22節 蛇②
…………
「……なるほど。確かにそれなら、いけるかも」
「……大丈夫ですか? アレニエさんも消耗が激しいのは、重々承知しているんですが……」
「それはリュイスちゃんもでしょ。しばらく魔将と一人で渡り合ってたんだから。なら、わたしだって、少しぐらいの無茶はしなきゃね」
「アレニエさん……はい。絶対、二人で帰りましょうね」
「もちろん。……じゃあ、いくよ」
「はい!」
そのリュイスちゃんの返事を合図に、わたしは〈ローク〉を鞘にしまい、カーミエに向かって駆け出した。
「キヒヒ! バカが! また突っ込んでくるだけかよ!」
嘲笑う魔将は相手にせず、『蛇』の動向に気を配る。離れている時は様子を窺うだけのそれも、こちらがある程度まで近づくと……
ガラララ――!
本物の蛇を思わせる俊敏な動きで、本物ではあり得ない石が擦れる音を響かせながら、接近するわたしに牙をむき、襲い掛かってくる。
それを見据えながらわたしは、左手に意識を集中させる。魔力を操作し、前方に壁を作るイメージで、赤い光で編まれた長方形の盾を生み出し、大蛇の頭を正面から受け止める。
ガキっ!
「ふ……んぐぐぐ……!」
大量の石の塊を、わたし一人の体重で受け止め切れはしない。体が押され、足元に
「《……封の章、第三節。静寂の庭……サイレンス!》」
リュイスちゃんの法術が発動する。わたしの目の前に、押え込んだ『蛇』の胴体、その一部を包むように光の線が走り、人一人を丸ごと包めるほどの立方体が生み出される。すると……
ガラ、ガラ……
立方体の中に入った部分の石が、その動きを止める。そして地面に落下する。
「な……!」
カーミエが驚く声をよそに、『蛇』は前進を続ける。少しずつわたしを押しながら光の立方体を通過し、そこで次々に体を構成する石を落としていく。
「なんだと……! 何が……何をしやがった、このガキ……!」
石の魔将は現状を理解できず、今も術を維持し続けているリュイスちゃんに怒りを向けた。
リュイスちゃんが発動させたのは、『魔力を遮断・鎮静化させる』法術。以前にも何度か使ったことのある術だ。
あの光で編まれた箱――結界の中に入っているものは、生物・無生物を問わず魔力を遮られ、
あまりに強い魔力は抑えられないそうなので、たとえば魔将本人があの中に入った場合、その魔力はおそらく鎮められない。前回の石巨人のような、大規模な魔術なんかも無理だろう。
けれど今回の『蛇』は、無数の小さい石が寄り集まったもの。その一つ一つを操る魔力はそこまで強くない。だから――
『蛇』の胴体がバラバラと崩れ落ちていく。
頭はわたしを圧し潰そうと前進を続けるが、それに続く胴体が結界を通過するたびに、体を構成していた石が削ぎ落されていく。物量が減り、圧力が減少する。前進する力が弱まる。
ここでわたしは、自身が生み出していた盾を解除した。そして直接『蛇』の頭に触れ、そこから魔力を吸い上げる。
ズ……!
頭部を形作っていた石も魔力を失い、次々と目の前で地に落ちていく。今や『蛇』の体はまばらにしか残っていなかった。
「(ここまで減らせれば……!)」
こちらの攻撃も通るかもしれない。『蛇』の残骸を避け、接近することも――そう思ったところで……
「ふざけんな!」
石の魔将が
『蛇』を構成していた残りの石を操り、一つに集め、鋭く巨大な槍を形作ろうとしている。あんなものをまともに喰らえば、わたしもリュイスちゃんも――当たり前だが――ただでは済まない。が――
バヂィ!
突如横合いから雷撃が
「んな……?」
それで魔術の効力を失ったのか、石はバラバラに飛び散り、落下する。
術を阻害されたカーミエが、思わず雷撃の発生源に目を向けた。わたしも一瞬だけそちらに視線をやると……
「……先ほどの、痛みの……お返し、ですよ……」
雷の魔将、ルニアが倒れたまま、息も絶え絶えなその顔にかすかな笑みを浮かべ、残った左腕を掲げていた。
「こ……の……陰気女ぁ!」
怒りの限界を迎え、怒声を発する石の魔将。それに向かってわたしは即座に、最短距離で駆け出した。
魔将に対し、
「……ハっ! もう忘れたのか!? てめぇの剣はあたしには通じねぇ!」
ルニアに気を取られていたカーミエが、ここでわたしの接近に気づき、向き直る。こちらの狙いに気づいたのだろう。
パキ、バキ、ミシ……
宙に浮いた石が、首や心臓を護るように、その周囲に集まってゆく。さらにそれが異音を立て、凝縮され、次第に差し込む光を反射させるほどの光沢を生み出す。
石の組成を変える魔術。それによってただの石を宝石に、中でも最も硬いと言われる金剛石――ダイアモンドに変えている。〈弧閃〉は一度、このダイアモンドの盾によって砕かれている。あの喪失感は忘れない。
「キヒ! もう一度砕かれたいってんなら、お望み通りにしてやるよ!」
相手を剣の間合いに収められる位置まで辿り着く。しかし正面から接近したわたしを見て、石の魔将は小馬鹿にするように嘲笑った。
ここからさらに回り込み、死角を狙って斬り付けることも確かにできた。そもそも以前のように、〈クルィーク〉で魔力を吸収すればいい話かもしれない。けれどわたしはその場で足を止め、〈弧閃〉の柄を握りしめ、あえて首を護る宝石の盾に狙いをつけた。
軸足を捻り、生み出した力を体幹で増幅。そこから肩と肘を経由し、右手の先まで、それが握る愛剣まで、『気』を伝える。
「――ふっ!」
その動作の全てを一呼吸で、いや、それ以下の短い瞬間で終わらせる。
何千何万と繰り返した一つの剣閃。基本にして奥義の斬撃。そこに込められた『気』に〈弧閃〉の中の気鉱石が反応し、剣身の外側にもう一層、光の刃を形成する。
今度は、迷わない。ただただ、信じる。
ライセン、ハウフェンが打ってくれたこの剣を。とーさんが教えてくれたこの技を。そして、これまで積み重ねてきた、わたし自身の
キン――!
かすかに、金属の擦れる音が耳に残った。
手応えは、むしろあまりなかった。まるで遮るものなど何もないかのように、わたしは愛剣を振り切り、勢い余って体を
そう、振り切っていた。前回は届かなかった金剛石の盾の先に。急所を遮っていたはずのそれを見事に切り裂いた〈弧閃〉は、その先のカーミエの首まで刃を届かせ……そして、断ち切っていた。
「な……」
わずかに遅れて、石の魔将が驚きに声を上げる。それと共に、ずるり、と首が落ち、切断面から一斉に赤黒い血を噴出させた。
ドシャ……
一呼吸遅れて、カーミエの身体が力なくその場に倒れる。呆然としているためか、それとももはや力が残っていないのか、起き上がる気配はなかった。
「そんな、わけが……ふざけるなよ……ただの剣で、あたしの、盾が……」
「これで、借りは返したよ」
確かな満足感をこの胸に抱きながら、わたしは石の魔将に宣言した。
何度も死にそうな目に遭わされたし、愛剣を折られたりもしたけど、その辺りの諸々は今回で全て返せたと言っていいだろう。
それに、おかげで証明することもできた。この剣は、とーさんに教わった技は、魔将の魔術にも、鋼より硬い物にも負けないことを。
「クソ……クソ、クソ、クソが……! 半魔風情が、あたしを見下ろしてんじゃねぇぞ……!」
首の切断面から多量の血を流しながら、カーミエの身体から魔力が放出される。辺りに散らばった石がカタカタと音を鳴らし、再び魔術によって操られようとしている。
それを見ながらわたしは、右手で〈弧閃〉を鞘にしまい、左手で〈ローク〉を抜き放ち……それを、足元に倒れる石の魔将の胸に、冷静に突き刺した。
トス……
「グっ……!?」
ほとんど抵抗もなく、刃は魔将の体に沈んでいき、その先の地面に軽く刺さって止まる。
左手で――〈クルィーク〉で握られた〈ローク〉は、刃先から魔力を、そして魔力を含んだ物質――この場合、カーミエの身体――を喰らい、その小さな胸に穴を空ける。そして、周囲の魔力を吸収していく。
「ガァァァァ――!?」
魔物や魔族には、魔力を発生させる核がある。多くの場合、頭部や心臓に存在していて、それを潰すことで彼らを効率的に殺すことができる。つまり急所だ。
まさに今、突き刺し、穴を空けた魔将の心臓部分に、それはあった。暗く光る球体のようなものが魔力を放出しようとしては、〈ローク〉に吸収されて明滅する。今まで見たこともなかったそれを視認できているのは、半魔の姿になって魔覚が開いたからなのだろう。
「グっ、ガ、アアアァァァ……!?」
その核から魔力を吸い上げるたびに、カーミエの苦悶の声が増していく。肉体と魔力の距離が近いという魔族の身体は、こうして魔力を吸収するだけでも死に直結する。やがてその声もか細くなっていき……
「クソ、が……あたしは、成り上がって、やるんだ……もっと……もっと、上、に……」
胸の核が光を失い、完全に沈黙する。あとには、首を落とされた異形の少女の
「アレニエさん。……終わったんですね」
『蛇』を押さえるため結界を維持していたリュイスちゃんが、決着がついたことを悟りこちらに駆け寄ってくる。
「なんとかね。リュイスちゃんが助けてくれたおかげだよ」
「いえ、私は、そんな……でも、良かったです、アレニエさんが無事で」
照れてわずかに頬を赤くしながら彼女は弁明するが……実際、ルニアにやられた時も、カーミエの『蛇』も、リュイスちゃんがいなければ行き詰まっていたはずだ。彼女の貢献は彼女が思う以上に大きいし、感謝している。
彼女は次いで、足元に横たわるカーミエの遺体に視線を送る。
「……」
その目には、わずかに複雑な色が見て取れた。
魔族とはいえ、目の前で命が失われていく様に、いつもの衝動が走っていたのかもしれない。それを
二度に渡る石の魔将との戦い。それが、ようやく終わりを告げた。わたしは一つ息をつき……
パチ、パチ、パチ
「お見事でございました」
不意に聞こえてきた軽薄な拍手と抑揚のない声に、緩みかけていた気を引き締め直した。
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