幕間2 ある魔術師の追憶①
オレに名前はなかった。
オレに親はいなかった。
気が付いた時には王都下層で他人に物を乞い、あるいは奪って生きていく生活をしていた。
やり方は周囲のクソみたいな大人に教えられた。
奴らは自分たちでは動かずに、オレが奪ったものをオレから奪って糧を得ていた。オレに残されるのは、ほんのわずかな分け前だけだ。
周りには同じような境遇のガキどもが大勢いた。多くは親に捨てられた連中だ。おそらくはオレと同じように。
仲間意識というものはあまりなかった。
ふと気づけば昨日までいた奴がいなくなっていたり、動かなくなっていたりする。なのに、それを気にする余裕もほとんどなかった。
ただ奪い、奪われるだけのクソみたいな毎日。
そんなクソみたいな生活に、ある日唐突に終わりが訪れた。
***
「エカル、まだ着かないの?」
「ああ……もう少しだ」
***
オレたちの縄張りに現れた一人の男。
フードで顔を隠したその男は、オレたちのうち何人かを自分たちのところで引き取ると言い始めた。
後で知ったことだが、そいつはとある貴族に仕える私設騎士団に務める人間だった。騎士団といっても、後ろ暗いことを一手に引き受けるクソみたいな部署だ。
奴は組織の人員補充のために、下層のガキどもに目をつけたという。
オレを含む数人がその男に引き取られ、オレたちの生活は一変した。少なくとも食うに困ることはなくなった。
代わりに、こなさきゃいけないことが死ぬほど増えた。
主に暗殺のための戦闘訓練。武器や素手で相手を殺す方法を覚えた。
読み書き、一般教養・常識などの勉学。字を知り、世界を知った。
素養のある連中には、魔術や法術の修練。オレにも適正があるとかで、無理矢理魔術を教え込まれた。
失われた神々についての知識、神学。遥か昔にアスタリアを始めとする神々は戦によってその身を失い、法術の法則だけを残して眠りについたと言われている。
姿を消した神々は、人々の祈りへの対価として法術を授けるのみ。
神は存在する。法術の存在が証左になる。
だが肉体を失った神々は物質世界に触れることはできないため、人々が神に祈ったとしても都合のいい奇跡は起こらない。そんなクソみたいな現実を知った。
さらに、自分たちが仕えているお貴族さまがどんなに素晴らしいか、そこに仕えていることがどれだけの誉れか、なんていうクソみたいな説法もあった。
それから、オレに呼び名がついた。十三番。名前じゃなく番号だ。クソだ。
***
「結構二人から離れちゃったけど、本当に大丈夫なの?」
「……ああ。ここまで離れれば問題ない」
***
新しいクソみたいな生活が数年も続いた頃、オレは初めてあいつに出会った。
アルフレド・アステルフ。オレたちが仕える貴族、アステルフ家。その家の長男。
初めはそんなこと気づかなかったし、印象はただののん気な優男だった。
いつものように訓練で死にかけ、訓練場の外でグッタリしていたオレの前に、何かから逃げるようにあいつが現れ、匿ってくれと言ってきた。
建物の影に隠れ、追っ手をやり過ごしたそいつは、オレに礼を言い事情を明かした。稽古や勉強に疲れ逃げてきたと。
予想以上のくだらない理由に呆れつつも、他人から礼を言われたことなど滅多になく、悪い気はしていなかった。
それ以来、度々そいつはオレの前に現れては遠慮なく話しかけてくるようになった。
何度か、何かにオレを利用しようとしてるのかと疑ったこともあったが、やろうと思えばすぐにオレに命令できる立場の人間が、そんな小細工を弄する意味がない。
それに何度も会ううちに気づいたが、そいつはとにかく裏表がない男だった。
昔からオレの周りにはろくでもない人間しかいなかったが、そいつらとは根本から違う印象だった。
オレの何がそんなに気に入ったのかは分からない。身近に年の近い人間が他にいなかったのかもしれない。
とにかくあいつは頻繁にオレに会いに来た。ちょうどいい息抜きになるらしく、ひとしきりオレに悩みを話した後は、訓練や勉学に打ちこめると言っていた。
オレのほうも、あいつといると気が休まるように感じていた。
それはオレにとって初めての、なんのしがらみもない相手だった。
暴力や金銭に縛られない。庇護や依存によらない。
そしてあいつは、名前のないクソみたいなオレに名を与えてくれた。
オレの緋色の瞳から、エカルラートという名を。
いつか鳥のように自由になれるようにと、ワゾーという姓を。
***
「? ――! エカル、なにを……う、あ!?」
***
アステルフ家は、過去には勇者を輩出したこともある名家だった。
その過去の業績により貴族に封じられたが、その後は勇者とは無縁の代が続いた。
しかしこの家の人間たちは、自分たちの血縁から再び勇者が誕生することに固執していた。
生まれてくる子供たちに、勇者として相応しい実力、精神を求めた。
仕える者たちも、主の望みを叶えるためにとあらゆる手を尽くし始めた。
こうしてアステルフ家の歪んだ構造は出来上がり、それは何代にも渡って続けられてきた。
アルフレドは、その歪んだ家からのクソみたいな期待を、一身に受けて育った。
剣術。法術。戦術。勇者としての振る舞い。
あいつはそれら全てに一定以上の水準を要求され、また、その全てに応えることが
期待は膨れ上がり、やがて重荷になっていった。
そして、神剣の目覚めと魔王の復活とが報じられたことで、周囲の期待は爆発せんほどに高まっていった。
ついに自分たちの代で勇者が誕生する瞬間を目撃することができる。
アステルフ家の人間は熱狂に沸き返り、そして――選定の儀の結果を知る。
初めはなにが起きたのかわからず茫然とし、混乱し、次第に怒りが場を支配する。
なぜアルフレドが勇者に選ばれなかったのか。彼でも勇者となるに足りえないのか。
そのうちに、誰かがこう言い出した。
いや、これはなにかの間違いだ。アルフレドこそ、アステルフ家こそ、勇者にふさわしい。神剣は選択を誤った。
そうして結論は出された。先に選ばれた勇者を始末すれば、次こそはアルフレドが勇者に選ばれるに違いない、と。
それが可能かどうかなど誰も論じない。ただ皆、そのクソみたいな方法を狂ったように信じた。
そしてオレは、それがクソだと思いながらも作戦に参加した。
元より拒否する権利はオレになかった。が、それ以上に、オレはあいつのために何かをしてやりたかった――
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