第五章
第27話
この城には誰も住んでいないようだが、そこには赤い薔薇のような花が咲き誇っている。ジェイドは優衣の手を取ったまま、庭園に設置されているアンティーク調の綺麗なベンチに座った。
「そういえば、身体はもう大丈夫?」
「問題ない。もともとティーヌ王国の上層部を追い詰めるために、わざと身体を酷使しただけだ」
そう答えると、ジェイドは手を伸ばして、咲き乱れる満開の花にそっと触れる。真紅の花びらが、はらりと散って地面に落ちた。
「酷使って、どうしてそんなことを」
「大抵の魔族なら、俺が倒してしまうからな。マルティが守護者の廃止などを提言できたのも、俺がいたからだ」
ジェイドは魔族の、しかも魔王の血と力を引いている。
「そのために、あそこまで?」
「もともと人間の血を引いたこの身体は魔族のものよりも弱い。そこに魔族の中でも最も強い魔王の力を宿しているのだから、あれくらいはよくあることだ。今回はその間隔を短くしたに過ぎない」
「そんな……」
苦しそうで、見ていられなかった。それがよくあることだとあっさり告げる姿に胸が痛くなる。
「もう無理はしないよね?」
願いを込めてそう言えば、ジェイドは静かに頷いた。
「そうだな。計画は次の段階に入った」
ジェイドの計画のことよりも、彼がもうつらい思いをしないか。そればかり気になってしまう。せっかく大切な話をしてもらっているのに、こんなことではいけないと、気を取り直した。
「ええと、これからどうなるの?」
ジェイドはしばらく考えたあと、優衣に視線を移した。
「すべてを説明するには、時間が足りないな。何から聞きたい?」
聞きたいことはたくさんあるが、今聞くべきことは、このことだろう。
「えっと……。守護契約って、悪いものなの?」
「要点だけを言う。唐突に感じる部分もあるかもしれないが、わからないことは後で質問してほしい」
「ええ、わかったわ」
面倒がらずに説明してくれると聞いただけでも、優衣には驚きだった。
「あれは人間と魔族の魂を縛る契約だ。呪法であるためいくつかの制限があるが、魔族側が、対象に強い好意を抱いていなければならないらしい」
「え、魔族側だけなの?」
「そうだ。契約に縛られた魔族は自分の意志も希薄になり、何よりもこのティーヌ王国を守ることを優先するようになる。さらに死んでからも解放されることはない。この王国は、いくつもの魔族の魂を利用して守護契約を強化している」
優衣は、膝の上に乗せていた両手をぎゅっと握りしめた。話を聞くだけで、優衣まで人間不信になりそうな話だ。
「……ひどいわ」
「こんな呪法を生み出さなければならないほど、人間側の被害も深刻だったようだ」
だが結果的にそれが魔族の怒りを買い、襲撃はますます激しくなっていく。それに対抗するために、人間たちは呪法を使い続ける。
悪循環だ。
「父と母は、呪法によって縛られた魔族の魂の解放を目指していた」
「人間であるお母様も?」
「ああ。人間が呪法を使い続ける限り、王国は魔族に狙われ続ける。だから王国が平和になるためには呪法に縛られた魂を解放しなければならないと思っていたようだ。そんなときに父と接触したらしい」
母の最期の魔法で孤児院に預けられたジェイドは、そこで育った。
そして両親の遺志を受け継ぐため、魔導師としてティーヌ王国で生きると決めた。
それから呪法の解除法をずっと探していたと言う。
「だが、実際に掛けられた本人から呪法を読み解くしか方法がないようだ。そこで俺は呪法を受けてくれる者達を探した。それがお前達だ」
「え? わたし?」
「そうだ。あの呪法は魔族だけではなく、人間にも制約がある。この王国に不利なことはできなくなるんだ。だからこの世界のものではない魂を持つ人間と、外見は魔族そのものだが、半分は人間であるルシェーが適任だった」
「そうだったの。それでわたしを」
ようやく、ジェイドが優衣を召喚した真の理由が判明した。
彼が守護者選出に関わり、その候補者として優衣を召喚したのは、その呪法を受けてもらうため。そして死してなお縛られている、魔族の魂を解放するためだ。
「……ルシェーは、知っているの?」
「ああ。すべて話した」
まだ火竜族としては子どもだという彼も、魔族の魂を解放するために動いている。
ならば自分も頑張らなくては。
「わかった。わたしも協力するから」
優衣はそう答えると、ジェイドを見る。
「呪法を受けるって、ちょっと怖いけど。でもわたしもジェイドのお母様と同意見よ。こんな負の連鎖は断ち切った方がいいもの」
ジェイドから聞かされた話は、胸が痛くなるようなものばかりだった。
悲劇はもういらない。
どうせなら、ハッピーエンドがいい。
きっばりとそう言った優衣をジェイドは驚いたように見つめている。
「えっと。何か、変なこと言った?」
「……即答するとは思わなかった」
心底驚いた様子でそういう彼の姿に、ふと不安になる。
「え、もしかして呪法を受けるときって、痛かったりする?」
「いや、優衣とルシェーに呪法は効かないから、何も起こらないはずだ」
だったら大丈夫だと、優衣は笑う。
「魔族を誘惑しろって言われる方が、わたしにはハードル高いから。よかった、相手がルシェーで」
ルシェーなら、まったく緊張せずに相手をすることができる。
思えば魔族と接したのも、あの森で一回きり。しかも、ジェイドにとっては予想外の遭遇だ。もし彼が本当に守護者を選出するつもりなら、優衣をもっとたくさんの魔族と接触させていたはず。
最初からジェイドは、ルシェーを選ばせるつもりだったのだろう。
(呪法を受けたふりをするだけなら、わたしにもできる。ちゃんとできることがあってよかった)
ふと優衣は、ジェイドと以前交わした会話を思い出す。
人は助け合っていると言った優衣に、彼は誰かに助けてもらったことなど一度もないと返したのだ。
立ち上がり、ジェイドを覗き込むようにして、優衣は言う。
「大丈夫だよ。わたしに任せて。わたしがジェイドを助けてあげる」
大袈裟かな、と言ってから不安になる。
優衣はただ異世界の出身だというだけだ。何の力もない。でもジェイドを助けてあげたいと思ったのは本当だ。
ジェイドは、どうして優衣がこの言葉を言ったのかすぐに理解したのだろう。しばらく思案していたが、ふいにこちらを見て名前を呼んだ。
「……優衣」
「は、はい?」
ジェイドは優衣の手を握った。
祈りを捧げるかのように、額に押し当てる。
「今更だ。俺はもう、この手に何度も救われている」
「……うぅ」
恥ずかしくて顔を覆いたいくらいなのに、ジェイドに手を握られているので、それもできない。そんな優衣を見てジェイドは笑みを浮かべると、その腕にブレスレットを嵌めた。
「これは?」
美しい紫水晶のブレスレットだ。まるでジェイドの母の瞳のような色。
「先代魔王である父と、俺の魔力が込められている。優衣の願いをひとつだけ叶えてくれるだろう」
「え、願い?」
「そうだ。俺も約束は守る。これを使って、優衣はもとの世界に戻るんだ」
「もとの、世界」
腕に嵌められたブレスレットからは、溢れんばかりの力を感じる。
「そうだ。守護者の呪法は優衣には効かないから問題はないが、恐ろしかったら掛けられる寸前に使っても構わない。ルシェーがいれば、呪法を解読できる。父の魔力に俺の力を上乗せしているから、時間軸も戻せるはずだ」
「あのときに戻れるってこと?」
暑くてたまらなくて、冷蔵庫を開けたことを思い出す。あれから一か月ほど経過しているのに、あの瞬間に戻れるのか。
ただブレスレットに手を当てて、この世界に来る前に帰りたいと強く願うだけでいいらしい。
「だが、父の魔力が込められているのはこれだけだ。失敗したらもう戻れなくなる。使うときは気を付けろ」
「……うん」
ずっと帰りたいと思っていたはずなのに、いざその手段を手にしてみると複雑な気持ちだった。
(ジェイドと、もう会えなくなるの?)
それでも、もとの世界をすべて捨てる勇気もない。
(時間が戻るのなら、もう少しここで過ごしても構わないってことよね? だったら、もっとじっくり考えよう。自分でちゃんと決めてから、これを使おう)
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