第16話
でもこうして女性として丁重に扱われてしまうと、本当に恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからなくなってしまうのだ。
「我ながら、こんなにひどいとは思いませんでした」
優衣は肩を落として、吐き出すようにそう言うしかない。
目を合わせただけで赤面し、微笑みを向けると胸が苦しくなる優衣に、さすがのジェイドもお手上げの様子だ。
このままだと本当に、もとの世界に帰ることができないかもしれない。
さすがに焦燥が込み上げる。
「相手がジェイドじゃなかったら、まだ大丈夫かもしれない」
とにかく何とかしなければと、思わずそう言ってしまった。
ジェイドのような美形が相手でなかったら、普通に話くらいはできる。だが、それを言った途端に、彼の機嫌が目に見えて悪くなる。
「そんなに俺が嫌か」
「嫌ってわけじゃないよ! 本当に!」
怒っているというよりも拗ねているような声に、優衣は慌てて両手を振りながら、いいわけをした。
そうしないと、危険な気がしたからだ。
(あれ、こんなこと、前もあったような?)
そう思いながら、必死に言葉を紡ぐ。
「むしろ逆。ジェイドの顔が好みすぎて、恥ずかしくて仕方がないって言うか。もう少し普通の相手なら、わたしだってここまで挙動不審にならないかなって」
あれ、わたしは何を言っているのかな。
そう思ったときにはもう遅く、真正面から優衣を見つめているジェイドと目が合ってしまう。
「あ、あはは。わたし、何を言っているのかな。ごめん、忘れて」
優衣は後退りしながら、そう言うしかなかった。
たとえ忘れてほしいと願ったとしても、それを承知してくれるような人ではない。
なにせ、あのジェイドだ。
おそるおそる彼の様子を伺うと、ジェイドは何か考え込んでいる様子だった。
(きっとまた、碌でもないことを考えているんだろうなぁ……)
外見だけは極上だが、中身は極悪非道で傍若無人な男だ。つい、そんなことを思ってしまう。
するとジェイドは、そんな優衣の心の声が聞こえたかのように振り向いた。
(ひっ)
あまりのタイミングに、思わずびくりと肩を震わせる。
そんな優衣を見つめたジェイドが、静かに語りかけてきた。
「ここまで、かなり譲歩して協力してきたつもりだ」
「あ、あはは。そうですね」
気持ち悪いくらい優しかったジェイドを思い出して、思わず日本人の得意技、愛想笑いを浮かべていた。
「だが、結果は散々だった」
「……も、申し訳ゴザイマセン」
さすがに散々だった自覚はあるので、素直に謝罪する。
優衣自身も、まさかここまでとは思ってみなかったのだ。職場には男性もいたし、普通に話をしていた。
(ん? でも恋とか、最近したことないかも?)
学生時代に淡い片想いは経験していたが、職場に勤めるようになってからは皆無だったと思い出す。
「あの、逃げたいわけじゃないけど、さすがに、その……。人選ミスかなって思うので、今からでも他の人を……」
恋ってどんな感情だっけ。
そこまで思ってしまったのだから、もう終わりだ。できるならチェンジを願いたかった。
だが、そう上手くはいかないらしい。
「そうしたいのは山々だが、もう審議会に出席しているからな。お前がやらないとなれば、俺が任務失敗したと見なされる。何としても、やってもらわなければならない」
そう言うと、彼は深い溜息をついた。
(そんなの全部ジェイドの事情だし、わたしは巻き込まれただけ。しかも、やらないともとの世界に戻れないって脅かされるっていうのに。それなのにどうして、わたしが悪いような気持ちになるのかしら)
遠い目をしながら、謎の罪悪感に悩まされてしまい、優衣もこれからどうしたらよいのか、考えていた。
するとジェイドがぼそりと言った。
「ルシェーを使うか」
「ルシェーって、あの?」
中庭から通じていた魔族の住処。そこで出逢った、火竜族の血を引く青年のことを思い出す。
ジェイドとはまた違った美形だった。
赤い髪に、朱金の瞳。
彼は火竜族と人間との混血で、魔族の力と人間らしい優しさを持っていた。
「火竜族の血は引いているが、人間の血が混じってしまったせいで、その力は純血の半分以下だ」
ひとりで死にかけていたところを拾ったのだと、ジェイドは言う。
(え、待って。わたしはどこに驚けばいいの?)
一度に得られた情報が多すぎて、混乱する。
中庭から通じていた森で出逢ったルシェーは、優衣が思わず畏怖してしまうくらい恐ろしかった。
それでも、純血の半分以下の力しかないのか。
そして人間の血が混じってしまった魔族は、人間の町でも暮らせない。
優衣は、図書館でマルティから聞いた話を思い出した。
ルシェーはあれだけ強い力を持っていたのだ。彼の母親はおそらく、出産のときに亡くなっている。だとしたら彼を捨てたのは、火竜族の父親かもしれない。
人間と魔族が関われば、悲劇しか生まないような気がするのは、考えすぎなのだろうか。
(それにジェイドはまた、人間の血が混じってしまったと言っていたわ)
混乱しながらも、優衣はジェイドの言葉を思い出して尋ねる。
「彼を使うって、どうやって?」
「ただお前と一緒に行動してもらうだけだ。あれで魔族の力もあるから、慣れるには最適だ」
男性、そして魔族の血も混じっている。
そんな彼とともに行動すれば、少しは耐性がつくかもしれないということか。
「ルシェーさんは嫌じゃないかな?」
「あいつに選択肢などない」
ああ、彼もまたジェイドの被害者か。
そう思うと、親近感すら沸いてくる。それに少しだけ話したが、彼は普通に常識人だったような気がする。
(うん、ジェイドが相手よりはずっと気楽かな?)
おとなしく頷くと、ジェイドの姿が消えた。
きっとルシェーを連れてくるのだろう。
寝起きのままだった優衣は慌てて着替えをして、ティラに頼んで簡単な朝食を用意してもらった。
ジェイドは自分があまり食事をしないものだから、優衣の食事も簡単に忘れる。あとでひもじい思いをするのは嫌なので、こうして自分できちんと食事をするようにしていた。
(今日はライ麦パンと目玉焼き、コーンスープ。そしてサラダですね。おいしいです)
食事を終え、食後のお茶を飲んでいるところに、ちょうどよくジェイドが帰ってきた。
彼は宣言通り、魔族の住む場所で出会ったルシェーを連れている。
だがその彼は、見ていて気の毒になるくらい困惑していだ。その様子から察するに、碌な説明もしないまま強引に連れてこられたに違いない。
少し前までの自分を見ているようだと、優衣は同情心たっぷりに彼を見つめる。
「ルシェー、あとは任せた」
「え? 待って、ジェイド。僕は何を任されたの?」
彼は慌てているが、もちろんジェイドがそれを顧みることはない。そのまま転移魔法で消えてしまった。ルシェーは本当に心から困惑した様子で、残された優衣に視線を向ける。
「ええと、君はたしか、森で会った……」
「はい。わたしは優衣です。あのときはありがとうございました」
そう言って頭を下げると、ルシェーは少し落ち着きを取り戻したようだ。
「ところで、ジェイドが僕に何をさせようとしているか知っている?」
不安そうに尋ねてきた彼は、本当に何の説明も受けていないようだ。きっと優衣に説明させればいいと思ったのだろう。
(本当に面倒なことが嫌いみたいね。というか、こんなこと自分で説明するのも恥ずかしいんだけど……)
躊躇ってみても、他に事情を知っている者はいない。
仕方なく、優衣はルシェーにすべてを、なるべくわかりやすいように気を遣って話をした。
「……君も大変だったんだね」
事情を聞いたルシェーは、まずそう言って労ってくれた。
「ええ。本当にもう……。大変でした」
話をしているうちに何だか悲しくなってきた。
本当にここに来てから、波瀾万丈だった。
「それで、僕は君と一緒にこの家で暮らせばいいのかな?」
思っていたよりも気楽な内容に、ルシェーのほうは安堵したようだ。
「はい。しばらく一緒に過ごせと言われたので、それでいいと思います」
やはりルシェー相手だと、そんなに緊張することなく普通に話すことができる。
彼の持つ魔族の気配はたしかに恐ろしいものだが、ルシェー自身がとても穏やかな性質なので、それほど恐ろしさを感じずにすんでいた。これならきっと、普通に過ごすことができる。
「いつまでかはわからないけど、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
互いに挨拶をして、こうして強制的な同居生活が始まった。
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