第31話 不意の来客
行員の男性に要件を確認され、恭しく番号札と紙を渡され、記入するよう促された。
しばらく待っていると、私の番号が思ったよりも早く呼ばれた。口座をつくる人、振込をしたい人、などの目的別に窓口があって、別々に順番を待っているからが理由なのだそうで、新規に口座をつくりたい人の窓口は、そんなに混んでいなかったみたいだ。
「本日は当行に口座開設をご希望でよろしいですね?承らせていただきます。」
受付の女性は年齢的には私より少し年上くらいだろうか。亜麻色の髪に紅茶色の瞳をした可愛らしい女性だ。とても愛想のいい笑顔を浮かべて対応してくれる。銀行の窓口で予め記入していた用紙を提出する。
「身分証はお持ちですか?」
「はい、こちらを……。
それと、口座決済を登録したいので、こちらのカードにお願いしたいのですが。」
私は紋章の入ったハンカチと、魔道具のカードを窓口の女性に差し出した。
貴族は紋章を使えるのが、その一族の人間だけという決まりがあるから、図書館でも紋章の入った持ち物を身分証として提示出来るのだけれど、銀行もそれは同じみたいね。
「近々名字が変わる可能性があるのですが、その場合はどうしたらよろしいですか?」
「どうしても変更されたい場合は、また窓口に起こしいただく必要がありますが、そのままでも引き出しや振込等に対応可能です。」
と教えていただきつつ、受付の女性から番号札を渡されたので、それを受け取ってレオンハルト様とともにソファーで待った。
名字が変更になっても、そのまま使えるというのはありがたいわね。いずれ変更に来なくてはならないでしょうけど、すぐに振り込み人に名前の変更を伝えるのにも時間がかかるし。その間は前の名字で対応していただけるというのはとても助かる。
再び番号が呼ばれ、私の口座番号を証明する物と、口座決済のカードを返却された。
今後はこちらの番号を利用して引き出しを行ったり、振込人に番号を伝えて振込してもらうことが出来るようになった。
これで魔塔に契約に行く前の準備がすべて完了した。私はホッと胸をなでおろす。
「今日は本当にありがとうございました。」
アンの村に戻り、レオンハルト様の自宅まで馬で送っていただいた後でお礼を言う。
「ロイエンタール伯爵家の馬車が待っておりますので、私はこちらで失礼いたします。」
馬を家にくくりつけながら、レオンハルト様が振り返った。
「家に帰って、だいじょうぶなのか。」
私はその言葉にサッと顔を青くする。
考えないようにしていたが、今日家に帰れば、今夜はイザークと……。
それまでに逃げる手段なんて見つからなかった。私はどうしたって、今夜を逃れることが出来ない。
もう少し早くに、魔塔との契約が終わっていれば。お金が振り込まれていれば。
家を借りることが出来ていれば。
今すぐにでも逃げ出したかった。だけど今夜を乗り切りさえすれば、もうあの家に帰る必要もなくなるのだから。今夜で最後だ。そう思えば、少しは心も軽くなった。
「はい、ご心配をおかけしました。
もう少ししたら、ご近所に住むことになると思いますから、その時はまた、この村での生活について、色々教えてくださいね。」
「ああ……。気をつけて。」
私はレオンハルト様に深々とお辞儀をし、ロイエンタール伯爵家の馬車で帰宅した。
帰宅早々、家令が魔塔から再度呼び出しの手紙が到着したことを告げてくる。
──鑑定が終わったんだわ!
イザークはまだ帰宅していなかった。
私は家令から受け取った手紙を手に、はやる気持ちで部屋へと戻り、手紙を読んだ。
手紙には、私に迷惑をかけたから、私さえ良ければすぐにでも契約をして、魔法絵の使用料を振り込みたい旨が書かれていた。
そして、明日迎えを寄越すとも。
ようやく……!ようやくだ!
そのお金が振り込まれ次第、私はアンの村に家を借りよう。そしてこの家を出るのだ。
私は窓にメルティドラゴンの子どもの絵を立てかけて乾かしつつ、イザークの帰宅を待った。すると、予想外の出来事がおこった。
「お客様……?こんな突然に?」
「はい、先程旦那様より早馬が参りました。
来客を出迎え、客間に泊まらせることになったので、準備をするようにと。それと、」
家令は私をチラリと見た。
「それと?」
「奥様はパーティーに出る装いで、お客様を出迎えるようにとのことでした。なんでも来客の皆様方は、奥様をご覧になりに、ロイエンタール伯爵家に参られるそうで……。」
「私を?なぜ?」
「それはわたくしめにはわかりかねます。
ともかく、メイドに準備をさせますので、奥様はお客様のお出迎えのご準備をなさってください。お泊りとのことですので、わたくしどもも急いで客間の準備を致します。」
「はあ……。わかったわ。」
なぜイザークの客が私を見に来ようというのだろうか?私の絵が魔法絵であることをイザークが話したのだろうか?
以前の様子だと、私の絵なんてまるで認めていない様子だったのに、魔塔の権威に少しでも私を認める気になったのだろうか。
ともかく、来客用の服に着替えて、化粧をしなくてはならない。私はこの家に嫁いできて初めて、イザークよりも先に風呂に入り、香油で肌を磨き上げられ、化粧を施された。
「あ、ちょっと待ってちょうだい。」
化粧を施すメイドの手を止めさせ、フィッツェンハーゲン侯爵令息が施してくれた技法を使うよう、メイドに指示をした。
フィッツェンハーゲン侯爵令息の時ほどにはならなかったけれど、普段のメイクよりもかなり美しく仕上がった気がする。
私はメイクを施されながら、先程の家令の言葉を思いだしていた。
そうだわ、お客様は、今日は泊まりだと言ってた。ということは、イザークとの夜の営みもなくなる筈!
いくらイザークだって、お客様が家にいらっしゃる状態で、そんな真似をするとは思えないもの。予想外に夜の営みを回避出来たことに、私は内心小躍りしそうなくらいに喜んで、なんだか楽しそうですね?奥様、とメイドに驚かれてしまったのだった。
だって本当に嫌だったんだもの……。
「ようこそ、お越しくださいました。」
従者たちとともに、イザークと、イザークが伴った客人を、玄関で出迎えると、私は夜の営みを回避させてくれた客人たちに、喜びのあまりニッコリと微笑みかけた。
するとイザークがギョッとしたような表情を浮かべるのと、イザークが連れて来た客人が、ボーッとしたような表情になるのを、同時に見ることが出来た。なんだろうか?
「……おい、見ろ、噂以上だぞ。」
「ああ。まさに妖精姫だ。」
──妖精姫?
「これは独り占めして隠しておきたくもなるというものだな、いやはや、お美しい。」
「我々はご当主の友人であり取引相手です。
突然お邪魔して申し訳ない。美しいと評判の夫人をひと目拝見したくて、こうしてお邪魔させていただきました。」
「は、はあ……。恐れ入ります。」
……ずいぶんと褒め上手な方々なのね。
イザークもこの半分でいいから、私が装った時に言葉をかけてくれたらいいのに。
素直に照れた私を見て、イザークの客人の方々が、脱いだ帽子を胸に当てながら、ほっこりしたような笑みを浮かべている。
「酒を飲みながら商談する予定だ。土産にワインを頂戴したから、グラスと軽食を運んで来てくれ。それと、一杯は父の墓前に捧げておいて欲しい。君はもう下がっていい。」
「かしこまりました。」
私がお辞儀をして去ろうとすると、
「おいおい、そんなにすぐに隠さなくてもいいだろう。どうです夫人も一緒に同席されては。貴重なワインをお持ちしたんですよ。」
「おい……。」
「そうだぞ。一緒に一杯飲むくらい、いいじゃないか。ねえ、ロイエンタール夫人。」
「はあ……。仕方がないな。君も同席したまえ。一杯付き合うだけだ。」
「かしこまりました……。」
イザークが連れて来た客人相手に、同席を促されるなんて初めての出来事だ。
食堂に移動し、イザークの隣に着席する。
普段の朝食の時よりも、距離が近いことに違和感を感じてしまう。料理長が軽食をワゴンで運び入れ、従者がお土産にいただいたのだろうワインが注がれたグラスを、それぞれの前に置いて、お辞儀をして去って行く。
ロイエンタール伯爵家の敷地内にある墓地に、グラスを一杯運ぶ為に、目の前であけて注ぐわけにはいかなかったのだろう。
「さあ、さっそくやってください。乾杯!」
当主のイザークではなく、なぜかお客様の挨拶で宴会がスタートする。イザークが何も言わないところをみると、おそらくこの方がワインをお土産に下さった方なのね。
グラスを口元に近付けた途端、ふわりと広がる花のような香り。ほんのりと甘口なのにベタつかず、ほんの少し果物のような酸味を感じるけど、スッと余韻が消えていく。
古くていいワインは、クセや渋みがあることが多くて、細く丁寧に空気に触れさせないと、香りが花開かないと聞くけれど、我が家にはワイン専門の従者がいないのに、ここまで飲みやすいということは、かなり扱いやすいワインなのね。それを告げると、そう!そうなんですよ!と、ワインを下さったお客様が嬉しそうに同調してくる。
「オドルボは特別な扱いをしなくても、香りと味を楽しませてくれる、いいワインで有名なんですよ!通常は年代物のワインなんて、専門の従者がいないと、本来の味を楽しめないものなんですがね。」
「そうなんですね、先日ヴィリバルト・トラウトマンの絵を拝見したのですが、幾重にも塗り重ねられた色の上に、更に薄く刷いた白で表現された鱗のように、奥にある色が幻想的に浮かび上がって、本物の生きた鱗を見たような気持ちになった時を思いだします。まるで花と果実を食べているかのようで。」
「ロイエンタール伯爵夫人は、ワインに一家言お持ちのようだ。いや、社交はあまりお好きでないと伺いましたが、こんなにも博識でいらっしゃるとは。」
「そんなことは……。たまたま言葉にしたくなるほど、素敵なワインだったのですわ。」
私は謙遜して微笑んだ。実際そうだしね。
「先日妻がバルテル侯爵夫人のご自宅での集まりに参加した際、夫人をお見かけしたとのことで。テーブルが離れていたのであまり話せなかったことを残念がっておりましてね。
ぜひ今度、我が家にご招待させていただけませんでしょうか?御夫婦で一緒に。」
「私は構いませんが……。」
私がチラリとイザークを見ると、なんとも面白くなさそうな表情を浮かべていた。
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