2-6 忍耐の町 トレランティア
静かな空気の中、指先がページをめくる音が響く。
古びた本がずらりと収められた書架の前で、アヴェルティールは静かに手元の本へ目を通し続けた。
リーリャ――今代のリインカーネーションが祈りの間へ入ったあと、神殿守によって案内された場所は、壁を覆い尽くしそうなほど大きな書架が設置された部屋だった。
窓は一切作られておらず、頼りになるのは天井から吊り下げられた照明のみ。机や椅子といった基本的な家具も見当たらないその部屋は、本を読むためではなく資料や貴重な本を管理しておくために作られた場所だった。
「お話した本は、この中で保管しています。騎士様の気が済むまで、ゆっくりご覧ください。ただし、しつこいようですが持ち出しはしないでください」
「わかった。案内と閲覧の許可、心から感謝いたします」
そういって、神殿守と一度別れたのがここへ到着したばかりの頃。
時計もない部屋では、あれからどれくらいの時間が経っているのかわからないが、アヴェルティールは時間の経過も気にせずにひたすら保管されている本を読み続けていた。
(……なるほど。全てを読んだわけではないが、確かにここにある本には初代リインカーネーションの容姿に関する記述がされている)
黒い手袋に覆われた指で、本に記された一文をそっとなぞる。
リリウム・ホワイトグラス。
銀色の髪に赤い目。神秘的な雰囲気をまとい、この世に生まれ落ちた少女。生を受けた瞬間から奇跡の力を使うことができ、多くの人々を助けてきた生まれながらにしての聖女。
その代償に、上手に声を発することができず、話すことが苦手だったという初代リインカーネーションの話は、これまで目にしてきた資料や文献の中には書かれていなかった。
(神殿守がリーリャに対し、よく似ていると言っていたのも頷けるな)
今代のリインカーネーションの姿を思い浮かべながら、アヴェルティールは考える。
白百合をあしらった神々しい祭服に身を包んだ、今代のリインカーネーションに選ばれた少女。彼女もまた、銀色の髪に赤い目をし、先天性か後天性かまではわからないが上手く声を発せない様子だった。
初代リインカーネーションの容姿を知っている者なら、誰もが思うだろう――今代の聖女様は初代によく似ていると。
「やはり、リインカーネーションの伝説には伏せられている情報がある」
本に視線を落としたまま、小さな声で呟いた。
思わず口に出したそれは、アヴェルティールがリインカーネーションの伝説について疑問を覚えてからずっと考えていたことだ。
ふ、と。アヴェルティールの脳裏に、今もまだ忘れられずにいる笑顔が浮かぶ。
「明らかにしなくては」
本当にあの笑顔は世界のために奪われなくてはならなかったのか。
本当にこの世界を見守る神は世界を存続させるには一人を犠牲にし続けなくてはならない仕組みを生み出したのか。
脳裏に浮かんだ笑顔を忘れないよう、もう一度丁寧になぞって思い出してから、アヴェルティールは手元の本を書架へ戻した。
他に何かリインカーネーションの伝説に関する記述がされた本がないか、書架に収められた本の背表紙へ指を滑らせていく。
やがて、背表紙に何の記述もされていない本を一冊見つけると、その本で指の動きが止まった。
「これは……なんだ?」
指先を本の上部にかけ、手前へ動かす。書架からその本を引き出すと、迷わずに開いた。
まず、最初に見えたのは印刷された文字ではなく手書きの文字。文字が記入されている欄は印刷されているが、肝心の綴られている文字は全て手書きだ。
手書きの文字列は一つではなく、ずらりと並んでいる。だが、それぞれの文字列が組み合わさって文章を作り出しているわけではない。ページをぱらぱらめくっても、文章ではなく手書きの文字列が並んでいるだけだ。
これは一体何なのか、アヴェルティールは眉間にシワを寄せる。
不可解なものを見る目でページをめくり続けていたが、見覚えのある名前を見つけた瞬間、ぴたりと手が止まった。
フィーユ。
アヴェルティールが忘れたくても忘れられない――もとい、絶対に忘れないと誓った名前だ。
つい先ほども思い出した笑顔がより鮮明に思い浮かぶ。
これは――リインカーネーションとして選ばれた人物たちの名前。歴代リインカーネーションの記録だ。
(まさか、こんな記録まで閲覧できるとは)
元々ここで管理されていたのか、それとも何らかの理由で偶然紛れ込んでいたのか、どちらなのかアヴェルティールにはわからない。
ただ一つはっきりしているのは、歴代リインカーネーションに関する記録が書架の中にあったのはアヴェルティールにとって嬉しい現実だということだ。
ページをどんどんめくって過去へ遡っていき、トレランティアの神殿へやってきた歴代のリインカーネーションたちの名前を確かめていく。
己が確かめたいと思っていることに繋がる情報がほんの少しでもないか探し続けるうちに、一つ。名前と一緒に記録されている年代の記録を目にし、アヴェルティールは手をとめた。
「……おかしい」
はつり。唇から、その一言がこぼれ落ちた。
記録されている歴代リインカーネーションの名前の隣には、トレランティアの神殿を訪れたと思われる年も一緒に残されている。ぱっと見ただけではそれだけだが、よく見ると途中から新たなリインカーネーションが神殿へやってくる年が短くなっていた。
昔は十年二十年、長ければ七十年もの間、次のリインカーネーションが神殿へやってくるまで時間が空いていることが多い。
しかし、途中から三年や四年、短ければ一年という短い期間で次のリインカーネーションが神殿へやってきている。昔に比べると、途中からリインカーネーションの代替わりは頻繁になっていることが予想できた。
(……どういうことだ?)
過去の記録の中でも、短い期間でリインカーネーションの代替わりが行われているときもあるが、それが予想される記録は片手の指で簡単に数えられる程度の回数だ。
一方、頻繁にリインカーネーションの代替わりが行われるようになってからは、長い時が経ってから次のリインカーネーションが現れていると思われる記録は全くといっていいほどなくなっていた。
誰もが短い期間で役目を終え、次のリインカーネーションが新たな役目を果たすために誕生している。
(ただの偶然と考えるには、何か違和感がある)
世界が滅びの危機にひんしているとき、リインカーネーションが現れる。
言い伝えをそのまま信じるなら、短い期間で何度もこの世界が滅びかかっていることになる。本当かどうかはわからないが、過去に神の怒りにふれたといわれているのだ。何度も世界が滅びかかっても納得できると考える者も多いだろう。
だが、もしそうなのだとすると、ある年を境に滅びの危機が頻繁に迫るようになっていることになる。
(過去はリインカーネーションの代替わりが行われるまで、長い時が経っていた。もし何度も世界が滅びかかっているのなら、昔からリインカーネーションの代替わりが頻繁に行われていないとおかしいのではないか?)
無言でリインカーネーションの来訪の記録を見つめながら、思考を巡らせる。
しかし、情報が圧倒的に不足している今のアヴェルティールでは答えを導き出せなかっった。
「……もう少し情報を集めてから判断すべきだな、これは」
判断するには、まだ情報が足りない。
途中からリインカーネーションの代替わりが頻繁に行われるようになっていると思われる記録が見つかっただけでも、非常に大きな収穫だ。
手元の本を閉じ、書架へ戻す。最初に見たときとほぼ一緒になるように、丁寧に。
かたんという小さな音を奏でて書架へ本が戻され、アヴェルティールの指先が背表紙から離れたとき、背後で扉が開くかすかな音が耳に届いた。
ゆるりとした動きで振り返れば、わずかに開かれた扉から顔を出してこちらを見つめる赤い目と目が合った。
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