22 黒の朝
晃麒の翌週は鳶雄の番だった。鳶雄はおっとりしていて、話していて空気が穏やかになる感じがする。
それでいて、あたしのちょっとした変化にすぐ気付くから驚かされることも多い。
そんな一週間を過ごした日曜日の朝、あたしの指先に舌を這わせたつるばみが珍しく言葉を詰まらせた。
「つるばみ?」
「……ホルモンバランスの変動がありますね。今日は……」
ホルモンバランス。そう聞いて浮かんだのは、女性ホルモンのこと。なるほど……そんなことまでわかってしまうんだ。
「今晩……あの人の相手をしないといけない、ってことだよね」
「……はい」
あたしはひとつ深呼吸した。怖くないと言ったら嘘になるけど、それをぶつける相手はつるばみじゃない。
「心配してくれてありがとう。それがつるばみの仕事なんだし、気にしないで」
「なにもできないのが歯がゆう存じます」
「気持ちだけで、嬉しいから」
「ありがとうございます、涼音様」
そのあとは、いつものように着付けに移る。つるばみには強気なことを言ったけど、やっぱり憂鬱なものは憂鬱だった。
「声の色が黒っぽいね。なにかあったの?」
そして、鳶雄には挨拶をしただけでその憂鬱が見抜かれてしまった。
鳶雄は聴覚から視覚の共感覚で、練と同じように感覚を研ぎ澄ますために丸眼鏡をかけているのだという。だから音の表現が色合いだ。
「まあ……ちょっと、ね」
さすがに夜の事情を他人にほいほい話すわけにはいかない。あたしが言葉を濁すと、鳶雄はふうん、と小首を傾げた。
「オレに言えないことで憂鬱なことか。さしあたり、宗主様となにかあったか、なにかあるんだろうな」
「……どうしてそういうところは鋭いの」
「あはは。その様子だと、当たりみたいだ」
鳶雄は穏やかに笑って、でもその先は追究してこない。あたしは少しほっとした。
「でも、涼音さんが憂鬱なんじゃ、なんだかもったいないな」
「鳶雄と話してればちょっとは気が紛れると思うけど」
「そうだと嬉しいけどね。ああ、気分転換に外に出ない?」
「え……」
あたしは少し心がそそられる自分を感じた。ずっとこの屋敷にいるのも、たしかに憂鬱だ。特に今夜のことがあるから、なおさら。
「とりあえず庭にでも出ようよ。気が向けば、里にも下りればいいし」
「……庭くらい、なら」
「じゃあ決まりだ」
それから鳶雄が適当な女中を呼んで、鳶雄とあたしのぶんの草履を持ってきてもらった。客間に面した縁側から、ふたりで庭に出る。
砂利が敷いてあるのはあの小屋のあるあたりだけらしく、縁側から出た庭は普通の土で覆われている。
でもそもそも草履を履き慣れないから、あたしは鳶雄に手を引いてもらう羽目になった。
「あ、餌台がある。涼音さん、早朝になると鳥の声がするでしょう」
鳶雄の言葉に、あたしは毎朝小鳥の鳴き声がするのを聞き流していたことを思い出した。
「言われてみれば……すっかり意識の外だったけど」
「それはもったいない。このあたりはいろんな鳥が住んでいるから、聞きわけてみるのも面白いよ」
「……寝ぼけてなければ、やってみる」
「うん」
鳶雄は目を細めて庭をのんびり眺めている。風が通って、紅葉した木々が乾いた音を立てた。
……あたしがこの里に来たのが夏の終わり。もう、秋の空気が濃厚だ。
あたしの憂鬱を映したように、はらりと一枚、名前のわからない落葉樹の葉が落ちた。
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