第21話 意外な人からの助け

「その本は王立学園に入学出来る権利を持つ者、つまり一部の商人と貴族のみが読めるものです。諸外国に持ち出し不可の知的財産として、閲覧制限がかかっているものです。」

「えつらん、せいげん……?」

 その言葉自体を初めて聞いたかのように、赤髪の冒険者が言葉を繰り返した。


「あなたは隣国の貴族の身分証明書をお持ちなのですか?それでしたら失礼なことを申し上げてごめんなさいね。

 ですがこの国の貴族の身分証明書が必要なのです。──その本を読むには。」

 もちろんそんなわけはないと思うけれど、諸外国の貴族や王族が、お忍びで冒険者をやらないとは言い切れないものね。


 ちなみに私たち貴族の身分証明書はというと、家の紋章入りの何かを見せることになっている。イザークは懐中時計にしているようだし、貴族の男性はそうする人が多い。

 それかハンカチだ。これは女性も持っていて、私も持っている。女性の場合は髪飾りやアクセサリーに入れていることが多い。


 家の紋章の入ったものは、その家の人間にしか持つことは出来ない。たとえ他所の家の紋章が素敵なモチーフであったとしても、勝手にそれを刺繍したりしてはいけないのだ。

 逆にそれを利用して、恋人同士や婚約者同士、親子の間の贈り物に、家の紋章をつけた何かを、特別な贈り物として贈ることが許されている。恋人の特権というやつね。


 私も兄が騎士団に所属し、最初の遠征の時には、ハンカチを刺繍してプレゼントした。

 むしろ恋人や伴侶に対し、家の紋章つきの何かを、何も贈らないことは恥とすらされているのだけど、当然のことながら、私はイザークから何もいただいたことはない。私は結婚当初に、ハンカチにロイエンタール伯爵家の紋章を刺繍して、プレゼントしたけれど。


 いつからの習慣かは分からないけれど、貴族令嬢が初めて刺繍したハンカチは、無事を願うお守りとして、家族や恋人に贈られるものなのだ。恐らくは戦争があった頃に、家族や恋人の帰りを願って。または辺境伯が決まる前は、交代で男性貴族がたった1人で、持ち回りで何年もその地に行かされていた時代があった頃の名残りとされている。


「なにわけわかんねーこと言ってんだ!

 図書館の本はみんなのもの!

 誰でも自由に読めるのが図書館の本だろうが!変な言いがかりつけてんじゃねえよ!

 あたしに貸したくねえからって、こっちが知らないと思って適当言ってんじゃねえ!」

 どんな国にだって、閲覧制限のある本や、貸出禁止の本はあるものだと思うけれど。


 この方の国は相当自由なのかしら?私が貴族であると告げてなお、この態度だ。だとしても、相手が誰であれ、人が借りている本を横から奪って悪びれないのが常識だなんて、いったいどこの国の出身なのかしら。

 騒ぎを聞きつけた人たちも、貴族である私に対する赤髪の冒険者の態度に、ヒソヒソと声を潜めて何やら話し出している。

 

「お話になりませんね。他人が借りている本を横から奪うのが、あなたの国のやり方なのですか?そんなもの、受け入れる国は、あなたの祖国だけだと思いますけれど。

 とにかく、そういった事情ですので、その本をわたくしにお返しいただけませんか。」

「──はっ!やなこった!」

 そう言って赤髪の冒険者が、クルリときびすを返して走り去ろうとする。


 すると。

「──そのへんにしておきなさい。この国では平民が貴族に逆らうのは許されない。たとえこの国の人間でなくても、それは同じだ。

 この方はロイエンタール伯爵夫人。あなたのほうから、きやすく話しかけられるような存在ではないのですよ。」

「いてて!なにすんだ!」


「フィッツェンハーゲン侯爵令息!!」

 走り去ろうとした赤髪の冒険者の前に立ち塞がり、その腕を掴んでひねり上げ、一瞬で本を奪い取ると、赤髪の冒険者の手が届かない高さまで本を掲げたのは、フィッツェンハーゲン侯爵令息だった。

 赤毛の冒険者は何度もジャンプして本を奪おうとしていたけれど、フィッツェンハーゲン侯爵令息の背の高さにはまるで届かない。


 冒険者というものはそれなりに強いと聞いているけれど、それをあんな風に一瞬でやり込めてしまうなんて。フィッツェンハーゲン侯爵令息の予想外の強さに驚いた。

「……なぜこちらに?」

「実は先ほどから、あちらのカフェで1人お茶を楽しんでいましてね。絵を描くあなたに気付き、その姿を見つめていたら、この騒ぎを目にした、ということですよ。」


「はなせ!はなせよ!」

「御婦人にこのような乱暴な真似は本意ではないがね、さすがに見過ごせませんよ。

 ──そこのあなた。」

「は、はい!」

 フィッツェンハーゲン侯爵令息が、ベンチに腰掛けていた貴族男性に声をかける。


「申し訳ないが、王立図書館職員に、このことを伝えて来て貰えませんか。こちらに警備兵を呼んで下さい。私はフィッツェンハーゲン侯爵の息子で、シュテファン・フォン・フィッツェンハーゲンと申します。」

 フィッツェンハーゲン侯爵令息は、赤髪の冒険者の腕をとらえていなしながら、他の人にテキパキと指示を与えた。

「わかりました、今すぐに!」


 男性はベンチから立ち上がると、慌てて王立図書館内に消えて行き、すぐに司書とは別の職員が、警備兵3名を伴って戻って来て、赤髪の冒険者を後ろ手に拘束して去って行った。赤髪の冒険者は最後までわめいていた。

「大きな声を出しているところを見られてしまうだなんて……。お恥ずかしいですわ。

 でも、ありがとうございました。」


「いえいえ、あなたの窮地を救える立場になれて良かったですよ。これは神が与え給うた最大級の幸運に相違ありません。」

 そう言ってフィッツェンハーゲン侯爵令息が柔らかく微笑む。

「今日はこちらに、絵を描きに?」

 フィッツェンハーゲン侯爵が、赤髪の冒険者から奪い返してくれた本を、私に手渡しながら聞いてくる。


「はい。それと、家具を見に……。」

「家具を、ですか?」

「はい、素敵なものがないかと思って。」

「おひとりで、ですか?」

 護衛もメイドもいない私の姿にそう言ってくる。普通は誰かしら必ずいるものね。そう思うのが普通だ。


「ええ。1人です。」

「それは僥倖。でしたらぜひ、私の知っている家具屋を案内させてはいただけませんか?

とても魅力的なものばかりを取り揃えているお店です。きっと気にいると思いますよ。」

 王宮に出入りをするほどの化粧師である、フィッツェンハーゲン侯爵令息の紹介だ、きっと特別なところをご存知なのだわ。


 私に買える値段かは分からないけれど、一度見てみたいと思えた。どんな内装の部屋にするか、イメージも膨らみそうね。

「本当ですか?ご迷惑でなければ……。

 ただ、描きかけのこの絵を描きあげてしまいたいので、それまでお待たせすることになってしまうのですが……。」


「もちろん構いませんよ。その代わり、あなたが絵を描き終えるまでの間、──あなたを近くで見つめる許可をいただいても?」

「ええっ!?」

フィッツェンハーゲン侯爵令息が、甘い目線で私の目の奥を覗き込んでくる。メイクを施していただいた時ほどではないにしても、この方の距離のとり方は、少し近すぎるのではないかしら?嫌ではないけれど……。


 私はなんと答えたらよいか分からずにドギマギしてしまった。フィッツェンハーゲン侯爵令息は、フフッと微笑むと、冗談です、カフェでお待ちしていますよ、と言ってカフェに戻って行き、テーブルの上で閉じてあった本を開いて、読みふけりながらお茶を飲み始めた。ずいぶんと大胆な冗談をおっしゃられる方ね……。こういうところが、きっと宮廷の女性たちに人気なのね。


 ときおり本から顔を上げて、じっとこちらを見つめてくるのが、キャンバス越しに見える。私はフィッツェンハーゲン侯爵令息に見られていることが落ち着かなくて、キャンバスに顔を隠すようにしながら、フィッツェンハーゲン侯爵令息と目線を合わせないように意識して、なんとか絵を仕上げたのだった。


「あの……、終わりましたけれど……。」

 私が声をかけると、本に目線を落としていたフィッツェンハーゲン侯爵令息が顔を上げて、私を甘く見つめて微笑んでくる。

 いちいちドキリとするような仕草をなさる方ね。こういうところに、みんな勘違いをして、夢中になってしまうのだわ。


 フィッツェンハーゲン侯爵令息は、あの日なぜか私をメイクを施す相手に選んでくださったけれど、お茶会の態度を見る限りでは、アデリナ嬢の言うとおり、この方はとにかく女性を美しくするのが趣味みたいな方で、とにかく女性が大好きで、年齢問わず紳士で誠実な振る舞いをされる方のようだった。


 そういう男性が、自分だけに特別な態度をとったりした日には、凄く……意識してしまうことになりそうだけれど、きっと、1人ずつに対して、何か特別なことを作って下さるのね。私には、それがメイクだったというだけのことよ。それにしても、着飾った令嬢や婦人たちに囲まれていた時よりも、更に目立つわね、こういう場所にいらっしゃると。


 周囲の女性たちも、チラチラとフィッツェンハーゲン侯爵令息を見つめては、何か話したり微笑みあったりしていたのだけれど、私が彼と話しだした途端、キッ!と鋭い目線が飛んでくる。お茶会の時はそんなこともなかったのだけれど、あの時は全員と平等にお話されていたものね。けれど、今は私だけ。


 だから女性たちの嫉妬も仕方のないことだとは思うけれど、少しだけ視線が怖いわ。

「では、参りましょうか。」

 フィッツェンハーゲン侯爵令息は、パタリと分厚いカバーの本を閉じると、立ち上がってそう言った。

「会計を済ませて参りますので、少々お待ちいただけますか?」


「あ、はい。」

 フィッツェンハーゲン侯爵令息は、そう言って伝票を手に持つと、首から下げていた家紋の紋章入りのペンダントを取り出し、カフェの従業員が差し出した小箱を手に取って、そこにペンダントトップをかざすと、そのままお金を払わずに立ち去ろうとする。


 カフェの従業員も何事もなかったかのように、ありがとうございましたとお辞儀をしているのだ。──???

 キョトンとしている私に、

「口座決済は初めてご覧になりますか?」

 と言った。

「はい……。」

 口座決済とは、何かしら?

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