閑話 迷宮の闇
迷宮が誕生してから、世界は変貌した。
では、どのように変わったのかと問いかけると、その意見は様々に分かれるだろう。
まず最も多くの意見が集まるのは、科学技術の代わりに魔導技術——いわゆる魔術が発達したことこそ最も大きな世界の変化である、というものだ。
実は魔導技術自体は、迷宮誕生以前から存在しており、一部のオカルト系秘密結社がその技術を秘密裏に培ってきていた。
しかし、そのオーバーテクノロジーさが危険であると判断され、各国が条約を結んで、秘密裏に管理するようになったのだ。
物理攻撃なら核兵器すら無効化する技術など、核を持つ国からしたらパワーバランスの崩壊を招いて戦争をもたらす可能性を秘めた、絶対に秘密にすべき技術だったのだ。
それが迷宮誕生以後は秘密にしているわけにもいかなくなった。
世界中が魔物の脅威にさらされたためである。
マナを纏った魔物には銃火器は効かない。そのため、同じくマナを使った魔術で対抗するしかない。
状況の変化を悟った各国は、アメリカの情報公開を皮切りに一斉に魔導技術を民間に公開した。
こうして、今日の魔導技術が発達することになったという歴史がある。
二つ目の見解として、身分制社会が浸透した、というものがある。
この身分制度は迷宮誕生直後の世界には存在しなかった。
迷宮誕生前の常識がまだ強かった当時は、身分制度なんてものは時代遅れの産物だと誰もが思っていたのである。
しかし、迷宮から産出される魔石が、魔導技術のエネルギー源としてかなり効率のいい物であり、しかも無限に産出可能な資源であると分かってからは、常識がひっくり返った。
政府は石油の枯渇によるエネルギー不足を解消するために、国民に迷宮探索を強く推奨するようになったが、命を賭けてまで迷宮に潜りたいと思う者はほとんどおらず、その後も様々な政策が試みられたものの、結果として探索者の人口が増えることはなかった。
苦肉の策として提案されたのが、身分制度の導入である。これは、政府が国民を人権の側面で差別化することで、半ば強制的に迷宮探索を行わせるという、当時としては非常識極まりない悪辣な政策であった。
将来的には、下級の身分の者達が、上級の身分に昇格するのを目標に、迷宮探索を積極的に行うようになるだろうという思惑も入った、悪魔のような政策である。
もちろん国民からは強い反発があったが、当時の深刻なエネルギー不足を身近に感じていた国民達は、政府の強硬な態度もあって、しぶしぶその政策を受け入れた。
やがて国民達は、政府の思惑通りに迷宮探索に積極的に従事するようになり、その結果、迷宮業界と言われる一大産業が形成されることになる。
この重大な政策転換を、後の歴史学者達はこう評した。
————政府は人権の尊重を犠牲に、文明を維持することに成功した、と。
最後に3つ目の意見である。
それは、迷宮犯罪と呼ばれる類型の犯罪が増加した、というものだ。
これは、身分制度が浸透するようになったために起きた社会問題であった。
身分の制約があるため誰もが迷宮に潜るが、その迷宮内では治安維持が行われないのだ。というより、行えなかった。
魔物がはびこる迷宮内に、魔物と同程度に強力な力を持つ探索者を抑え込めるだけの実力部隊を駐屯させ、常時巡回させるというのは……技術的にも、金銭的にもまったくもって非現実的な話だったからである。
そのため、迷宮内は無法地帯と化した。殺人を犯しても、強盗を行っても、魔物による殺人行為と区別がつかないのである。
おまけに迷宮は、死体や血痕といった異物を地中の中へと埋めてしまう機能を持っていた。ここまでくると、迷宮犯罪に関する明確な証拠が残ることはほとんどないことが分かるだろう。
探索者達は、いつ他の探索者に背後を襲われるか分からない状況の中、魔物を相手に戦闘をしなければならないのである。
そして、迷宮犯罪が一般化すれば、当然社会の治安は悪化する。
地上ではある程度治安が維持されているとはいえ、迷宮と生活を切り離せない多くの庶民にとってみれば、暴力による理不尽というものは、非常に身近なものであった。
近所のおじさんが迷宮で殺された。親戚のおじさんが脅されて家族を身売りした。
残念ながら、そんな話が珍しくないのが今日の社会の現状である。
探索者達が互いに協力するようになり、ギルドという組織が生まれてからは、かなりマシになったものの、それでも迷宮犯罪は今でも市民の身近に存在しているのだ。
ざっと、三つの意見を紹介してきたが、これらの社会の変化は、すべて迷宮がもたらしたものである。
とある歴史学者はそれらの変化をまとめて、このように評した。
————時代は中世に戻った、と。
今日多くの市民が感じていることを端的に言い表した言葉として、今でも歴史の教科書に刻まれている名言である。
文明の息を永らえさせた代わりに、社会に深すぎる闇をもたらした迷宮。
世界中の人間が、その恩恵と害悪を日々受け取っているが、その比率は全ての人間に共通ではない。
恩恵をより多く受けている上級市民が、下級市民を搾取する。
力のある者が、力のない者を食い物にする。
そんな世界が当たり前になった。
理不尽を嘆く者は数多く居るが、その声が結束し、社会に変革をもたらすことは決してない。
その主張がこの世界で正当性を得ることはないし、そもそも力による絶対の支配を覆すことはできないからだ。
そのような世界の状況を眺めて、迷宮の主は思った。
————計画通り、と。
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