顔をまじまじと見つめた。

「君が何者なのか興味があったが、正規のIDではないな……レイヤー4権限は不正使用か。まあ良い、現実世界で会おう。それまでここにいたまえ。座標を固定してログアウト不可にしておく。この状態で下手に補助デバイスを外して無理やり切断しようとすると脳にダメージが残るから、やめた方が良いぞ。」

 そう言ってウィルターヴェは掴んでいたユリネを離す。だがユリネのアバターはそのまま空中に固定されてしまった。

 僕の方を一瞥してウィルターヴェは光の中に消え、メモリアルデータベースに静寂が訪れた。


「ユリネ!」

「ユリネちゃん!」

 僕とウィリーは、それぞれ脚を引きずりながら、空中に磔になったユリネに駆け寄った。

「だ、大丈夫。動けない、けど。目的は果たした。」

「目的?」

「旭のID経由で、ユーザーインターフェースの情報を奪った。」

 ユリネはニコリと笑い、繋がっている左腕の親指をグッとあげた。指と、首から上は動くようだ。

「でも、このままじゃ。」

 念のためORCAシステムのウィンドウを開いて確認するが、やっぱりログアウト不可になっている。

「副局長のことだから、周辺エリアもダメでしょう。それにユリネちゃんが動かせないし……」

 ウィリーはユリネを動かそうとするが、空中に固定されたままびくともしない。

「早く戻らないと、屋敷に奴らが来ますよ!」

 今、屋敷にいる現実世界の僕らの無防備な体を襲われればひとたまりもない。周辺を見回すが、ログアウトもログインも出来なくされたこの場に、頼れる人は誰もいなかった。さっきまでのコンクリートブロックの乱舞するドッチボールが嘘のように、色とりどりの花たちが静かに揺れているだけだ。花に囲まれた丘の上に、僕たちを見下ろすようにメモリアルデータベースが静かに佇んでいた。

「しっかりしないとな。」

「先輩?」

「ユリネ、データはあるんだ。この場で、僕のユーザーインターフェースを改造できないか?」

 ユリネは無言で僕を見つめた。

「前に、シロキさんが、僕のORCAシステムにアクセスして作業してた……そんな感じで、出来ない?」

「やってみる。私に、外部アクセスとコントロールを許可して。あと、私の右腕を持ってきて。」

 ウィリーが、落ちていたユリネの腕を拾って持ってきた。腕の形の3Dモデルに過ぎないとわかっていても、なんだかギョッとしてしまう。ユリネは確かめるように、ウィリーが抱えている自分の右腕の指を動かした。仮想空間上でのアバターの繋がりが切れてしまっただけで現実世界の脳とはまだ繋がっているから動かせる。それがわかっていても不気味だ。

「ええと、コントロールを許可したよ。」

「キーボードを出すから、私の手のところに持ってきて。ウィリーさんは、横に私の右腕を置いて……その位置で、持っていて。」

 言われたように、空中で磔になっているユリネが作業できるよう、キーボードと右腕を空中に掲げる僕とウィリー。なんと奇妙で滑稽な光景だろう。

 そんなことを考えている間も、ユリネが猛烈なスピードでキーボードを叩く。

「やっぱり、レイヤー2の一部とレイヤー1はインテルフィンの技術だから手出せない……だからコピーした管理者タイプの情報をそのまま組み込めば……彼らも理解して使ってはいない……複数回のコピー履歴がある……初回は、28年前……?」

「ユリネ、出来そう?」

「先輩、集中してるから話しかけちゃダメですよ。」

「できた!……はず。使えるか試して。」

 ユリネは不安と期待の切り混じった顔で僕を見た。

「早いな。って言われてもどうやれば?」

「複雑な操作は、脳波コントロールで出来る、はず。仮想空間ではイメージが大事。」

「先輩、魔法使いになったつもりで!」

「魔法か……」

 僕はユリネに手をかざした。ユリネを空間に固定している見えない杭を抜く、そんなイメージをしてみた。杭を掴み、引き抜く!要はパントマイムだ。本当にこれで良いのか……

 すると、ユリネの体がどさりと地面に落ちた。

「うわっ、ごめん!大丈夫?」

「先輩、できましたよ!ユリネちゃんさすが!」

「私は、スーパーハッカーの助手だから。」

 顔を上げたユリネは、まだウィリーが持っていた右腕の親指をグッと上げて笑った。僕は苦笑した。

「その腕不気味だから、早くなんとかしようか。」

 ユリネの右腕を受け取り、ユリネの肩にくっつけてみると、そのまま腕はくっついた。同様に、脚を持ってきて治す。僕達のアバターのダメージも、手をかざすと消えて元通りになった。ユリネはくっついた右腕の調子を確かめるように、くるくる回しながら得意そうな顔をしていた。

「さあ、先輩、早くログアウトして逃げましょう!」

「メニューから、エリア全体に対する設定変更が出来る。」

 システムのウィンドウを開くと、僕の意志を読み取って今まで見たことのないメニュー画面が表示された。ログアウト・ログイン制限を解除――

「あっ、解除できましたよ。」

「おお!レイヤー2の能力って、仮想世界だとまるで神様だね。現実でも使えたら良いのに。」

「現実でもレイヤー1権限が使えるようになっているはず。社会的に無敵。ID決済も使い放題。」

「先輩、イワシバーガーがたくさん食べられますよ。」

「いや、あれはいらない。」


 僕たちは負けたが、目的は達成した。

 危機感と安心感、切迫感と達成感、疲労感と充足感、勝利と敗北――それらがちょうど同じ比率で混じり合った、そんな心境だった。どちらに傾くかは、これから次第。

 僕は深呼吸してから、現実に戻った。

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