009 人を雇う

「なんで……!?」

 佳穂はへたり込んだ。

──変われる。ランカスターはそう言っていた。

 そして確かに「変身」はした。したが、それは全く予想すらしていなかった姿への変身だ。

「なんで、こんなことに……」

「知らねえよ。そもそもお前、自分で自分がコウモリだ、とか言ってなかったか?」

 自分に訊かれたと思った便利屋が返事をした。

「────」

 佳穂は絶句した。

 確かにコウモリだとは言った。それは言葉の比喩でしかない。まさか自分でそうだ、と言ったからこうなったのだろうか? 大体、おしゃれなコーディネートはどうなったのだ。自分で自分を見る限り、服装は制服のままだ。

 これではなんのために契約したのか、全くわからない。


「あのインチキコーディネーターの仕業か?」

 便利屋は、関係ないと言わんばかりに中折れ帽で顔を隠しながらそう訊いた。

「多分……」

 佳穂はこれまでの事を、かいつまんで便利屋に話して聞かせた。

 祖母の宿題、89円しかない預金残高、ランカスターの魔法話、サインした契約書──。

「ふーん……。んじゃ、お前は金に目が眩んでこんな事になったのか?」

「ち、違います!」

 そうじゃない。話が違う。端折はしょりすぎだ。

 自分は、静かにひっそり暮らしたいという自分のささやかな目標のために契約書にサインをしたのだ。それに──

「そもそも、人にコウモリになれだなんて言ったのは、あなたの方が先じゃないですか!?」

 佳穂は憤慨した。

「違いねぇ……」

 便利屋は苦笑した。

「しかし、あれだな。お前さん、自分で言うほどコミュニケーション下手じゃねえじゃねえか?」

「────!?」

 言われて佳穂は驚いた。

 普段の自分なら考えられないほど喋れている。まるで口にされた封が破れてしまったような気分だ。一体どういう事なのだろうか。

「ん? そう言えば……」

 便利屋は上着の内ポケットを弄ると、一通の封筒を取り出した。

「起きたら読めってよ。インチキコーディネーターからだ。悪いな、忘れてたわ」

 佳穂は封筒をひったくるように受け取ると、中身を取り出した。

 書類が3枚ある。


 1枚目。

 自分宛だ。

──────────────────────────────────

月澄佳穂様

 コルボ店主、ランカスター・カラスでございます。

 ただいまの状況、さぞかし驚かれているかと思います。

 お察しの通り、私は一般の方から見れば魔法と呼んでも差し支えない術式を使う者です。私の本当の職業はその術式の名前を採って「仕立て屋」と申します。

そして、あなたの体に起こった変化はその術式のお仕立てによるものです。

 体の変化以外は健康を害するようなものではありませんので、どうぞご安心ください。


 さて、この度はお仕立てのご契約をいただき、誠にありがとうございます。

 今日から15日間にわたって、あなたには毎晩、私の製作による素晴らしくも美しい、夢のようなコーディネート体験をしていただく予定です。どうか、心より楽しんでいただければと思います。

 なお、契約書に記載いたしました通り、契約における付帯条件として、ほんの少しばかり月澄様のご協力が必要な事項がございます。

 本来なら、こちらにつきまして詳しくご説明する時間を用意していたのですが、聞く耳を持たない月澄様による契約書への刹那的なサインをもって、契約が履行されたため契約内容をお伝えすることができませんでした。

 心より、お詫びを申し上げます。

 当方には瑕疵がないため、本来なら説明機会を設ける必要はございませんが、特別に文章を作成いたしましたので、ありがたくお読みください。


 今回のお仕立ては「祭礼用コウモリ仕立て 月澄佳穂様クオリア専用特別仕様」でございます。

 15日間の契約で、契約の解除は期間満了または、契約者の死亡時のみ有効です。

 それ以外の理由による途中解約は一切不可能となっておりますのでご注意ください。


 この契約の付帯条件として、月澄様の鳥獣祭礼への参加が義務付けられております。

 祭礼の内容は、大まかに説明すると追撃者との「鬼ごっこ」です。

 日没より毎日規定の時間、横浜港を中心とする半径20km圏内から出る事なく、追撃者から15日間、毎日逃げ切れれば完遂となります。

 完遂時には現在、月澄様に掛けられている暗示の解除が見込まれ、注目を集めることに抵抗がなくなり、多くの友人を持つことも夢ではなくなります。

 さらに、ささやかながら契約金300万円、副賞と致しまして祭礼の賞金500万も授与される予定です。


 なお、万が一、追撃者に捕獲された場合は契約不履行とみなし、お仕立て契約の解除そのものが不可能になりますのでご注意ください。

 また、この契約は日本国のいかなる法規から、拘束を受けず実効されております。

 守秘義務違反など、意図的な契約不履行の場合は、鳥獣法による処罰の対象となりますのでご承知ください。


 契約開始は本日からとなります。

 月澄佳穂様のご健闘を心からお祈り申し上げます。


 なお、本契約はその性格上クーリングオフ対象外の契約です。ご了承下さい。

──────────────────────────────────


「えええっ!?」

 佳穂は驚嘆した。

 文面一つ一つに驚かされる。


「何が書いてあるんだ?」

 便利屋が1枚目を奪い取る。佳穂は2枚目に目を落とした。

 コルボで自分がサインした契約書だ。

『クオリア仕立て並びに鳥獣祭礼契約書』とタイトルされている。

 下の方に間違いなく自分の字で自分の名前が書かれている。


 まさかこんな内容だとは、思いもよらなかった。

 ショックでよく回らない頭をフル回転させる。

「これって、鬼ごっこ強制参加、コウモリ仮装付き。捕まったら二度と人間に戻れない契約……!?」

「そうだな……デタラメな話だが。ま、いいじゃないか。俺が言ったせいでコウモリになったわけじゃない。最初からここに書いてあるからな。」

 コウモリ姿の佳穂を見下ろしながら便利屋が苦笑した。

「ひ、ひどい……」

 佳穂は呆然となった。

(特に、多くの友人……いらない)

 これはどう考えても、大変な事に足を突っ込んでしまったのではないのか?

「私、なんでサインなんかしちゃったんだろう……」

 立ち上がる事もできない。

「なんだ、よく読まずにサインしちまったのかよ? そりゃお前が悪いわ」

 原因を作った張本人が笑いながら言った。

「そんな……」

 佳穂はもう一度、契約書に目を落としてみた。だが、佳穂の望むようなことは何も書かれてはいない。


「もう一枚あるのかよ、読んでみろよ」

 便利屋が目ざとく3枚目を見つける。少しでも良いことが書いてあるのだろうか?

 無駄だとは思いつつ、一縷いちるの望みを掛けて、3枚目に目を落とす。

 3枚目には付箋ふせんが付けられていた。

『読んでから、運転している便利屋にお渡しください』

 コピーだが、これも契約書だ。


──────────────────────────────────


雇用契約書

 乙は甲を契約雇用主とし、以下の送迎を実行すること。


 乙は、期間満了日までの毎日、日没の1時間前に甲を迎車し、日没5分前までに甲の希望する下記の範囲内の場所に下車させること。

 また、日没から別紙の鳥獣祭礼の規定に従い。その日の祭礼終了時間後に甲の必要に応じて、迎車し甲の希望する場所に送り届けること。


 なお、契約日当日のみ、日没より30分間、甲を乙所有の自家用車にて、下記圏内の範囲内を周回すること。


報酬

 一日の送迎につき20万円で計算し、合計300万円。

 全額前金にて、乙の指定する口座に入金する。


瑕疵責任

 万が一、乙が甲の指示に反して上記期間、送迎の履行を行わなかった場合、違約金として一回に付き50万支払うものとする。


契約地:横浜港を中心とする半径10km圏内

契約期間:契約日より15日間


甲 月澄 佳穂


乙 水尾 流次


 なお本契約は一般法規に加え3.G.L.での効力も有し、あらゆる国法の制約を受けず実効されるものと規定する。


──────────────────────────────────


「みずお……りゅうじ?」

「『みずのお』だ。って、なんで俺の名前が書いてあるんだよ?!」

 便利屋は佳穂から書類を奪い取ると、下部に記された名前を確認した。

「これ、コルボでサインした契約書じゃねえか!! げっと? これ、誰だ?」

「『つきすみ』です」

 佳穂は恐る恐る手を上げた。

「お、お前?! 契約期間15日間!? 違約金50万!? 知らねえぞこんな内容!?」

「よく読んでなかったんですか?」

「うるさい! 今日だけの契約、20万って聞いてサインしたんだよ!!」


 慌てた便利屋はスマホを取り出すと、どこかに電話を始めた。

「あ、水尾です。おやっさん、借りてた金なんだけど……。あ? もう振り込まれた? 完済ありがとう?」

 便利屋は叩きつけるようにスイッチを切った。

「クソッタレ! あのペテン師め!!」

「──?」

 意味がわからない顔をしている佳穂に、便利屋が苦々しい顔で答えた。

「コウモリねえちゃん、残念だが、今日からお前が雇用主だ」

「え!?」

「これは、お前と俺の契約書だ」

 便利屋が持っていた契約書を佳穂に返す。

──全然意味がわからない。

「お前の方の契約書に契約金300万と書いてあったろ? それをコルボの奴ら、全額俺の借金返済に振り込んじまいやがったんだよ。おかげで借金は帳消しだが、これから毎日お前の運転手だ。そこの最後に3.G.L.とか書いてあるだろう。

それはこの街のウラ社会での特別な法規でな、破れば俺はこの街に居られねえ。

それは俺もゴメンだ」

 便利屋は中折れ帽を目深にずらして毒づいた。

「さあ、どうするよ? コウモリ姉ちゃん」

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