第12話 宮廷に出入りする化粧師

 イザークと恋仲になれると思っているのであれば、考えが甘いと言わざるをえない。

 イザークに言い寄るつもりであるのなら、それを分かった上で、自分であれば大切にして貰えるという考えは捨てたうえで、ロイエンタール伯爵家の女主人という立場だけが欲しい人なら向いているんじゃないかしら。


 その点でラリサは間違えた。私よりもロイエンタール伯爵家に従順であることを示し、社交好きな女性であったのなら、子爵令嬢のラリサは選ばれる可能性があっただろうに。

 彼女が私に失礼な態度を取らないのであれば、私が自立する目処が立ったあとにはなるけれど、私がイザークと揉めずに別れる為にも、教えてあげても良かったけれど。


 だけどそれももう今更だ。ラリサは役人に逮捕されてしまった。今後他の貴族との結婚は望めないだろう。シュルマン子爵家はラリサの弟が後を継ぐ予定の筈だけれど、これから苦労するでしょうね。大なり小なり身内から犯罪者を出してしまった貴族なんて、他の貴族たちから相手にされなくなる。


 ラリサの家は私の実家のメッゲンドルファー子爵家よりはお金があった筈だけれど、今後はうちよりも困窮することになるだろう。

 昔ラリサが言っていた言葉によると、シュルマン子爵家は家族ぐるみでロイエンタール伯爵家の妻の立場を狙っていたというから、家族全員で愚かな娘の行いを嘆けばいいわ。


 別にイザークが私についたわけじゃない。ただ淡々とロイエンタール伯爵として犯罪者を裁いただけだけれど、この家に来て初めてスッキリした気持ちになれた私は、さっそく部屋に戻ってキャンバスに向かい、取り戻した絵の具で新しい絵を描き始めたのだった。


 それから数日間は何事もなく過ごした。

 自室で絵を描いていると、家令が私をたずねて来て、手紙が届いておりますと告げた。

「──手紙?私に?」

 受け取った手紙をひっくり返すと、青い封蝋に世界樹を模した印章が押されている。手紙の差出人は魔塔の賢者からだった。


 私の魔法絵の鑑定の結果が出たんだわ!

 手紙を読み進めると、魔法絵であるか否かの鑑定結果、及びどのような効果をもたらす魔法がかかっているのかを、直接お伝えしたいので、ご都合がよろしければ4日後にお迎えにあがりたい、その際は必ず招待状をお忘れなきよう、ということだった。


 4日後であるのなら、バルテル侯爵夫人の招待状の日付的にも問題はない。私はメイドを呼んで紙とペンを用意させ、伺わせていただく旨を記し、再びメイドを呼んで家令を部屋に呼び出し、手紙を託した。万が一にもメイドが紛失したら困る手紙だから、あなたが責任をもって手配してちょうだいと告げた。


 家令は苦々しげな表情を浮かべたが、それは一瞬のことで、すぐにかしこまりましたと頭を下げた。家令は指導するとは言っていたけれど、私はまだメイドたちを信用してはいない。ベッドメイキングは毎日されることにもなったし、食事が提供される際に温め直されていない、なんてこともなくなった。


 だけど長年の行動で失われた信用は、そう簡単には取り戻せないものだもの。きっちり安心出来るようになるまでは、私はメイドに重要な仕事を任せるつもりはなかった。

 3日後、私は家令が付けてくれたメイドを従えて馬車の上にいた。メイクもして貰い、髪もアップに整えられている。


 バルテル侯爵夫人のお茶会の招待状に応じる為だ。今日はバルテル侯爵夫人がパトロンをしている、新進気鋭の若手魔法絵師、ヴィリバルトの絵を披露してくれる予定なのだ。

 ヴィリバルトは私もちらりとは名前を耳にしたことがあるくらいの人で、私はワクワクしながら落ち着かなかった。


「──まあ!ロイエンタール伯爵夫人!いらして下さってとても嬉しいですわ。」

 バルテル侯爵夫人は、御者に手を添えられて馬車から降りた私の姿を見た途端、朗らかな笑みを浮かべて駆け寄って来てくれた。ショートカットの上品な巻き髪をしている。貴族婦人にしては、バルテル侯爵夫人は穏やかで、権力争いにも加わらないほうの方だ。


 バルテル侯爵家が中立の立場だから、というのもあると思うけれど、本来の性格によるものだと思う。私の社交復帰第一回目としては、バルテル侯爵家は相応しいものだった。

 これがフロトー伯爵家だったらとんでもないことだ。同じ王族派にも関わらず、王女との婚姻に失敗したイザークを嘲笑い、その妻となった私も見下す一族なのだから。


「何度もご招待いただいておりましたのに、不躾で申し訳ありませんでした。本日はお招きいただきありがとうございます。お伺いするのをとても楽しみにしておりましたわ。」

「……体調が優れなかったのでしょう?

 仕方のないことですわ。今日は楽しんでいらして下さいね。ラビィ茶がお好きだと伺って、夫人の為にご用意致しましたのよ?」


 なるほど、社交に加わらない私を、イザークがそういうことにしているわけね。下級貴族相手ならいざしらず、上級貴族の招待を断るのだもの、それなりの理由は必要よね。

 私の扱われ方を見て、私がロイエンタール伯爵夫人であることを今更思い出したのか、先に馬車を降りてかたわらに控えていたメイドは、一瞬目を見開いて私を見た。


 私はそれを無視して、メイドを従えてバルテル侯爵家の庭を歩いた。私の見覚えのない令嬢たちの姿もチラホラ見かける。本来ならばこんな時は、専属メイドが顔と名前を覚えておいて、主人にそっと身分と名前を告げるものだ。なぜなら上の立場の貴族には、名乗られるまで挨拶が出来ないのだから。


 当然私の連れて来たメイドは、私とともに社交に参加するのが初めてだったから、その点においてまったく役には立たなかったのだけれど、かわりにバルテル侯爵夫人が、久しぶりに参加した私を、皆さんに一人ずつ紹介して下さったので事なきを得た。


 私の後ろについて歩くだけのメイドはあてにならなかったので、私は顔と名前を覚えようと必死になっていた。

「それと、今日は久しぶりに、アデリナ・アーベレ嬢がいらして下さいましたのよ?

 お招き出来てとても嬉しいですわ。──こちらはロイエンタール伯爵夫人です。」


 ──アデリナ・アーベレ!!バルテル侯爵夫人が紹介して下さったその令嬢を、私は思わず瞬きもせずに見つめてしまった。

 豊かに揺れる軽く巻かれた、背中にかかるくらいの金髪、日除けの為の大きなつばの広い帽子をかぶり、その下からこぼれ落ちそうな大きな瞳がこちらを見つめている。


 すっと伸びた鼻梁に形のよい眉。ふっくらとした唇は艷やかな真紅の口紅で彩られている。あれは……、ほんの少しオレンジが混ざっているのかしら?アデリナ嬢の抜けるような白い肌にとてもよく似合っていた。

「はじめまして、アデリナ・アーベレと申します。ロイエンタール伯爵夫人……、お名前をお伺いしても?」


 アデリナ・アーベレ嬢は、たおやかな笑みを浮かべて私にそう言った。私は思わず目が揺れそうになってしまうのをなんとかこらえた。──貴族令嬢は結婚すると名前で呼ばれなくなる。学生時代は名前でしか呼ばれなかったのに、結婚と同時に個人であることを捨て去るかのように、嫁いだ先の夫人としての名でしか呼ばれなくなるのだ。


「フィリーネと申します。」

「フィリーネ様!とても可愛らしいお名前ですね。私のことも、アデリナと呼んでいただけますか?」

「はい!もちろんですわ!」

 私はロイエンタール伯爵家に嫁いでから初めて、他人から名前を呼ばれたのだった。


 バルテル侯爵家の中で絵を見る前に、しばらく全員が庭で歓談することとなり、お茶と軽食が運ばれて来て、お菓子やスコーンをつまみながら、私はアデリナ嬢のテーブルでお話させていただくことになった。

「アデリナ嬢のお化粧はとても素晴らしいですね。初めて見る技法な気が致します。ご自分で研究なさったのですか?」


 私は気になっていたことを聞いた。

「いいえ。今日の私のパートナーである彼にほどこしていただいたものですわ。こちらは宮廷にも出入りをするほどの人気の化粧師であり、フィッツェンハーゲン侯爵家の3男であらせられる、シュテファン・フォン・フィッツェンハーゲン様です。」


 そう言って、アデリナ嬢は、かたわらにいた男性を紹介してくれた。アデリナ嬢よりも色の薄い金髪を緩やかに1つに束ね、椅子に腰掛けていても分かる背の高さ、少し垂れた優しげな眼差しで、ひと目見て美しいと分かる男性だった。この方が人気なのは、化粧の腕だけの話ではないのかも知れないわね。


「初めてお目にかかります、シュテファン・フォン・フィッツェンハーゲンと申します。

 化粧師を生業と致しております。とてもお美しい肌をなさっていらっしゃいますね。」

 肌を褒められるのは初めてのことだ。外に出ることがないから、あまり化粧をしないし特に気を使ってのことではないけれど、褒められれば素直に嬉しかった。


「──ですが、おしい。

 とてももったいなく感じてしまいます。これほどの素材をお持ちでありながら。……失礼ですが、本日の化粧はどなたに?」

 初対面でいきなりそんなことを言われ、私は困惑して思わず少し体が引けてしまう。

「当家のメイドですわ。」

「もしよろしければ、私に奥様のメイクをお任せいただけませんか?」


「──フィッツェンハーゲン卿に?」

 突然の申し出に、私はなんと答えたら良いのかわからなくなってしまった。

「この方は女性を美しくするのが趣味のようなものなのですわ。気を悪くなされないのであれば、お任せしてみてはいかがですか?」

 アデリナ嬢がそう言って、私を見つめてクスリとイタズラっぽく笑う。


「フィッツェンハーゲン卿のメイクが見られるのですか!?」

「見せていただきたいわ!」

「私もやっていただきたいです。」

 口々に令嬢や御婦人たちから声が上がる。

 一気に私たちのテーブルは注目の的となってしまい、全員の視線がこちらに集まる。


「ロイエンタール伯爵夫人、ぜひわたくしからもお願いいたしますわ。わたくしも出来ることなら自分がお願いしたいのですけれど、フィッツェンハーゲン卿は滅多なことではお客を取らないことでも有名ですの。」

 バルテル侯爵夫人までもが、キラキラした目でこちらを見てくる。……困ったわ。

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