第18話

 むしろ魔族に「誓約」させるジェイドは何者なのだろう。

 優衣は首を大きく振って、招待状を眺めた。

 せめてこれが、何事もなく終わりますように。

 そう願いながら。


 それから数日は、平穏に過ぎていった。

 優衣はいつものように館で過ごし、ときどきルシェーとお茶会をする。

 ティラの淹れてくれるお茶はいつもおいしいし、彼女は親切で優しい。もし魔族だったとしても、彼女なら怖くないかもしれない。

 ルシェーが一緒なら町に出てもよいと言われていたが、優衣はそうせず、屋敷の中や綺麗に整えられたほうの庭を散歩するだけに留めていた。

 ジェイドが不在の今、わざわざフラグを立てに行くこともないだろう。

 不本意だが夜会の準備も着々と進んでいた。

 ルシェーは守護者候補として参列することになりそうだ。

 だが一般的な魔族よりも強いが、彼は純血の魔族ではない。初めて本物の魔族と対峙することになる彼は、優衣が思わず気の毒になるくらい緊張していた。

「大丈夫。ルシェーは強いし、きっと何とかなるよ」

「……ごめん。僕が優衣を守らなきゃいけないのに、こんなことで」

「謝ることなんかないよ。全力で巻き込んだのはわたしだもの。ジェイドの被害者同士、力を合わせて頑張ろうね」

 そう言って微笑むと、ルシェーもようやく笑った。

「そうだね。うん、頑張る」

 ルシェーも覚悟を決めたのが、力強くそう言った。


 それから準備に数日を費やした。

 今日はとうとう恐れていた夜会の当日である。

 開催は夕方頃からだったが、優衣は朝から準備に追われていた。

(どの世界でも、女性の支度って大変よね……)

 朝から薔薇の花びらが浮かべられたお風呂に入り、ティラの手によって髪の毛も爪も綺麗に磨き上げられた。とくに優衣の黒髪は珍しくて人目を惹くからと、かなり気合を入れてセットしてくれた。

 ドレスはこの日のために仕立て上げられたもので、色は鮮やかなピンク。いわゆるプリンセスラインのドレスだ。

 肩が出ていて、裾も大きく広がっている。

 胸元や腕の辺りの生地はレースになっていて、肌が少し透けるようになっていた。少し多めに肌を露出していても上品に見えるのは、極上の素材とティラの腕によるものだろう。

 大きく開いた胸元には、銀細工の首飾り。

 それには大きな宝石が飾られていて、向こうの世界では宝石など手にしたことがなかった優衣は、、傷つけてしまったらどうしようと慄いている。

 艶やかな黒髪には、首飾りと同じ銀細工の髪飾り。仕上げに淡く化粧をしてもらう。口紅はドレスに合わせたのか、赤ではなくピンクだった。

 仕上がりをみたティラは、満足そうに頷いている。こっそりと鏡を見てみると、自分でもびっくりするくらい上品に仕上がっていた。

(うわあ……。ティラさんの腕がすごいんだろうけど、ちょっと詐欺すぎる……)

 本当にこれは自分だろうかと、思わず手を挙げてみたり、首を傾げてみたりしてしまった。

「ああ、優衣。綺麗だね」

 準備ができたのか、ルシェーが迎えにきてくれた。

 彼もまた、礼服を着ている。

 赤い髪をひとつに束ね、黒を基調とした煌びやかな上着を纏った彼は、その整った容貌も相まって、王城でもかなり目立つに違いない。

「ありがとう。ルシェーもかっこいいよ」

 そう返した優衣だったが、ルシェーの正装に見惚れているというよりも、親戚のおばさんのような心境だった。

 あらまあ、立派になっちゃって。

 そう言いたくなるのを堪えて、にこりと笑う。

「お互い災難だけど、ジェイドの命令には逆らえないもんね。無事に乗り切ろうね」

 彼が緊張しているのがわかったから、そう声をかけて肩を叩く。

「うん、頑張るよ。絶対に守るからね」

 そう言って頷くルシェーと一緒に、用意してもらった馬車に乗り込む。付添いとしてティラが一緒にいてくれるのが、心強い。

 ゆっくりと走る馬車に揺られながら、優衣は綺麗に結ってもらった髪が崩れないように気を付けていた。

 いつもジェラールの転移魔法で移動していたから忘れていたが、屋敷のある森から王城までは少し遠い。そのため、まだ日が落ちないうちに出発していた。

(何だか嫌な予感がするなぁ……)

 恋愛事とは縁遠かったとはいえ、優衣だって年頃の女性だ。

 向こうでは見ることもなかった綺麗なドレスは嬉しかったし、厄介なことに巻き込まれたと思いながらも、王城での夜会に少し憧れめいた気持ちも持っている。

 でも王城が近づくにつれ、何となく心がざわついて仕方がない。

 向かい合わせに座っているルシェーも、どことなく緊張しているように見えた。

(ああ、さっきの無事に乗り切ろうねっていう言葉、もしかしてフラグだったりして)

 そんな不吉なことを思いながらも、今さら帰るわけにはいかない。

 ゆっくりと進む馬車の中で何度も溜息をつきながら、とうとう王城に辿り着いてしまった。

 夜会が開催される時間までは、まだ少し余裕があるようだ。

 遅れるわけにはいかないので、早めに出てきたのがよかったようだ。

 このまま開始の時間になるまで、控え室で待機することになる。心配なのは、その控室がルシェーと別になってしまったことだ。

(ルシェー、大丈夫かな?)

 初めての夜会なので優衣もたしかに不安だが、そこはティラがいてくれる。選出者だと知られているだろうから、変に喧嘩を売ってくる者もいないだろう。

 何せ優衣の保護者は、あのジェイドだ。

 だがルシェーは守護者候補だと言って連れてきたので、当然のことながら魔族専用の控え室に通されるだろう。

「ルシェー、大丈夫? わたしたちと一緒にいる?」

 心配で思わずそう声をかけたが、ルシェーは首を横に振る。

「ううん、大丈夫だよ。優衣を守るのが僕の使命だからね」

 そう言って笑っていたが、その笑顔はどこかぎこちない。

「……本当に大丈夫かな」

 その後ろ姿を見送りながら、思わずそう呟く。

「ご心配には及びません」

 優衣の不安を払拭してくれたのは、ティラだった。

「ルシェーの力は、他の一般的な魔族よりも上です。比べる対象がジェイド様だったせいであまり自信がないようですが、ここで他の魔族と接触すれば、相手が取るに足らない相手だと気が付くでしょう」

 そう言ってにこりと笑う。

 少し不安になったが、要約すればルシェーは大丈夫だということだ。

「うん、わかった」

 守護者の選出に関わっている者は強制的に参加だと言っていたのは本当らしく、控え室にはマルティ、そしてミルーティもいた。

「優衣、ここにいたのね」

 マルティに声をかけられて、優衣も笑顔で答える。

 さすがに彼女もドレス姿だった。

 スレンダーラインのシンプルなドレスは、細身の彼女によく似合っていた。茶色の髪は下ろしたままで、髪飾りもつけていない。それでも首元には、細身の首飾りがあった。

「マルティ、そのドレスとても似合っている。綺麗よ」

「……ありがとう。シンブルすぎるかと思ったけど、あまり華やかなのは苦手で」

「似合うのが一番だよ」

 そう言ってにこにこと笑う優衣を、マルティは目を細めて見つめた。

「優衣は本当に綺麗ね」

「そんな、メイクしてくれたティラさんの腕がいいからだよ。わたしも鏡を見て、え、誰これって思ったくらいだもん」

「もう、優衣ったら。本当なのに」

 何度か図書館で会って話をしているうちに、彼女とは自然と親しくなっていた。

 マルティはちらりと視線を控え室の隅に向けると、声を潜めた。

「守護者候補を連れてきたって聞いたわ」

「あ、うん。でも仮というか、建前というか。マルティだから言っちゃうけど、ルシェーはジェイドが付けてくれた護衛なの」

 マルティには隠しておくつもりはなかったので、優衣は正直にそう言う。

「そうなの? 実はミルーティも、守護者候補の魔族を連れてきたらしいのよ」

「本当に?」

 さすがに驚いて、優衣は視線を控室の隅にいるミルーティに向ける。

 緋色の髪をした美女は、身体のラインがくっきりと出る派手なドレスを身に纏っていた。王城の夜会に参加するには少し品がないような気がするが、それが彼女には変に似合っているから不思議だ。ミルーティは勝ち誇ったような顔して、こちらを見ていた。

(ちょっとまずいかなぁ……)

 もしミルーティが選んだ魔族が守護者になってしまえば、優衣の負けが決まってしまう。そうすれば、もとの世界に帰してもらえないかもしれない。

 競争だということを忘れていたわけではないが、目の前の課題をこなすので精一杯だった。でも、もう少し危機感を持たなくてはならないと気が付く。

(ルシェーと仲良くお茶会している場合じゃなかった……。うう、どうしよう)

 まだ魔族と知り合ってもいない。

 せめて、この夜会に参加している魔族と少し話でもしてみよう。

 ジェイドは彼らをルシェー以下と言っていたから、守護者として認めることはないだろうが、魔族と慣れるためにはちょうど良いだろう。

(というか、ジェイドの要求が高すぎる気がしてきた)

 守護者なのだから、ある程度の実力が必要なのは理解できる。でも、ルシェー以上となると、なかなか難しいのではないだろうか。

(まあ、あまり考えても仕方ないかな。だってあのジェイドだもの)

 何を考えているのか、何をしようとしているのかまったくわからない。

 うかつに探ると、藪蛇になる。

 被害が大きくなることはわかっているので、今はただ彼の言う通りにするしかない。

「あら、化けたわね。誰なのかわからなかったわ」

背後から聞こえてきた声。誰のものなのか、振り返るまでもない。

ミルーティだ。

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