022 部屋に通される

 車はあっという間に高速を降り、商店街を抜け、坂を上ってゆく。

 横浜からは出ていない、と思う。

 このあたりは佳穂にとって不慣れな場所だ。商店街には市の北部の地名があったような気がする。

「もう着くぞ」

 窓の外を見ながらぼーっとしていた佳穂に向かって、犬上が言った。

「え……?」

 佳穂は戦慄した。

 黒塗りの車は、パースのかかったような長い白壁の横を走っている。白壁の向こうには、日本家屋と思しき屋根が並んでいる。

 まさか、ここだとは言うまい。いや、言うな。

 

 佳穂の額に冷や汗が滲んでくる。

 朝食に釣られてここに来たのは失敗だったのだろうか。

 しかし―――。

 車は白壁の角を回り込み、すぐに停止した。

「ここだ」

 犬上が言った。

 白壁の塀がプツリと切れた角にそれはあった。

 コンクリートの外壁、所々に剥き出しになった鉄骨、ガラス張りの大きな窓、都会的でスタイリッシュな建物。おしゃれではあるがごく普通のコンパクトな一軒家だ。

 白壁の外側に寄り添うように建っている。どうやら、白壁のお屋敷は目的地ではなかったらしい。

(よかった……)

 佳穂は安堵した。


 犬上と一緒に建物の前で車を降りる。

 背景にある古風な白壁とは対照的な、雰囲気、サイズ感。そのコントラストは、もはやアンバランスとまで言える。これが犬上の家なのだろうか。

「いいよ、入って」

 凝った造りの鉄扉アイアンのドアの鍵を開け、犬上が中へと促す。

 佳穂は恐る恐る、玄関に足を踏み入れた。

「遠慮するな――っていっても無理か……。まあ、頑張って上がれよ」

「ぁ、ありがとう」

 ここまで来たのだ。もう先へ進むしかない。

 靴を脱いで上がると、すぐに部屋に案内された。部屋は広めのリビングだった。

「まあ、そこ座れよ」

 犬上は黒いレザーのソファーを指さした。

「は、はい」

 佳穂は、ソファに軽く腰を掛けた。

「8時には朝飯、ここに運ばせるから」

――――あと1時間ほどだ。

「わ、私、手伝います!」

 できるだけのことはしたい、佳穂は立ち上がりかけた。

「いいよ、休んどけって。それまで、シャワーでも浴びてろよ」

「え……?」

「そんなドロドロの格好で行くのか? 入学式」

 犬上はそっぽを向きながら言った。

「――――!?」

 佳穂はびっくりして言葉を失った。

 !?

 あんぐり口を開けている佳穂に顔を見せないように、犬上は指差した。

「そこのクローゼットだったと思う。姉貴の鳳雛の制服、入っているはずだ。開けてみろよ」

「――――――え!?」


 そう言うことか……。

 さすがの佳穂でも合点がいく。

 考えてみれば当たり前だ。汚れているとはいえ、今、佳穂が着ているのは、鳳雛の制服だ。市内でも指折りの有名校。ましてや姉の通ってた高校ならば、気がつかないのもどうかと思う。

 学校が知れると、その入学式がいつなのかわかっていてもおかしくはないだろう。

 びっくりして損をした気分だ。

 むしろ驚くべきなのは、犬上のお姉さんが鳳雛のOGだったと言う点だ。

 いったい、どんな人なのだろう――――。

 佳穂は考えながら、言われた通りクローゼットの扉を開けた。

 確かにその中には、鳳雛の制服一式がちゃんと揃っていた。

「姉貴からの伝言だ。『服でもなんでも、部屋のものは使ってもらって良いからね――』だとさ。だから、その制服も使って良いってことだ。せっかくの入学式だ。サイズのことはわかんないんだが、その格好で行くこと考えたら、少し大きくても仕方ねえだろ」


 言われて佳穂は、自分の格好を改めて確認した。

 灰かぶりサンドリヨン――ウリアルが言ってた通りだ。

 この格好で、入学式は目立つに決まっている。

「シャワーと洗面、トイレは、そっちの扉の向こうにある。タオルも運ばせといたから。まあゆっくりしとけよ」

 犬上は、いつものぶっきらぼうな口調でそう言うと、玄関とは反対側のドアを開けてそそくさと部屋を出て行った。


 もう、言われるがままになるしかない。

「は── 」

 犬上の足音が小さくなり、消えてゆくのを待って佳穂はソファの背もたれにへたり込んだ。

 ぐぅ

(……お腹すいた……)

 ついに、お腹が鳴った。

 それだけじゃない、先ほどからだんだん体も痛くなってきている。

 筋肉痛だ。羽撃く、なんてことをしたのは生まれて始めてだ。今まで使ったことがない、腕と背中の筋肉がバカみたいに痛い。


 シャワーを使えば、少しはマシになるだろうか。

 佳穂は立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る