第19話
〜ストワード地区 中央〜
体格の良い男が一人、高級車から降りる。
「これは便利だねェ。シャフマにも欲しいぜ」
短い黒髪が、ストワードの冷風に揺れる。寒空の陽に紫の瞳が細められた。
「くくくっ……暑苦しいぜ」
特に胸元が。シャツのボタンを外し、ネクタイを緩める。自慢の体を隠しておくなんて勿体ない。それがこの男の考えだった。
「お客さん、タクシー代!」
「ん?」
振り返り、「あー」と気の抜けた声。
「ふふふっ。アントワーヌサンにつけておいてくれ。名は『アレス』……いや、『メルヴィル』でいいか。アイツはここに来ることなんてないだろう。絶対に会わないから文句を言われない」
「あ、アントワーヌ大統領に……!?あなたは、一体……」
「俺はメルヴィルさ。シャフマ『いち』腕が立つソードマスターのね」
ウィンクして軽口を叩く彼はもちろんメルヴィルではない。50歳のアレスト=エル=レアンドロだ。
「さぁて……アントワーヌサンには悪いが、先に指名手配犯の息子を探すかね……」
〜シャフマ 東の砂漠〜
「全然砂の怪物なんていないじゃぁ〜ん!つまんなぁい!」
ラビーは早速歩き疲れてザックにおぶってもらっていた。
「あのねェ……砂の怪物が出たら逃げるしかないんだぜ?ヴァレリアやリュウガなら訓練を積んでいるならどうにかできるかもしれないが、俺たちが足でまといすぎる」
「たたかってみたいのぉ!」
「うわぁ!耳元ででかい声を出すなよ。本当にあんたはわがままだねェ。出ないのはいいことじゃないか」
とは言うものの。ザックも砂の怪物は気になっていた。
砂の怪物。たしかにストワード地区では遭遇した。リュウガの暮らしていた洞窟の近くで一体だけ見た。それだけだ。
(それを話したら『ボクもたたかいたい!』って……ラビーはギャンブルの駆け引きは大人顔負けだが、それ以外はまだまだ子どもだよな)
ギャンブル以外の精神年齢は17歳よりもずっと下かもしれない。
「そもそもあんた、怪物が出たらどうたたかうんだよ。剣や弓なんて持ったことがないだろう」
「素手で殴る!殴りまくれば倒れるよねぇ〜?キャハッ」
「……やっぱりあんただけでも母さんのところへ連れて行こうか」
「ダメ!お兄ちゃんのバカ!ザコ!!」
背中をポカポカ殴られる。三男はギャンブル以外の思考が幼児のそれだ。論理的な会話にならない。
(俺は上の弟……次男には論争で勝てない自身があるが、ラビーにはいろいろと負けてないと思いたいぜ。ほんとに)
三つ年下だが。
「ん?誰か倒れてる」
先頭を歩いていたデヴォンが前を指差す。
「怪物に襲われたのかなぁ?……よっと!」
「うおっ!?」
ラビーが勢い良くザックの背中を蹴って砂漠を駆ける。ザックは前のめりに倒れた。
「キャハッ!お兄ちゃん、ごめぇん。ね、ね、キミはどぉしたのぉ?」
「ちょっと、ラビー。倒れてる人の周りで大きな声を上げたらダメだよ」
デヴォンが慎重に近づく。
「随分大柄な女じゃのう」
倒れていても胴や足が女性の平均よりもずっと長いのが分かる。
横向きに倒れている。顔は金髪で隠れていてよく見えない。
「なんかウチ、この人見たことある気がするんだけどー?」
ヴァレリアが女の顔を覗き込む。
リュウガがすんすんと鼻を鳴らした。
「む……このにおい。まさか……。デヴォン、この女に白魔法を使うのじゃ」
「え?」
リュウガが後ずさり、女から距離を取る。
「くっ……早くしろ!『あてられる』!」
「な、なんだか分からないけど、分かった!シンプルな治療魔法でいい!?」
「対黒魔術の白魔法じゃ!サイレス!」
「サイレス!?」
「いいから早くしろ!!!我だけじゃない、『寄ってくる』ぞ!」
「……!師匠!何か来るよ!」
ヴァレリアが弓を構える。砂漠の砂が盛り上がり、怪物の形になった。
「……な、なんだ?これが砂の怪物……?」
「どうして砂漠の真ん中から怪物が現れたんだよ……!?」
ラビーもザックも対処どころではない。驚いて何も出来ないのだ。
「デヴォン!その女にサイレスじゃ!!」
「っ!」
デヴォンが深呼吸をして、倒れている女に両手を突き出す。
(この魔法は『触れてはいけない』。一定の距離を取って……)
(集中して、呪文を!)
デヴォンが詠唱をする。
「きゃあっ!」
「ヴァレリア!?」
「こっちは気にするな!我がおる!」
リュウガが龍の姿になって炎を吐く。
デヴォンが必死に詠唱をしている。その声を聞き、ザックが前に進んだ。
「すまない、放心していた。黒魔法、効くか……?一か八かだが……!」
ザックが真上に両手を突き上げ、魔力を溜める。
「……雷!!!」
空が真っ黒の雲で覆われる。ヴァレリアが「え……やりすぎでしょ……」と漏らした。リュウガも応戦しながら引き気味にザックをチラチラと見る。
「俺にはこれくらいしか魔力がないんだが……」
「ありすぎるくらいじゃろう。なんじゃそれは。我やバレリアにも被害が及ぶから手を下ろせ。敵は一体じゃ」
「そ、そう?」
ザックが両手を下ろす。雲が消える。リュウガとヴァレリアは顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろした。
丁度そのとき、デヴォンのいる方で白い光が放出した。怪物が撤退を始める。
「おっ!あの男、成功したようじゃのう!」
リュウガが変化を解いて砂漠を走る。ザックもそれを追いかけた。
「あんた、大丈夫?」
腰が抜けて動けないラビーに、ヴァレリアが手を差し伸べる。
「……」
「ふふっ、初めて怪物見たときのウチみたいな顔してんね」
「え……」
ラビーの金の瞳が泳ぐ。こういうとき、ギャンブルではどうしたっけ。
考えて黙っていたら、ヴァレリアに腕を掴まれて無理やり立たされた。
「行こ。怪物は逃げたし」
「う、うん」
「なんでサイレスで撤退したんだろ」
白魔法をかける前よりも穏やかな顔になった女性を見ながらデヴォンが言う。
「オッサンは解決法知ってたんだねー。ってことは原因も分かってんの?」
「この女、魔力が異常なほどに溜まっておった」
リュウガが腕に包帯を巻いて座る。
中央で倒れている女性を囲むようにして一同が座っている。
「体質で溜まることがあるというのは言ったじゃろう。あれはほとんどの場合、先祖に『強大な魔力を宿した魔族』がおって、それが100年200年300年……何代も人間と婚姻を繰り返し、今の代で体はほぼ完全に人間じゃが、魔力を溜める器官だけが遺伝したという状態じゃ。母や父になくても、先祖を辿って隔世遺伝することがある」
「我がこの女に近づいたときに真っ先にそれを疑ったのは、『魔力を溜め込んでいる』と気づいたからじゃ。魔族はそうした人間……魔力をたっぷり溜め込んだ魔力源に食欲を刺激されるからのう。砂の怪物がなんなのかはよく分からんが、反応を見るに、この女の魔力を辿って現れたのじゃろう」
「なるほど。砂の怪物にも魔族と同じように魔力を辿る力があるということですね」
リュウガが頷いて続ける。
「じゃがのう、こやつは『人為的』じゃ。先祖に魔族がおったとか、そういう話ではないのじゃ。なんらかの方法で魔力を増幅されておる。一体何故こんなことをしたのか分からん。苦しいだけじゃ。メリットなどないというのに」
「それでサイレス、ですか」
「増大した黒魔法に白魔法をかけ、中和した。じゃが根本的な解決になっておるかどうか……」
ザックがおずおずと口を開いた。
「なんだかよく分からないが、この女は無事なのか?」
「無事だぜ!」
甲高い声。驚いて真ん中を見る一同。
「悪いな、お前ら!俺の体を治してくれたんだな。へへっ、なんかずっとだるくてよー。しぬかと思っちまったぜ!」
金髪の女性だ。女性、のはずだが。男口調。
「あ!あんた、前に猫を追いかけていた背の高い女じゃないか!」
「また助けられちまったな。えへへっ」
金髪の女性が立ち上がる。180センチはありそうだ。スレンダー体型。
「俺の名前はノマ!!アイドルってやつだ。お礼に一曲歌わせてくれよな」
すっかり元気になったノマは目を細めて笑った。
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