第3話 羨望

 雪は懇々と降り駸々と積もる。


 もっと積もればいい、あの人が帰る足がなくなればいい。

 バスローブ姿で窓の外を眺めていた。

 シャワーの音が止み、続いてドライヤーの音がし始めた。

 もう少ししたら、やってくるだろう。

 あの人のスマホが震え出した。

 そっと見やれば、あの人の夫の名前が表示されていた。


「結構降ってるわね」

 後ろから声がかかった。

「ずっと見てても飽きないですよ、雪が珍しいからかな」

「ずっと見てたの?」

「はい」

 呆れた顔をした志保さんは、テーブルの上のスマホを確認していた。

「ちょっとゴメン」

「いいですよ、ここでかけてください。旦那さんですよね」

 志保さんは、私を見つめながら電話をかけた。


「もしもし、どうした? え、そうなの、えぇこっちも降ってるわ。わかった、確認してみる。じゃ」

 話している間に、ジリジリと距離を詰めていた。通話が終わった瞬間に唇を奪って舌をねじ込んだ。

「んっ、葵、またしたくなったの? さっきあんなに乱れたのに」

「したいって言ったらしてくれますか?」

「ふふっ、やきもち可愛い」

 この余裕ある笑みが、悔しいけど好きだ。

 志保さんは、私の上司で既婚者で。

 だから私との関係は不倫なのだけど、同性だから旦那さんには疑われてなくて、都合が良いと言う。


「ちょっとだけ待って」

 スマホで何かを調べる志保さんを、私は見つめ続けた。


「葵、おいで」

 差し出された右手を掴むとクイと引っ張られ、左手でバスローブの紐を解かれた。

「自分で脱いで」

「えっ」

「して欲しいんでしょ?」

「うっ、それは」

「朝まで一緒にいてあげる、どう?」

「嬉しいです」

「ほら、早く」

 私はゆっくりと肩を抜き、腕を下げればバスローブはスルリと床に落ちた。

「いいね」一糸纏わぬ私の裸体を舐めるように眺める志保さんは、目を細めた。

「恥ずかしいです」

「ふっ、葵はそう言いながら、こういうのが好きでしょ?」

「そんなっ」

「ねぇ、どうして欲しい?」

「キスしてください」

 志保さんは微笑んで、私の下唇をペロリと舐めて口付けた後、抱き寄せてくれた。

「初めてかしら? 朝まで抱き合うの」

「出張の時に一度」

「そうね、あったわね」

「雪で電車、止まったんですか?」

「御名答。なかなかの観察力ね、さすが私の部下だわ」

「素敵な上司のおかげです」

「可愛いこと言うのね、さてと、ベッドへ行きましょうか」

「はい」




「ねぇ葵、私が帰った後は、いつもどうしてるの?」

 二人でベッドに入り優しく髪を撫でられる。


 既婚の志保さんはいつも終電前に帰ってしまうが、独身の私はいつもホテルに残る。わりと値の張るビジネスホテルが私たちの逢瀬の場所で、それは全て志保さんもちで。

「もったいないから泊れば?」と言うからだ。


「いつも、一人寂しく寝るだけですよ」

 ーー貴女が帰っちゃうから……という嫌みを込めたのだけど、全く気にしてないみたいだな。

「一人で……まさか、してないわよね?」

 何を? って聞こうとして、志保さんの妖艶な笑みを見て、聞くのを止めた。

「そんなの、するわけーー」

「ないわよね、それじゃ私が満足させられなかったみたいだもの」

 ふふっと、また妖しさが増して憎らしいほどの笑顔だ。

「いえ、満足してもする時は、あっーー」

「へぇぇ、あるんだぁ」

 なにこれ、誘導された? まぁ、今だけじゃなく、私は志保さんの手の中で転がされている。でなければ、こんな関係をずっと続けていられない。

 今だって、私は裸なのに志保さんはしっかりバスローブで。

 いつだって志保さんは、ずるい。

 家に帰れば優しい旦那さんがいて、お金も自由に使えて。

 私は気が向いたときに抱かれるだけだ。

 そして私を置いてさっさと行ってしまう。

 一人、取り残される私の身にもなって欲しい。

 それでも私には、この関係を断つ勇気もない。


「じゃ、いつものようにしてみてよ」

「いやですよ、それにいつもしてるわけじゃーー」

「見てみたいな」

 私の髪をクルクルといじりながら。

「そんな可愛く言われても」

「好きなくせに」

「え」

「葵、見られるのが好きだもの」

「何、断言してるんですか」

 勝手に決めつけられても困る。

「見せてくれたら、ご褒美あげるわ」

 またそんな、子ども扱いをーーと思いつつ。

「どんな?」

「ん~なんにしよ」

 考えてないのなら。

「なんでもいい?」

 志保さんは、私の考えを見透かそうとするように見つめ。

「いいわよ」と言った。




「ん……志保さん、あっ、はぁん」

「いいね、葵の感じてる顔、可愛い」

 抱かれている時も見られてるけれど、今はそれ以上に恥ずかしい。

 でも志保さんが言うように、この恥ずかしさが余計に感度を上げているのも事実。

 志保さんに見つめられながら、自分で秘所を触っていると、いつもよりも溢れているのが分かる。

 声も出さないようにって抑えているけれど、堪らず漏れ出てしまうから。

「声もいいわよ、我慢しないで」

 耳元で囁くけれど、決して触れてこない。少しくらい触ってくれてもいいのに。

「いやっ、んっ……もぅだめ」

「ダメよ、イッちゃ。我慢してごらん」

「うっ......ん、志保さん、ほしっ」

「何が欲しいの?」

「しほさん......の指」

「もう、こんなによだれ出して、しょうがないわね、ほら」

 差し出された指をペロっと舐め、口に含む。

「手は止めないでよ、止めたらお預けよ」

 もう志保さんの言いなりで、両手は秘所と胸の愛撫をしつつ、口で指をしゃぶり続けた。

「良い子ね。この指使って良いわよ。ただし自分でね、どこへ持っていくのかしら」

 挑発だと分かっていても、もう欲しくて堪らない。自分でもヒクヒクしているのが分かるから。

 志保さんの指を取り、下へ導く。

 志保さんとずっと見つめ合いながら、志保さんの指を自分の中に沈めていった。

「ん、志保さんの指、気持ちい」

 動かしてくれないから、自分で動く。

「葵、腰いやらしいね」

「志保さん、んん、好きっ、はっ、ん…ん、イックゥ......あぁぁ」


 果てた後も、志保さんの指はそのままで。

「凄い締め付けね、一人でイケてえらかったね」

 優しくキスをくれた。


「それじゃ、ご褒美あげなきゃね」

 そう言うなり、私の中の指をゆっくり動かし始めた。

「ひゃっ」

 反対の手は胸を揉み上げ、口は首すじを舐め上げている。

 私の感じる場所を知り尽くし攻められるから、イッたばかりなのにまた昇りつめていく。

「ん、志保さん、いぃ」

「葵、愛してるわ」

「あん、志保さん」

 私は涙を流しながらイッた。



 少し微睡んで、目を覚ました時は明け方近くになっていた。

 いつもと違って隣に志保さんがいる幸せ。思わず身を寄せ腕を回す。

「起きたの?」

 優しく抱き寄せてくれた。

「志保さんは起きてたんですか?」

「ん、そうね、私誰かと一緒の布団だと寝られないのよ」

「え?」

 そういえば出張の時も、私より早く起きてたっけ、あの時も寝てなかったのかもしれない。

「旦那さんでも?」

「ずっと別の寝室よ」

「そうなんですね」

「なんだか嬉しそうね」

「あ、ごめんなさい。私のせいで寝られなくて」

「一晩くらい大丈夫よ、それよりご褒美何がいいの?」

 あ、憶えててくれてたんだ。

「ほんとに何でもいいんですか?」

「約束したしね」

「だったら、これ」

 私は志保さんの左手の薬指に触れた。

「指輪が欲しいの? いいよ、買ってあげる」

「そうじゃなくて、これが欲しいんです」

 薬指に嵌っている、この指輪が。

「これはーー」

 わかってる。これは外せないもの、大事なもの、私の手の届かないもの。

「これ、あげたらどうする気? 海にでも投げる?」

「どうして分かるんですか? 志保さんエスパーですか?」

 ふふっと柔らかく笑って

「葵のことなら、何だって分かるよ。葵はそう言いながら、そんなこと絶対にしないって。私のこと好きだから、私と離れなきゃいけなくなるようなことは絶対にしないでしょ?」

 まいったなぁ。


「私が指輪買ってあげるからね」

 そう言って、情熱的なキスをする。

 全然わかってないじゃないか。

 私が欲しいのは指輪じゃなくて、志保さん自身だってこと。

 いや、わかっていて、そう言っている確信犯か。


「葵はゆっくりしていきな」

 今日は始発から動くらしい。始発電車に間に合うように出るという志保さんは、シャワーを浴びて準備をしている。

「そんなに早く帰らなきゃいけないんですか? 旦那さんそんなに厳しいの?」

「そうじゃないの、私が早く帰りたいのよ。早く会いたいから」

 その無邪気な笑顔は、私には一生手に入らないものだった。

 私は目を細めた。


 銀色の指輪が朝日を反射して眩しかった。


【了】


※ひばりのお話は「雪は懇々と降り駸々と積もる」で始まり「銀色の指輪が朝日を反射して眩しかった」で終わります。


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