039 オオカミが背を守る

 獣の耳に、獣のしっぽ、真っ赤な顔してこちらを見上げている少年。

 間違いない、元委員長。犬上だ。


(み、見られた…………!?)

 無論、スカートの中の事ではない。

 ぶら下げられたままの佳穂の暖簾のような前髪が、重力に引かれてひっくり返っている。

 素顔が丸見えだ。

(────────!?)

 途端に顔が火照ってくる。

「だ、だ、だだだだだ、だめ!」

 佳穂は慌てて、暖簾髪に手をやった。

 ペロリと捲れるスカートに、今度は犬上の顔が赤くなる。

「バ、バカ! 早く隠せ!」

「スパッツ履いてるだろうが! アホ!」

 油断した犬上に、緋色の女が蹴りを叩き込んだ。

「うわっ!」

 ふっ飛ばされた犬上がヨットの甲板を転がっていく。

「逃すかっ!」

 緋色の女が、追い打ちに走る。

「あ、危ない────────────ッ!!」

 気がついたら、佳穂は羽撃いていた。

 犬上が危ない────思う間も無く、体が勝手に動いている。

 だが────。

 ガクン!

 体に衝撃が走った。

 いくら羽撃いても前に進むことはできない。

 絡まったネットが佳穂の飛翔を妨げている。

(網が───!)

 自分を捕らえている、網を何とかしたい。

 佳穂は思った。その瞬間だ。


 ままならない気持ちが、力となって佳穂の喉の奥に励起する。

 何かが喉を押し広げて外に出たがっている。

 佳穂は、自身を捕らえている網にそれを力一杯ぶっつけた。

「━━━━━━━━━━━━━━ッ!!!」

 無窮の声が網の一点に集中し、真鍮色の輝きがほとばしる。

 ブツン、ブツン!

 鈍い音を立て、佳穂の足に絡まっていたネットはブチ切れた。

「──きゃああっ!?」

 佳穂は力いっぱいの羽撃きの勢いのまますっ飛んで、緋色の女に激突した。

「「ぎゃっ!?」」

 佳穂と女は、同じような悲鳴を上げて甲板に転がった。

「 ─────つぅ!」

 体の痛みに耐えながら、何とか起き上がる。

「何しやがる! この飛鼠女!! もう許さねえ!」


 緋色の女が飛び起きる。怒りに震える目が燃えている。

 その圧倒的な熱量を一陣の風が遮った。

 風の獣が女の前に立ちふさがる。

「犬野郎! そこをどけ!」

 女が翼を閃かす。熱い風が犬上に集中する。

「断る!」

 迫りくる熱風、それを犬上は両手で文字通り切り裂いた。熱風が渦を巻いて霧散する。

「ッ! くそっ! 邪魔をすんな!」

 ニワトリの女は、一撃、二撃と羽撃きを繰り返した。

「ああ、邪魔するさ! 俺が用があるのは、コウモリ目当てに集まってくる、あんたらの方だからな!」

「はあ? 意味がわかんねえ! おまえは、祭礼に勝ちたくないのか!?」

「祭礼か! 興味ないな!」

 そう叫ぶと、犬上は女の巻き起こした風をすべてかき消していく。

「姐さん!」

 パ、パ、パ、パ、パ!

 突然、コルクガンの音が響き渡り、船溜まりにサポートの男たちが現れた。

 二丁の銃から撃ち込まれるコルク弾が犬上に集中する。

 一瞬、草原をオオカミが駆けぬけたように見えた。

 無数のコルク弾がバラバラと甲板に落ち、転がっていく。

「きゃっ!」

 跳ね跳んだ一発が佳穂の脇を掠めていく。

「悪い! 平気かコウモリ!?」

 弾を弾いた犬上が肩越しに振り返る。

「え!? うん。だ、大丈夫!」

 言われて咄嗟に返事をした。

 サポートの男たちが緋色の女に駆け寄る。

「遅くなりました!」

「よし! 今日決めるしかねええ! ガツ、ハツ、コウモリだ!」

「わかりました! 姐さん!」

 男たちは二手に別れて、隣の船へと回り込んだ。

 狙いは──自分だ。銃口がこちらを向いている。

「コウモリ! 飛べ!」

 犬上が叫んだ。

 だが、飛ぶことは出来ない。腕は顔を隠すのに使ってしまっている。

 地面に降りたことで前髪は元通りだ。

 恥ずかしくはない。それでも顔は──顔は見せたくない。

 犬上は、自分の──コウモリの正体に気がついているのだろうか?

 わからない。

 わからないうちは、見せたくない。

 佳穂は甲板を走りだした。

「当れっ!」

 左右からコルク弾が雨霰の如く撃ち込まれる。弾幕のカーテンが、佳穂の周りに張り巡らされていく。

「痛っ!」

 何発かのコルク弾が体を掠っていく。空中と違って、余裕なんて全くない。

(なんで腕と翼が別になってないの──!?)

 自分の姿の理不尽さが恨めしく感じられる。

「くっ!」

 おまけに海に浮かんだ船は一足ごとに沈み込み、甲板を走る足がもつれてしまう。

 それを見逃される筈はなく、すかさず次弾が撃ち込まれる。

 当たる──!

 そう思った瞬間、緑の風が吹き抜けた。

 コルク弾は弾かれ、甲板に散らばっていく。

「なんで飛ばねえ!?」

 犬上が叫ぶ。

「お前、捕まりたいのか!? お前が捕まったら、俺の計画も台無しだ!

 出来る限りの事はするが、お前が、すっ転んだり、引っ掛かったりするのまでは面倒見きれねえ!

 だから捕まるな! 飛んでくれ!」

「何、よそ見してる!? アンタの相手はアタシじゃないのかい?!」

 ニワトリの女が叫ぶ。

 翼をひらめかし犬上へと突進すると、その勢いで回し蹴りをあびせかけた。

「っ──!」

 先手を取られ、小手で弾くのが精一杯。足が止まった犬上に、女は蹴りのラッシュを繰り出した。

「どうした!? 最初の威勢は!!」

「っ! 上等だ!」

 犬上は、拳を握りしめた。

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