16節 わがまま

 勝負の行方を悟ると同時に、目の前の光景が緩やかになる。周囲を流れる時間すら遅く感じる。

 顔から血の気が引くのを自覚する。胸の奥に穴が空き、こぼれていく。感情が、こぼれ落ちていく。

 穴の奥には空虚な空洞だけが残り、頭も、心も、活動を鈍らせていく――


「(嫌、だ……)」


 私は、この感覚を知っている。


「(ダメだ……嫌だ……!)」


 そして、もう二度と味わいたくない。


「(止めなきゃ……助けなきゃ……!)」


 ――どうやって?

 見た目はゆっくりでも、現実の時間は容赦なく進んでいく。二人の剣は引かれ合い、男は死に近づいていく。

 思いつけた方法は一つだけ。どのみち、今の自分にできることは多くない。喉に、肺に、私はなけなしの力を込めていく――



  ――――


  

 剣と剣が衝突する寸前、アレニエさんは自身の右手首を、外側に〝寝かせた〟。

 その手が握る剣も角度を変え、剣の背が彼女の右ひじに触れる形になり、結果――……彼女の剣は、大剣の側面をすり抜ける。


「――!?」


 予想された衝撃はなく、大男はガクンと態勢を崩す。

 大剣の腹を刃先が走り、火花を散らせ、そのまま滑るように獲物に吸い込まれる。喉元に喰らいついた刃は、無慈悲にその骨肉を引き裂き、首と胴とを上下に分かつ――


「……ァレニエさんっ――!!」


「!」


 ――寸前で、私のかすれた叫び声が、辺りに響き渡った。


「「――――……」」


 今の叫びで時間まで止まってしまったかのように、二人もその動きを止めていた。響き渡っていた剣戟は嘘のように鳴り止み、静寂が訪れる。


 彼女の剣は、男の首、その側面に食い込んだ状態で、かろうじて静止していた。私の声を耳にして、咄嗟に止めてくれたのだろう。

 それでも……即死を免れたというだけで、重傷には変わらない。


「…………あぁ、くそ……ここまで、かよ……」


 大男の口から小さな呟きが漏れた。それを受けてアレニエさんが刃を引く。赤黒い液体が傷口から吹き出し、だくだくと流れ落ちる。


 流れる血と共に力も抜け落ちたように、男の上体が揺らいだ。興奮も治まり、もう体力も限界だったのだろう。空振り、その先の地面を打ち据えていた大剣から手を離し、前のめりにゆっくり倒れ込む。


 首の傷だけじゃない。ここに至るまでにも、男は体中から血を流している。うつ伏せに力なく体を横たえる様は、放っておけばすぐにでも息絶えてしまいそうだ。

 私はいまだ痛む腹部を押さえながら、なんとかその身に駆け寄る。


「ふ、んくっ……!」


 苦労して仰向けに寝かせ、水袋の水で血と汚れを洗い流す。すぐに治療を始めようとするが……


「……や、めろ、嬢ちゃん……俺、は……」


 返ってきたのは、怪我をしている当の本人からの、思いもよらぬ拒絶の言葉。

 どうして? 勝負に負けたから? 互いに命を懸けていたから? その結果を尊重しろ、と? …………冗談じゃない。


「黙っててください!」


 男の言葉を遮って包帯を取り出し、傷口を止血。そして祈り、唱える。


「《……これを、第三の賜物として、テリオス、そしてアサナトよ。御身らに私は乞い願います。死を遠ざける双神よ。光り輝く癒し手よ。……治癒の章、第三節。癒しの波紋……ヒーリング……!》」


 私が使える最も治癒力の高い法術。即座に完治させるような真似はできないが、これでなんとか持ち直してくれれば……


「――どうして止めたの、リュイスちゃん」


 背後から静かに、アレニエさんが問いかけてくる。戦いの余韻が残っているのか、その声は酷く冷たい。

 が、その冷たさに反発するかのように、私の心は熱で沸騰した。


「どうしてってなんですか! 止めますよ! 目の前で人が死にそうなのに、黙って見てられるわけ、ないでしょう!?」


 むしろ、こんな傷を負わせる前にこそ止めたかったのに。

 胸に湧き上がる憤りを抑えきれず、彼女にそのままぶつけてしまうが……


「「……あー……」」


 二人は揃って顔を見合わせ、同時になにかに納得したような声を上げるだけだった。なにその反応!?


「なんですか二人して!?」


「なんかこう、初々しい反応がまぶしくて」


「ハ、ハハ……嬢ちゃん、ほんとに、ぺーぺーなんだな……」


 アレニエさんだけでなく、重傷の大男まで生暖かい視線を送ってくる。


「神官のリュイスちゃんからしたら考えられないだろうけど、街の外だとこういう、人間同士で殺したり殺されたりっていうの、珍しくないからさ。この人たちも含めて、冒険者は一応みんな覚悟してるはずだしね」


 街の外が危険なのは、私だって……知識の上では、知っている。彼らが街を出てから襲ってきたのは、つまりそういうことだ。


「それに勝負を引き受けたのは、厄介事は早く済ませたいっていう、ただのわたしのわがままだよ。死ぬつもりは欠片もなかったけど、そうなったとしてもそれはわたしの責任。リュイスちゃんがそこまで気にする必要ないよ」


「そうだぜ、嬢ちゃん……こうなることも、覚悟して挑んだのは、俺も、同じ……俺にとっちゃ、命が懸かっていなけりゃ、意味が、なかった……これは、それこそ俺の、わがままの、結果だ……」


 二人はそれぞれ、子供にものを教えるように私を諭す。

 彼女らが言う通り、こんなことは『外』では日常茶飯事なのかもしれない。

 二人はお互いに死ぬことも覚悟していたし、私がしているのはその覚悟を汚す行為なのかもしれない。


 ――でも、そんなの、私の知ったことじゃない。


「だからって、必ず殺さなきゃいけないわけでも、黙って受け入れなきゃいけないわけでも、ないでしょう!? それに、さっきの殺し合いがお二人のわがままだというなら、それを止めたいのは……目の前で誰かに死んでほしくないのは、私のわがままです! 聞く耳持ちません!」


 私は、私の目の前で命が失われることに、耐えられない。

 神官の責務や矜持じゃない。理性的な理由もない。

 死を間近にした際の虚無感、胸に穴が空くようなあの感覚を、できるなら二度と味わいたくない。それだけの、勝手な理由だ。


 冒険者の常識。剣士の誇り。そういったものは私には分からない。

 けれど、私には私の譲れないものがある。この穴を塞げるなら引く気はないし、それが無粋だと言うならそれでも構わない。


 湧きあがる怒りを吐き出す(神官としては全く褒められた行為ではないが)ように、私は口を開いていた。正直、後のことなど考えていなかった。

 一方的な素人の意見に怒りを覚えるだろうか、と頭の片隅で思ったが――


「「…………プっ」」


 耳に届いたのは、堪え切れずに吹き出す音だった。


「あっはははは、あは、あっはっはっは……!」


「フ、ハ、ハハ、ハ……! げほ…げふ……!」


 気づけばなぜか、二人とも口を開けて大笑いしていた。男に至っては笑いすぎて咳き込んですらいる。


「な、なんで笑うんですか! 私、怒ってるんですけど!?」


「あっはは……! ごめんごめん。リュイスちゃん、面白いなぁと思って」


「なんですか面白いって!?」


「うん、リュイスちゃんの言うことももっともだなぁ。相手が命懸けで来たからって、こっちも必ず応えなきゃいけないわけじゃないよね。いつの間にか毒されてたかも」


「ハハ、ハ……! 確かに、どっちもただの、わがまま、だ。別に、黙って聞く義理は、ねぇな」


 褒められているんだろうか。けなされているんだろうか。

 二人は納得しているようだが、こちらは納得がいかない。なんで笑われたんだろう。


「とにかく、貴方が嫌がっても私は勝手に治療しますからね! 諦めてください!」


「……ああ、わかった。この様じゃ、抵抗もできないからな……おとなしく、してるさ」


 男は、その後はなぜか黙って治療を受け入れ、アレニエさんも制止することなく成り行きを見守っていた。

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