017 変身を解く

 佳穂は思い出した。

 祖母を送った帰り道、空から降ってきただ。

 あの時、倒れそうになった私は抱えられて──それから……


────瞳を見られた。


 そう思い至った瞬間だ。佳穂の体が跳ね上がった。

 黒い花弁が花開く。

「――――!」

 狭い場所で無理に広げようとした翼が引っかかり、佳穂はバランスを崩した。

 グラリ。

 佳穂のいた床が大きく揺れる。

「ひゃっ!」

 駆けようとした足が空を切る。

 そのまま床に激突しそうになった佳穂の背中を優しく支えるものがあった。

 青年の手だ。

「落ち着いて。ここは、少し揺れやすいので」

 ウリアルは、優しく佳穂を座らせながら言った。

 静かな湖面を思い起こさせる声に、佳穂の気持ちも落ち着いてくる。

────あの時も。

 倒れそうになった佳穂を、ウリアルは優しく抱き抱えてくれた。


 助けられこそすれ、助けた覚えは全くないというのに。

 なのに、この青年ははっきりと「佳穂に助けられた」と言っていた。


 ウリアルは微笑んだ。

「そうですね。

 わからないのは、無理もなかった。僕も、随分あの時の姿とは変わっている」


 そう言って青年は自分の頭を指差した。

 そこには、横に広がった耳と巻き貝を思い起こさせる大きな角があった。

 ヒツジの角だ。

「────!?」

 佳穂は息を呑んだ。

「はい。でもセーフですよ。

 時間切れの後でしたし、そもそも僕の参加は3日目からです 」

「………………!?

 ぁ、あなたも追撃者チェイサーなんですか!?」

 ウリアルの言葉を反芻し、佳穂は声を上げた。

 ヒツジの青年が頷く。


 当然と言えば、当然かも知れない。佳穂を追いかけていたあのバイクの女は、鳥の翼を隠していた。そして、自分自身のこの姿。

 ヒツジの角を持つこの青年が、佳穂の参加する『祭礼』とやらの参加者であっても全くおかしくはない。


 そういえば、その『祭礼』はどうなったのであろうか?

 呆然としながらも、佳穂は肝心の事を思い出した。


「私、山手の崖から投げ出されて……」

 佳穂はつぶやいた。


 埠頭の灯りがグルグル回ったところまでは覚えている。その後────、澄んだ碧い輝きが見えた気がした。誰かに受け止められた気もした。


「もしかして、あなたが……」

 青年は再び頷いた。

 だめだ。

 都合3度も助けてもらったのにも関わらず、まだお礼も言えていない。佳穂は頭を振って言葉を捻り出した。


「ごめんなさい。助けてもらったのに。その──。

 ありがとう! 気がつかなくて……」

「とんでもない! お礼を言わなければいけないのは、僕の方です」

 青年は、佳穂の傍らに片膝をついた。

「巡りあえたことをうれしく思います。僕がここにいられるのは、あなたのおかげです。

 本当に――――ありがとう」

 青年は佳穂の手を取り、自らの額に軽く押し当てた。

「……………………!!!!!!!!!???」

 全くもって意味がわからない。佳穂はパニックになった。


 青年は微笑み、そしてゆっくりと立ち上がった。

「あなたは昨日、時間切れまで逃げ切ったんですよ、ガラスの靴の君サンドリヨン


 窓から見える空が、ほのかに明るくなっている。

「さあ────夜明けは近い。その格好のままだと困るでしょう?

 灰かぶりもその魔法を解く時間です」

 そうだ。いつまでもこの格好で良いはずがない。

「では、初心者向きのやり方を。

 まず、胸に手を当て、心を落ち着かせて。今は大丈夫、元に戻れ!────と強く念じてみてください」

 佳穂は青年の言葉に従った。


「心を落ち着かせて……」

(今は大丈夫、元に戻れ──)


 佳穂の心の中で、張りつめていたものがほどけてゆく。

 突然、真鍮色の光が佳穂を包み込んだ。


「ぅ、うわ……!?」

 光の粒子が渦を巻き、黒い花びらが消えてゆく。


「も、元に戻った……」

 コウモリの翼は消え失せ、リボンのような耳はいつもの自分の耳に戻っていた。

 あれだけカラフルに明滅していた見える音も、嘘のように沈黙している。


 あるのは、色を失った静けさだけだ。

 それは、いつもの暖簾越しモノクロームの世界。


「……………………」


 意外にも安堵はしない。まるでのような気分だ。


「慣れれば、自分で好きな時に変身できるはずです」

 青年は優しく付け加えた。

「ありがとう……」

 佳穂は応えた。


「では、僕はそろそろ行きます。ちょっと、命令違反をしていますので」

「ま、待って! ぁ……あなたも私を追いかけるんですか?」

 佳穂は咄嗟に訊いた。


「そのつもりでしたが……。少しだけ、予定が変わりました。

 残念ながら二度と会うことはできません。さようなら。

 塔の君ラプンツェル


 そういうとウリアルは、部屋のドアを開けて外に飛び出した。


「え!? 待っ……!」

 佳穂はドアに駆け寄って外を見た。

 白み始めた空が照らす、朱と白の構造物。

 その間を、湖面を思わせる碧い光が跳躍しながら降りてゆく。


「ぅわわわわわ! ここ……どこ?」


 佳穂の前髪を、浜風がかき乱す。

 地上数十メートル。

 ガラス張りのコックピットのドアから見下ろす横浜湾に朝日が昇る。

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