6 ライドナ男爵夫人ヘヴリア

「な、何を……」


 白い星形のガクを持つ紫陽花と、赤いヒヤシンスが盛られたテーブルに付いていたライドナ男爵夫妻ががた、と椅子を動かした。


「お前、まさか」

「いや、その、あの」


 男爵夫人ヘヴリアは夫の問いにまごまごとして答えることができない。

 するとワイター侯爵夫人マリエは隣のタメリウス侯爵夫妻のテーブルを越え、ヘヴリアの前に立ちはだかり、言い放つ。


「そちらが言えないなら、こちらからお答えしましょうか。

 皆様、この女は、私と共に空いた病室で、三人でティムス様と交わっていたのですよ!」

「さ、三人!?」


 がた、とその瞬間、伯爵令嬢エンドローズが腰を浮かせた。

 何ですか一体、と伯爵夫人は娘をなだめる。

 だがその顔色が非常に悪い。

 取った手はぶるぶると震えている。

 そんな母の思いはよそに、マリエの追求は続く。


「ええ、三人ですのよ。

 医師である男爵を支えるべく看護部長として日々病院で精を出している方が、何故私どもの誘いに乗ったのかは判らないのですが。何かおっしゃることはありまして?」

「言いなさい、ヘヴリア」


 男爵は妻をうながす。

 彼女は泣きそうな顔で首をふらふらと揺らし、やがてぐっと両の拳を握ると、テーブルをどん、と叩いた。


「貴方が…… 貴方が忙しすぎて私のことなど見てくれないのがいけなかったのよ!」


 ヘヴリアは叫んだ。


「私のせいだというのか?」

「確かに病院の仕事は忙しいわ。

 私も従事しているからよく判る。

 だけど、だからと言って私達まるで帰る時間の一つも合わない、食事を一緒にすることもない。

 だけど私見てしまったのよ、貴方が看護人の女性達と楽しくお茶をしているところを!」

「それは休憩時間だったんじゃないか?」

「ええそうよ。

 それは私も判っているわ。

 だけどだからと言って、貴方と一体一月のうち、どれだけの時間あんな風に話ができるというの?」

「だが看護人の仕事は、お前が求めたことだろう?」

「ええそうです。

 うちは爵位はあっても資産は無い男爵家ですから、貴方がそうやって、医師として働くことに私は誇りを持っています。

 だから看護人に私も勉強して仕事に就いて…… 

 身分の関係で今は、部長の地位に就いておりますが…… 

 でも、私が名ばかりの部長であることなど、看護人達と接していれは、貴方、おわかりではないですか! 

 ベテランの看護人達か、私のことをどう言っているか、私が知らない訳ではないでしょう!?」


 男爵は妻のいきなりの言葉に眼鏡の下の目を瞬かせた。

 結婚して以来、こんなに妻が自分に対して感情を露骨にぶつけてきたことがあるだろうか?


「そんな折りに、ティムス様が優しい言葉を掛けて下さって…… 

 そしてマリエ様も慰めてくださるうちに、何故かそんな気分になってしまって…… 

 気付いたら、三回もそういうことをしていましたわ。

 そのことについては、私、貴方に対して不貞を働いたという自覚はありますの。

 幸い手に職もあることですし、離婚なさるならして下さいまし」


 男爵は涙で一杯の妻の顔を見据える。

 そう、じっくり妻の顔を見る時間も無かったことは事実だ。

 あまりにも病院の仕事が楽しすぎて。


「すまない」

「貴方」

「今度のことは、お前がただ単に浮気したというだけのことではないんだな。離婚はしない。家でもう一度ちゃんと話し合ってみよう」

「……貴方……」

「何ですって!」


 マリエの声が響く。


「私は離婚だというのに、貴女はそれで許してもらおうって言うの? 

 何が違うって言うのよ!」

「そもそも妻は、私のせいで弱った心を、貴女方の誘いに乗った訳ですね。

 無論病院の方は辞めさせます。

 あの場でそんなことをしていたことは許されません。

 ですが、私の妻としては、まだまだやり直す可能性が残されています。

 それでよろしいでしょうか? 院長」

「おう、そこは君の好きにすれば良い」


 いつの間にか弁護士達と同じ大きなテーブルについていた院長は、男爵に向かって朗らかな声で言った。

 しかし、そう言いながらも、院長はすぐそこの席の伯爵令嬢の様子がおかしいことに気付きつつあった。


「どうしたね、お嬢さん。ずいぶんと顔色が悪いが」

「まあ先生、すみません」


 軽く手を取る。


「微熱がある様だね。気分は?」

「……だ、大丈夫です…… ちょっと…… あの、少し失礼します」


 そう伯爵令嬢エンドローズが立ち上がった時だった。

 ふらり、と彼女はその場に崩れ落ちた。

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